思えば、四大魔法少女カルテットのメンバーだったころから、弥生は魔法界女帝エンプレスについて懐疑的な様子は覗かせていた。この手紙においてもそれは顕著だ。自分が望んだわけでもないのに魔法少女になってしまったのだから受け入れざるを得ない、とでも言いたげなニュアンスを常に漂わせている。

 私は私で、魔法少女エンプレスなんてものがどうしても信じられなかった。

 弥生と同様、望んでもいないのに私に魔法の力を与えた存在がいることは確かだ。しかし、それがユリアや真秀が言うような、平和と安寧を尊ぶような心優しい存在だとはどうしても思えない。

 魔法少女エンプレスがそのような存在なら、あの夜シェルターにいた人々を全員救った筈である。一人だけに魔法の力を与えるような、迂遠なことをする筈がない。

 それでも、私を魔法少女にしたものが魔法少女エンプレスであるのだと断言するのなら、それはきっと世にも邪悪な存在に違いない。毒ガスの充満したケースの中で慌てふためくネズミたちを観察する大昔の錬金術者気取りか虫や小動物を残酷ないたずらでいじめて爆笑する子供、もしくは感情をもたない人格破綻者のそれと同じはずである。

 三人には黙っていたが、魔法界の中央で私たちを見守っているという存在を、私は今でもそのように捉えている。


『ありすの生まれたこの世界でも見られるとおり、信仰は人々を結びつけます。

 私の世界でもそうでした。

 戦争が終わった後、政府の方が講和のための話し合いを続けている間に、ほんの数日前まで戦っていた敵の魔法使いや魔法少女と会って話をすることがありました。ささやかな社交の場です。その際に、魔法界女帝エンプレスのことを信じる子達と繋がりができるのは、ごく自然な流れでした。』

 

 中浦ユリアは、ある意味では真秀よりも強固に魔法界女帝エンプレスを信じていた。

 あのカフェでも、敵が現れた現場でも、ユリアはよく魔法界女帝エンプレスについて私に語って聞かせた。

 なかなか友達ができなかった幼いユリアの耳に突然聞こえたのは、鈴を振るような女の子声だったのだという。通っていた幼稚園の片隅に植えられていたツツジのそばだとよく聞こえたという声は、頭の中で一緒に遊ぼうとユリアを誘ったのだという。

 見とがめられない程度にツツジの花びらや葉をむしり、ままごと遊びのような真似をしながら、ユリアは姿の見えないその女の子と会話を続けた。


──あたしのいるところからうんと遠い世界にあるお城の中で暮らしてるって、その子が言ったの。それがお仕事だから魔法界全体を見回してるけれど、もう何年も何年もそんなことをやってるから飽きちゃったんだって。そんな時にあたしを見つけて、この子とはお友達になれるって予感がしたんだって。魔法界女帝エンプレス様は言ったんだ。


 あのカフェで初めて、到底信じられそうにない話をしたユリアは、幸福そうに微笑んだ。

 

 こうして幼いユリアは幼稚園で見えない友達とだけ遊び続け、その様子に不安を覚えた保育士により親に連絡が行き、私や弥生と同じような検査が施された後に魔法界女帝エンプレスの声を聞く魔法少女であることが判明したのだと、同じようなことを何度も何度もユリアは私に語って聞かせた。

 ユリアにとってそれは幸福な記憶でしかないらしく、自分からその話を持ち出すときは常に自分から目を閉じるか、ここにありはしないものを見つけようとするように空や遠くの景色を見つめた。だからユリアは、私がそれをきかされる度に彼女から顔を背けていたことに気づいていない筈である。

