四大魔法少女カルテットと呼ばれていたあのチームで活動していたころのことは、私の記憶でも鮮明だ。忘れたいのに忘れさせてくれない程度には。


『会合があって三日後だったかしら、魔法少女として初めての召喚があったのは。

 なーんにも呼び出しのない日を二日くらい過ごして、真秀にかけてもらった護符メダイユをいじりながら、ひょっとしたらあの時のことって夢だったのかな? あの日、図書館を壊した敵には人に幻を見せるタイプの魔法使いもいて、私は人より長い幻覚を見てたのかな? なんて、疑問が生じ始めた頃でした。

 退屈な教室で先生の声を聴きながら、時間をやりすごしていた所、突然、カランカランって鐘の音が聴こえたんです。大聖堂の塔で鳴らされるような鐘の音よ? 結構大きなものだったのに、私以外の生徒たちや先生も皆平然としていました。

 どうやらこの鐘の音は私にしか聴こえない。ということはこれが、真秀という名前のお姉さんが言っていた「鐘」だ。ということはどこかに敵がいるんだ──!

 いよいよその時が来た、と、緊張しながらその場で挙手をしました。先生には省の方から通達があったらしく、しばらく席を外すと告げると、十分気を付けてね、等と付け足しつつ小さく頷きながら私を快く外にだしてくれました。

 鐘の音にあわせて、宝石部分が明滅する護符メダイユを握りしめ、校舎の外に出るとエメラルドグリーンのドレス姿を纏った真秀がいました。中世西欧州の高貴な女性が着ていたドレスを思わせるシックな戦闘衣装姿の真秀は、どういうわけか髪まで宝石のような色に変化した上に、その髪にレースのヴェールをかけています。しかも背中にはとっくに絶滅したとされる妖精フェアリー種のそれを思わせる透明の羽根を生やしていました。

 真秀が変身している、それは一目でわかりましたが、あまりにも私の知っている魔法少女とは異なりすぎたんです。軍服のデザインを引き継いだ従来型魔法少女の戦闘衣装に比べるとそれは大変優美で、晩餐会に出席できそうなほどでした。

 初出撃で右も左もわからない私へのフォローのため、真秀はわざわざこちらに立ち寄ってくれたのです。私の緊張を解くように微笑みかけながら、しかしきびきびと早口で指示をだします。


護符メダイユに触れて、それから呪文を唱えるの。後のことはそれから。急いで!」


 ──そういえば、ありす、あなたと時々みていた魔法少女のアニメーション。あの連続物語には毎回悠長な変身場面が挿入されていたわよね。初めて見た時、それが私たちが出撃前に戦闘衣装姿に変身する瞬間とあまりによく似ていたのでかなり驚かされたものです。 

 尊き魔法界女王エンプレスの御力を貸し給えといった意味になる古代語の呪文を、真秀の言うとおりに唱えた途端、私体は光に包まれました。でも、それはほんの一瞬で、気が付くとレモンイエローの戦闘衣装に妖精フェアリー種の羽根を生やした姿に変わっていたんです。大人びた真秀のデザインとは違って、私のものはパニエで短いスカートを膨らませた、かなり子供っぽいものでしたが。

 羽根を生やしたことで飛行魔法の仕様が可能になった私は、真秀に手を引かれるまま空を飛んで、敵が暴れていた区域まで移動しました。本来ならどれだけ速い移動を謳う交通機関であっても最低三時間はかかるあたりの街が現場で、敵の魔導士が召喚した大きな怪物が好き放題に暴れまわっている姿が目に入りました。

 それと同時に、お姫様ドレスのような戦闘衣装姿のユリアが大きな杖を振るって逃げ遅れた人々を大きな障壁で護っている姿や、ユリアのそれとは装飾が少なすぎる水色の戦闘衣装姿のミカが大きな剣を構えて宙を素早く移動しながら怪物と闘っている所も。