 魔法界の真ん中にある奇麗なお城に住んでいる、女王様というよりもお姫様みたいな女の子。それが、ユリアにとっての魔法界女帝エンプレス

 いつかあの女の子がいるお城にいくのが夢だと、恥ずかし気もなく語ったこともあった。


──あー! またバカにしてるでしょ~? ガキっぽいこと言ってるって思ったでしょ~。でも、魔法界女帝エンプレス様のお城は本当にあるんだって、まーちゃんが前に言ってたんだからね! きれいなお城の遺跡だけがある、こじんまりした可愛い世界が魔法界の中央あたりにあるのは確かだって! 本当に魔法界女帝エンプレス様がいたかもしれない所かもしれないから、いずれ調査される筈だって! 嘘じゃないもんっ。


 幼稚な言動がよく似合う童顔の頬を膨らませたり、唇を尖らせながら、いつかのユリアはぷりぷりと怒っていた。


魔法界女帝エンプレスを信じ、敬愛する、魔法少女・魔法使いたちのネットワークは、魔法界に少しずつ、でも着実に拡がってゆきました。

 その過程で、ごく一般の方の間にも魔法界女帝エンプレス信仰が、少しずつではあったけれど再び蘇りだしたんです。

 大きな戦争こそ数十年単位でご無沙汰でしたが、局地的な紛争は一向になくなる気配はありません。いつもどこかで小競り合いがしまりなく続く日々に、私の故郷を含む魔法界の人々はうんざりしていたんです。もう争いごとには飽き飽きした。戦争など無かったとされるはるかな大昔のように、心安くおだやかに過ごしたい……そんな、厭戦ムードが蔓延したんです。

 ありす、「厭戦」って意味わかる? 戦争を嫌うって意味よ。それからちゃんと起きてる? 長い話になりすぎたのは謝るけれど、もうちょっとだけ頑張って。

 私たちの故郷における魔法界女帝エンプレス信仰の復活、それに大きな役割を果たしていたのが、何を隠そう私たち四大魔法少女カルテットだったんです。

 メディアに取り上げられた際に、真秀やユリアが魔法界女帝エンプレスの名前を頻繁に口にしました。そんな些細なことがきっかけで、この世界では素朴な信仰の主体だった魔法界女帝エンプレスへの関心が広まり、厭戦気分に侵されていた人々の心をとらえ、すこしずつじわじわと信者が増えてゆくまでになったのです。

 でもね、大昔に衰退したはずの魔法界女帝エンプレス信仰が蘇ること、これは政府の人たちにとって大いに都合の悪い事でした。

 何故だかわかる?

 政府の人たちは恐れたんです、魔法界女帝エンプレスを信じることで、魔法界の人々がゆっくりと手をつなげてゆくことを。

 強い魔力を持つ女の子たちが個人と個人のささやかな友情の輪が、日に日に拡大してゆくことを。

 他の世界からの侵略に対抗するためには戦いも辞さないという政府の方針と、正反対のイズムを持つ者たちが世界の枠を超えて結びつきあってゆくことを。

 当時の政府の人々は非常に恐れたんです。

 魔法界女帝エンプレスなる素朴な土俗信仰めいたものの名を嵩に着て、自分たちの命令も拒絶する、魔力だけは強い子供たち。その輪がこのペースで大きくなるのなら、いずれ自分たち政府の人間でも抑えきれないほどの巨大な勢力になる。現に今、いつまでたっても終わる兆しの見えない争いだらけの日々に疲弊した無名の人々たちが、魔法界女帝エンプレス信仰に回帰し始めている。

 現代の魔法界女帝エンプレス信仰は昔の素朴なそれとは違う。とある世界では、魔法界女帝エンプレスの子孫を名乗る者から侵略を受けて資源の収奪され、民の大半を奴隷にされたらしい。そして、そのような例は枚挙にいとまがない。そのような悪事を働く連中が、こうしているうちに今もこの世界のどこかに入り込んでいるとしたら? 耳あたりのよい甘い言葉を弄して、こちらの世界に不利益や不幸を蔓延らせようと企む者が潜んでいるとしたら? もし魔法界女帝エンプレスの名を騙るようなものが現れたら?

 これは見過ごせない。政府の人たちは危機感を抱いたのです。

 ありす、あなたのことだからきっと「それのどこが悪いの?」って思ったんじゃない? 戦争なんて嫌いで世の中平和になればいいって考える人たちが手を結ぶ。その輪が大きくなれば、自然に魔法界全体も平和になる、何も悪いことがないじゃない。そんな風にシンプルに考えて。

 そうね、世の中そんな風に事が進めばなんの問題もないんだけど。

 でも、残念ながら私の故郷はシンプルには出来ていませんでした。ありすのいた世界と同じくらい、人の営みを動かすしくみは複雑でややこしいものだったんです。

 可能ならば、魔法界女帝エンプレスを信じる者たちとは最初から交流を断つべきだ──。こうして結論が生み出された末に出されたのが、さっき挙げた新しい法律だったんです。

 だから、政府の人たちだって、私たちに意味もなく意地悪をしたわけではないんです。魔法界女帝エンプレス派の魔法少女は軍の言いなりにならず、しばしば命令を無視して可愛くないからってだけで、お返しとばかりに自由裁量を奪ったわけではありません。

 ありす、政府の方たちも、私たちとは考えが違うだけで、政府の方針も世界や故郷に暮らしていた人々を護りたいという気持ちはあったんです。あの人たちを庇うようで私自身癪然としないけれど、そこに触れないのはフェアじゃありません。

 ただ、選挙によって政府の首脳部がほぼ入れ替わり、積極的に魔法界への進出をはかる一派が政権を握った後ですぐ、私たちの行動に制限がかかった。その事実だけは無視するわけにはいきません。

 私たちへの風当たりが強くなりだした頃、最初に動いたのはリーダーの真秀でした。防衛省の方との交渉を決意し、立ち上がったんです。

 あの人達だって世界の平和と安定を目指していることには違いないもの、心配いらないわ。いつものカフェでの会合でそう言った真秀は、それきり姿を見せませんでした』


 中身の入れ替わった政府上層部による魔法界女帝エンプレス信仰を貶めるプロパガンダがことごとく功を奏し、私たちへの風当たりが日に日に強くなりだした頃だ。

 弥生の手紙にある通り、四大魔法少女カルテットだけでなく魔法界女帝エンプレス派魔法少女の代表になっていた真秀が自ら談判へ赴いたのだ。

 自分たちは魔法界女帝エンプレスを敬い、慕うからこそ魔法が使えるのだ。それを禁じられては魔法は効力を失ってしまう。そうなっては政府に協力するどころの話ではない。それに、魔法界女帝エンプレス信仰はあなた達が極端に不安視するようなものではない。どうかそれだけは信じて欲しい──、きっとそのように訴えるつもりだったのだろう。


──まーちゃんなら大丈夫だよね? 魔法界女帝エンプレス様は優しい方だし、信じてる人達だってみんないい人だって説得できるよね? あんなタチのわるい噂なんて信じないでって、今までみたいにきっぱり言い切ってくれるよね。


 不安げなユリアが私の袖を引っ張って何度もそう訊いたのは、真秀が防衛省の東アジア支部に向かった次の日だった筈だ。

 もうとっくに話は済んでもいい頃なのに、真秀からの連絡は一切無い。四大魔法少女カルテット専用の通信機を兼ねていた護符メダイユはいつまでたっても静かなままで、真秀からの知らせを寄こさない。これはかなり話が拗れている、と薄々感づく。ユリアだってそうだったのだろう、甘ったるい童顔の眉が不安げに下がっていた。

 不安を取り除いてほしい、とその目が縋っていた。

 甘えてくるなよ、と舌を打ちたくなったのに、私はどうとでも受け取れる言葉を口にしていたのだった。


──あの人は私たちと違って大人と対等に話し合うことに慣れてるから、言うべきことはきっちり言ってくれてるんじゃない?