 生まれて初めて、自分の中にしっかり意識がある状態で魔法を使った戦闘です。その日一日はサポートに徹してくれた真秀に言われるがまま、地下から召喚した鉱物を鎖や刃物に変化させるといった魔法を駆使した筈ですが、何分初めてのことでいっぱいいっぱい、恐怖すら感じている間もないという有様で、自分がどれほど役に立てたのかはわかりません。

 よく頑張ったわね、すごかったよ等々、真秀とユリアが私の初陣を褒めてねぎらってくれましたが、実果はこちらを見ることなく「お疲れ」とだけ言い残して、ひゅんっとその場から消え去りました。

 カフェでの印象の通り、ボブカットのお姉さんはとっつきにくい人だな。ちょっと怖いな。

 でも大きな剣を持って戦う所は格好いいかも。

 その時私は、確かそんな風に思ったはずです。

 こんな風に、私の魔法少女としての日々は始まりまったんです。

 最初はおっかなびっくりだったけど、面倒見がよくて指導力のあった真秀や、新しい魔法を一つ覚えただけでも自分のことのように大喜びしてくれるユリアのおかげで、自信をもって魔法少女活動に励むことができるようになりました。

 恐ろしかった戦闘も、真秀が持つ聖杯からあふれ出る大量の水が敵の魔力と悪意を徹底的に注ぎ落してくれることが分かってからは、次第に平気になってゆきました。真秀の浄化の魔法は威力が大きい分、聖杯に魔力が溜まるまで魔法界女帝エンプレスに祈り続けなければならないのが難点だったけれど。

 都市や町を破壊しようと暴れる敵を直接戦うのが、大剣を媒介にした攻撃魔法を振るう実果。

 逃げ遅れた人々を助けたり敵の放つ危険な魔法から私たちを護るのが、大きな杖を持つユリア。

 大量の魔力と集中力、それに何より祈り続けなければならない数分間無防備にならざるを得ないけれど、どんな敵の悪意と敵意も流せる強力な浄化の魔法を放つことの出来る真秀。

 私たち四大魔法少女カルテットにとっての必殺技ともいえる浄化の魔法の準備が整うまでどうしても無防備になってしまう真秀を、地面から召喚する金属や鉱物を駆使して護る私。

 そんな役割分担が自然と出来上がった頃には、私たちの戦績はみるみるうちに上昇しました。

 私たち四人が現れた場所の被害は極端に少ない。この惑星から人類を排除するとまで息巻いていた敵が戦意をすっかり喪失し、自分たちの非礼を詫びつつ自分たちの世界へ帰って行ってしまう。被害を最低限に食い止めてくれる。

 私たちの働きは、絶え間ない敵との戦闘に疲弊した故郷の人々に支持されて、やがて「四大魔法少女カルテット」だなんてもてはやされるになりました。──断っておくけど、自慢じゃありません。単なる事実なんです。ああもう、だから私はあなたに現役の魔法少女時代のことを語りたくなかったのよ。そんなつもりがないのに昔の栄光を誇っているようだもの。

 でも、恥ずかしいことに、この頃の私は人々のそんな声に少しばかり──いえ、もう正直にいましょう、かなり、調子に乗ってしまったのは事実です。

 怖れていた魔法少女活動だけど、力強い仲間に恵まれたおかげで恐怖を感じる機会は少ない。金属や鉱物を媒介にした私の固有魔法を発展させて、様々なアイテムを作ってみるのも面白い。私たちに助けられた人々から感謝されるのも、アジア州や南北アメリカ州など遠く離れた場所で活動している有名な魔法少女チームと並んでメディアで取り上げられる機会がふえたことにも、幼い自尊心をくすぐられました。