──! そうか、そうだよね! 今までだって、まーちゃん、防衛省の人があたし達に無理を言ってきたときだってキッパリ断ってくれたもんね! おかしな命令や決まりごとは全部つっぱねてきたんだもん! 今回だってきっとそうだ。政府の人はみんな、まーちゃんを説得できたことなんて一度もなかったもん。


 うんうん、とユリアは一人腕を組んで納得していた。真秀なら説得してくれる筈だと私は一言も言っていない。にもかかわらず、ユリアは自分の希望に沿う形で私の言葉を解釈した。

 なんでこいつはこんなにバカなんだろう、さすがに呆れて視線を逸らせた先にいた弥生と目が合った。ちょうど、読んでいた本のページから顔を上げ、白けきった目でユリアを見ていたようだった。しかし、その目が私のそれとぶつかると何故か焦りだし、開いた本に顔を埋める。この子はこの子で相変わらずだ、そんなことを思ったような気がする。 


『ひょっとしたら……って今更気づいたことだけど、真秀は自分の恵まれた出自を生涯負い目に感じていたのかもしれません。真秀ほどの魔力を持つ子が私のような一般家庭に生まれたなら、有無を言わさずエリート校に入れられてその魔力を世界防衛のため有効活用する、ただそれだけの訓練を課せられていたはずですから。でも、彼女は争いを嫌った祖母の反対や自分の属していた階級のお陰でそれを免れた。

 だから真秀は、魔法界女帝エンプレスの名をあきれるほど頻繁に口にしていたのかもしれません。平和と調和を尊び、悲しみを蔓延させる争いを憎む。それが真秀にとっての魔法界女帝エンプレス信仰でしたから。

 行動原理などから意見が合わず、現場で対立することもあった防衛省所属の魔法少女たち──日増しに戦い慣れてゆく彼女たち──こそ、魔法界女帝エンプレスの恩寵が与えられるべきである。そんな風に考えていたのかも知れません。

 でも、これは私が勝手にそう考えているだけです。真秀に直接会って確認することが出来ないのが残念でなりません。

 ああ、また昔話につきあわせてしまったわね。ありす、ごめんなさい。』


 確認することが出来ない、と思わせぶりな言葉を書き残しておきながら、何故それが出来ないのかについて弥生は語らない。謝罪することで会話を打ち切り、話したくない旨を匂わせている。

 これを読む私はもちろん、どうして確認できないのか、その理由を把握している。

 防衛省の支部に向かって以降、真秀が一度も連絡を寄こさないまま数日が経過した。

 まーちゃん遅いね……と、護符メダイユにメッセージを送ってくるユリアをいなしながら、私は胸騒ぎを抑えられなかった。 

 魔法界女帝エンプレスなるものが私を一方的に覚醒させた何かと同一の存在だというのなら──。それを考え出すと、私の胸はざわざわと騒ぎ出した。

 魔法少女になりたいなどとただの一度も望んだことはなかったのに、死にたくないの一念で頭の中が塗りつぶされていた私を魔法少女にしたのと同じように、真秀の身にも望んでいなかったようなことが起きたのではないか? そんな予感に襲われたのである。真秀は二度と戻ってこないんじゃないかという予感に変わるまで、それは一瞬だった。

 当然、ユリアには最後までそれを伝えなかった。言っても無駄だと諦めていた。

 嫌な予感ほどよく当たるのは何故だろう。

 その次の日、防衛省東アジア支部を訪れていた真秀がテロリストが仕掛けていた呪いに取り込まれ、即死したというニュースがメディアを賑わすことになった。

 新しい政府のやり方に不満を抱いた連中が仕掛けた呪いに気づいた真秀が、それが拡散するのを防ごうとしてとっさに身を呈したのだという。

 支部にいる人間全てを、未知の病で果てしない苦痛の果てに死に至らしめるはずだった呪いの塊を体で受けとめれば、四大魔法少女カルテットのリーダーといえどひとたまりもない。それを承知の上で我々を護った彼女はまさに魔法少女の鑑である──、記者のインタビューで防衛省の人間が沈痛な面持ちでそのように語っていたことだけは覚えている。

 数日後、真秀の生家で葬儀が営まれた。喪服の集団と、号泣するユリア、ハンカチに顔を埋める弥生、泣きじゃくるユリアに肩を貸し背中をあやす私。リーダーを失った四大魔法少女カルテットや最期の別れに訪れた魔法界女帝派の魔法少女達を記録しようとするメディアの人間──。本来ならもっと細かく記憶されてもいい筈なのに、はっきり思い出せるのは、今となっては一つだけだ。

 政府高官や防衛省の人間に形だけ頭を垂れながら、真秀のご両親らしき上品な中年夫妻が恨みと無念のこもった声による問いかけていたのだ。


──娘の体はいつ返して頂けるんですか?


 それが、ユリアの嗚咽や弥生の鼻をすする音ごしに私の耳に届いたのだ。

 お嬢様の御遺体をお返しできないのは私たちにとっても無念の極みですがいかんせん真秀さんの御遺体は悪性呪術の巣となっておりまして封じておかなければ全世界に拡散してしまう恐れが──……と言い募る高官の言葉に、感情の線が切れたらしい伊東氏は慇懃無礼な態度を崩さない相手の胸倉を掴んでなにかを吠えていたが、そこからのことは記憶に薄い。葬儀で何が行われていたのかよりも、真秀の身に本当に起きたことを突き止めることに関心が向いていたせいである。

 白い花で飾られた祭壇の上の棺、あの中に真秀の遺体は入っていない。

 私と、伊東氏の声をたまたま耳にした魔法界女帝エンプレス派の魔法少女たち数名は、無言で目配せしあった。その事実は我々にとってどういう意味を持つのかを占うために。

 拡散性の高い致死性の呪いの苗床になってしまった以上、真秀の遺体を動かせない。その事情を了承することはできる。恐ろしい呪いがこの世界を覆いつくすのを防ぐために、強固な結界で幾重にも封じなければならない。残念だがそれが私たちの道理である。真秀の命が本当に呪いによって吸いつくされたのならば。

 でも、それが正しくなかったら? 本当のことではなかったとしたら?

 政府の連中が魔法界女帝エンプレス魔法界女帝エンプレスとうるさい真秀に対していい感情を持っていないことは明白だ。しかし、魔法界で唯一彼女だけがつかいこなせる強力な浄化の魔法と、それを支える莫大な魔力を秘めている唯一の存在であることは認めていた。可能ならば制服の少女たちのように従順な駒にしたかった筈である。だからこその禁令と魔法界女帝エンプレス派への弾圧だったはずだ。

 それなのに連中は、真秀をみすみす見殺しにしたのだ。

 魔法界での戦いで武功を収め、いくつもの勲章を制服の胸に飾った魔法少女だって少なくなかったであろう、防衛省の施設内で。

 杜撰なテロリストがしかけた呪いに気づけない程に耄碌していた連中だというのか、何年も何世紀も、魔法界内で様々な敵と戦い続けてきた経験とノウハウを持つ連中は? この世界を護っていた連中はそんな愚か者しかいないのか? そもそも真秀は四大魔法少女カルテットどころか魔法界女帝エンプレス派の魔法少女でも随一の浄化の魔法を使えた真秀だ。たかだかテロリストの開発した呪いごときで倒れるものだろうか。

 そんなはずがない。

 わずかな期間であっても魔法少女として活動していた私の六感がそう告げた。その直後、背筋に寒気が這い登る。


『これは私の持論なんだけど、ありす、人間ってね、概ね二つに分類可能だと思うの。

 一つは、現実を寸分たがわずありのままに捉えることが出来る人。

 もう一つは、良い方にも悪い方にも目の前の現実を歪んで捕えてしまう人。

 世界をよりよくしたい時には、望む方向に向けて舵を切る必要があります。そのためには、私たちがいる世界全体のありようを正しく把握しなければなりません。航海するときにだって正確な海図や星の位置、それらを読み解く能力が必要じゃない? それと同じように。