 ──この話をするにはかなりの勇気が必要だったんだけど、書き終えた今はすごくスッキリしています。こんなことならもっと早く打ち明けるべきだった。』


 私達が四大魔法少女カルテットと呼ばれていた日々は、弥生の中でも耐えがたい記憶と化していたらしい。もともと魔法少女になりたくなかった所も、私と共通している。

 私も弥生と同様、魔法少女になどなりたくはなかった。ただ、なってしまった。

 あの夜に魔法界女帝エンプレスの声を聴いたりしていなければ。

 もっと言うなら、私が住んでいた町を踏み荒らして暴れていた敵が、戦闘中に想定を超えた魔力放射攻撃をしなければ。

 その余波で、あの町の住民ほとんどが避難していたシェルターのライフライン管理システムを制御する精霊が狂い、地下の密室内に有害物質を発生させるなんていう未曽有の事故を引き起こしたりしなければ。

 新鮮な空気を求めた人々が喉を掻きむしり、密閉されたドアを拳がつぶれる程たたき、爪がはがれるほどに引っかき、天井付近にはまともな空気があると思い込んだ人達が我先にと他人の体を踏みつけて高い所へ上ろうとしなければ。

 生存本能の塊になった人たちにあちこち踏まれ蹴られても、吐き気すらする壮絶な息苦しさに痛みすら感じず、ただ喉をを抑えて、涙や鼻水で顔を汚して、人々の悲鳴や怒号や火のついたような子供の泣き声に耳を塞ぐことすらできなくて、ただただイヤダイヤダココカラダシテシニタクナイと頭の中はそればかりになっていたあのタイミングであの声を聴かなければ。

 苦痛の中で泣き喚きながら無我夢中で伸ばした両手の中に両刃の大剣が出現しなければ。

 周囲にいた人々を数人巻き添えにしながらそれを振るったりしなければ。 

 大剣から生じた突風で、黙示録クラスの衝撃も相殺するという触れ込みだった分厚いシャッターを打ち破って新鮮な空気を引き入れなければ。 

 私の両親や弟、幼馴染、クラスメイト、顔なじみの人たち等々、シェルターに逃げ込んだ親しい人々と挨拶もないまま別れることになり、「そんな魔法が使えたならどうしてもっと早くしてくれなかったの?」「あんたがあの状況であの剣を振るったせいで家族が大けがをした」といった類の罵詈雑言を投げつけられるような体験をしていなければ。

 家も無くなり、腫物のように扱う人達だらけの町に今までと同じように暮らせる気になどなるわけがなく、省の役人が呼びかけるままに私を誘った魔法少女たち──むろん、ユリアと真秀だ──と顔を合わせる気になんかならなければ。

 私は、魔法少女になどなりはしなかったし、中浦ユリアのことなど最初から知ることなく一生を終える筈だったのだ。

 ユリアだって、魔法界女帝エンプレスの声など聴かなければ、あんな目には逢いはしなかっただろう。思考も嗜好も甘ったるいあんな子には、一生何にも選ばれずに慎ましく平和で幸福な人生が与えられていたはずなのに。

 お砂糖とスパイス、フルーツにクリーム、リボンにフリル、キラキラとふわふわ。手をとって微笑みあえば、テーブルを囲んでお茶を飲めば、ケンカしていたみんなもいずれ仲良し。本当はみんなはケンカなんてきらいなんだよ、痛いし怖いしつまんないだけだもん。魔法界女王エンプレス様もね、それをお望みなんだから……──等といった愚にもつかない信念。その他諸々、どれもこれも私の嫌いなもののみで出来上がった女の子、それが中浦ユリアだったのだから。


『そもそも魔法界女帝エンプレスって何? 実は私も何度かそう考えたことがあります。

 魔法界女帝エンプレスは、魔法界の住人である私たちにとっても正直よくわからない、ただ大昔から「居る」とされている存在だったんです。

 私たちのような地上に張り付く小さいもの達を常に照らし見守る太陽ににも似た、偉大なる魔法使い。そのように漠然と伝えられていました。

 魔法という妙なる力を授かったにも関わらず、争いが絶えない私たちを見捨てないでいて下さる方として大昔からなんとなく信仰されていた存在。それが魔法界女帝エンプレス。私のお気に入りだった考古学や文化人類学の本にも、大昔の人たちに信仰されていた素朴な地母神信仰だったものが時代が下がり魔法界内の交流が増えてゆくにつれて魔法界女帝エンプレス信仰に統合されたっていう当時の見解が書かれていたわね。