 だから、良い事も悪いことも、心奪われそうなほど美しいものも、目をそむけたくなるほどおぞましいものも、世界の姿を等しくありのままに受け入れることができなければなりません。。

 でもね、この作業こそ、魔法少女にとっておそらく最も困難なことだと私は思うんです。魔法少女は、時にその場にありもしないものの姿を見て声を聞く者です。それは即ち、存在する者の姿が見えず、実際に空気を震わせている声に気づけない、そんな可能性も示しています。

 特に、私たちのような魔法界女帝エンプレス派の魔法少女にとっては一層不得意なことだったにちがいありません。

 だって私たちの魔法は最初から、魔法界女帝エンプレスなどという存在するのかしないのかわからない──少なくとも私たちのような生物としての形は持たないことは確かな──、よくわからないものから授かっているんです。不確かな魔法を当たり前のように使いこなしている段階で、正しく世界を捕えらえるとは私には思えません。

 実はね、内気なくせに生意気だった私は、魔法界女帝エンプレスという存在にちょっと懐疑的でした。美果に至っては、魔法界女帝エンプレスを呪いか何かのようにとらえていた節がありました。

 こんな風に魔法界女帝エンプレスに対する本当の気持ちを打ち明けたのは、ありす、あなたで二人目です。

 ありす、わたしにとっては、実果だけでなく真秀もユリアも、今でも私の大切な仲間です。だから、二人に対してこんな風に言わなければいけないのも、人見知りが激しくて生意気な子供だった私が上からものを断じるようなことを口にしなければならないのも、恥ずかしくてたまりません。それでも、どうしても伝えなければならないことがあるんです。

 真秀とユリア、二人とも優秀な魔法少女でしたが、私たち四大魔法少女カルテットで特に魔法界女帝エンプレスを崇拝し慕っていたこの二人には、魔法界女帝エンプレス信仰を不用意に煽るべきではないという防衛省から再三にわたる警告を、受け入れることが非常に難しかったんだと思います。さもないとひどい目に遭わせるぞと脅されたって、それを手放すことができなかった。

 とはいえ、幼いころから魔法界女帝エンプレスを信じてはいたけれど、大人の人とも対等に意見を交わしあうことが出来る程度には視野が広く考えも深かった真秀には、不都合な現実を直視した上でなお魔法界女帝エンプレスを信じる強さがあったことでしょう。

 でも、ただただ無邪気に夢見るように魔法界女帝エンプレスを信じ、親しんでいたユリアには、防衛省の人々の言葉を受け入れる下地があったとは到底思えないのです。 

 残念ながら、と言わざるを得ません。』

  

 話が長く、回りくどい弥生に倣うわけではないが、私も一つ歴史の話をしてみることにする。

 魔法界女帝エンプレスの名を掲げながらの魔法少女活動を禁じ、それに従わないものは矯正施設に収監する法律が世の中に根付いた頃。それは、手妻ありすの親友という立場を得ていた小角雫のような魔法少女──量産型魔法少女が活躍を始めた最初期ときれいに重なっている。

 量産型の魔法少女、それは、本来なら基準値以下の魔力しかもたない一般人に、生体回路を植え込むことで魔力の増加と活性化を促し、即席の魔法少女に仕立て上げられた者のことを指す。後天的な魔法少女と言ってよいだろう。

 量産型魔法少女を増やし、戦場に送る戦力を増やす。これは防衛省のとある派閥の悲願であったらしい。

 従来型のやり方では、ただでさえ希少な魔法少女がいたずらに消費されてゆくばかり。無数にいる一般人一人一人を魔法少女に変えることができればどんなに良いか。志願者一人一人に生体回路を植え込みさえすれば、強大な力を持つ者ををはやばやと戦闘で失う機会も減る上、増員することも簡単だ。これで魔法少女の確保に頭を悩ませることも、生意気な魔法界女帝エンプレス派の魔法少女のご機嫌とりをしなくてすむようになる。

 お手軽、便利、一石二鳥なこの理論は、早々に実現可能なレベルまで研究が進められていたという。ただし、長い間それを実行に移す者はいなかった。

 魔力を生み出す生体回路のベースとなるのは強い魔力を持つ人間、即ち魔法少女だったからである。つまり、使い捨ての魔法少女を百人ほど生み出すためには、強く有能な魔法少女一人を殺さなければならないからだ。こんな効率の悪い話はない。それ以前に人倫が許しはしない。

 よって、長い間禁忌の理論とされ、まとも研究も実験も禁止されていた。。

 それがなぜか、魔法少女エンプレス派の魔法少女の立場が悪くなった頃と時を同じくして禁が解かれ、量産型の実用化が始まったのである。真秀が防衛省の東アジア支部を訪れったきり戻ってこなかってからほんの数年、恐ろしいほど短い期間を挟んですぐ、小角のような後天的な魔法少女が活動しはじめたのだ。 

 諸々の要素を照らし合わせれば、誰にだって自然と一つの考えが導き出される。

 何としてでも禁忌とされた理論を研究し一刻も早く実用化したい。上層部が入れ替わり、軍拡路線をとりだした新政府の連中の意見に沿う形で、防衛省の狂った連中がそんな野望をたぎらせる。しかし、生体回路のベースに適した魔法少女は言うまでもなく貴重な存在である。戦局を左右する有能な戦闘員でもあるのだ。人体実験に利用できるわけがない。

 そんなタイミングで、のこのこと、防衛省のやり方にたてつく生意気な魔法少女がやってきたら? 政府あげてネガティブキャンペーンを繰り広げている信仰を捨てない上に、非常に強い魔力を秘めている魔法少女が話し合いをしようと武装もせずに現れたとしたら──?

 不気味な屋敷に不用意に近づいた女の子は、中に潜んでいる人喰い鬼につかまり頭からバリバリと食われてしまいました……という、血なまぐさい民話じみたストーリーが浮かんだ瞬間、それを事実だと確信しながら、そんなバカなことが起きてたまるかという反発も同時に浮かんだ。いくらなんでもこんなかなりこんなことある筈がない。

 初めて小角雫──量産型魔法少女を目にしたとき、亜麻色の髪への既視感と懐かしい気配に当惑させられるまでは。

 本来なら魔法少女になる必要などない普通の子供を魔法少女に変えてしまう生体回路は、肩甲骨の中央あたりに植え込まれるのが常だ。

 だから私は小角雫の服を引きちぎって背中をむき出しにした。

 現れた小角の背面には、すっかり見慣れてしまった禍々しい術式用の紋様が施されている。その中央あたりに、不自然な肉の盛り上がりがある。大きなケロイドにも似たそれは、小さな生き物の心臓のようにぴくぴくと健気に脈打っていた。私はそれをつまんで、小角の体から引きはがす。肉体にすっかりなじんでいたそれを強引に毟られるのは想像を絶するほど痛いのだろう、他の量産型と同じように小角は私の足の下で絶叫した。

 私に横顔を踏まれているせいで、その叫びはくぐもった不細工なものになった。それが何故かおかしくて、表情筋が勝手に笑みを浮かべていた。


 ──実果?


 懐かしい声で名前を呼ばれたのはその時だ。視界の隅では小さな影がちらついていたので、顔を向ける。そこにあったのはレジスターの乗ったカウンターだ。白いウサギのヌイグルミに似た生き物が、赤いビーズで出来たような目をおののかせて私を見つめていた。記憶にある姿と全くにても似つかないのに、それがかつての仲間だった名原弥生だと理解する。

 

 久しぶり、ぐらいのことは言ったと思う。






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あの子の夢を叶えて、お願い。 ピクルズジンジャー @amenotou

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