 でもね、たまたま私たちの世界にとってはそうだっただけ。

 魔法界のあちこちには、魔法界女帝エンプレスが根強く信仰されている世界が存在しました。それこそ、ありすの世界の神仏のように、慕われ、信じられてきたんです。』


 シロツメクサの生い茂るこの野原の彼方、小さな丘の上に石で造られた建造物がみえる。

 幾世紀もこの場所に在り続けたことを示すように、石造りの柱や壁には蔦が絡まり、ところどころは風化し、崩れ落ちている。

 なお、私と手妻ありすがここにたどり着いて早々の魔法戦の結果、数十分ほど前には現存していた尖塔が崩壊した。今では無残な土台だけがもうもうとした土煙を纏っている。

 伝承の通り魔法界女帝エンプレスが居た城であるとは信じることは出来ないが、それでも古代文明の貴重な文化財を破壊したことには変わりない。昔のように、ちくりとした痛みが胸に生じた。

 そういえば弥生は、戦闘の際に私が不可抗力で文化財の類を破壊してしまった時、必ず悲鳴や悲嘆にくれた声をあげたものだった。ああ……という、魂まで出てゆきそうな声がいつもいつも私を責めるようで、私はその都度、罪悪感とともにかうかないら立ちを味合わせることになったものだ。

 まともに話しかけてはこない癖に、私の挙動を常に見つめている。その癖、用があるのかと声をかければ、目を泳がせてしどろもどろになる。そんな弥生が不可解で、生意気なくせにつきあい難い後輩だと思っていたものだった。しかし、そうか。そうだったのか。

 考古学や文化人類学の類が好きだった、と、弥生はこのだらだらと長いメッセージに書き込んでいる。やむを得ないとはいえ人類文明の貴重な遺産を破壊されてゆく様が、ただ純粋に耐えられなかっただけだったのだ。 

 悪いことをしたな、今になってそんな思いが胸に浮かんだ。

 それと同時に、この期になってようやく名原弥生の一面を知った自分の薄情さを覚えた。

 弥生や真秀の思い出も収められていたはずの領域も、今はユリアに占領されている。


『私たち四大魔法少女カルテットの中で魔法界女帝エンプレスについて一番詳しかった魔法少女、それも真秀に違いありません。

 彼女は、小さい頃から魔法界女帝エンプレスの思想とごく身近に接していたという、私の故郷ではかなり珍しい魔法少女でした。実は、真秀は異世界からやってきた魔法少女の血を引く女の子だったんです。

 そのことを知ったのは、魔法少女活動にも慣れた頃合いの、本当になんでもない日のことでした。たまには四人でお買い物をしたいってゴネるユリアにつきあって、いつものカフェにほど近いアクセサリーショップを冷やかしていた時でした。

 普段はサイドの髪で隠れている真秀の耳を始めて目にして、ついまじまじと見つめてしまったんです。ツンと小さくとがっている真秀の耳は、私が見慣れた人類の耳とは異なるものでした。他人の身体的特徴に見入ってしまってきまり悪くなった私に構わず、真秀は鏡を覗きながら耳たぶに気に入ったピアスを近づけながら教えてくれました。

 

「私のお祖母様はね、魔法界女帝エンプレスの乙女の一人としてこの世界に渡っていらしたの。大戦終結後の混乱期、食べるものや住むところにも困っているこの世界の人々窮乏を知っていてもたってもいられなくなったんですって。私が魔法界女帝エンプレス様から途方もないほど強力な魔法の力を授かったのは戦乙女として勝利と我欲に固執する悪しき心を滅するためではない、魔力を吸い上げられたあげく恐ろしい魔法で瀕死の状態にまでなった精霊たちに縋るほか生きるすべを持たない、あの世界と人々を救う為だ! そう確信したんですって」


 私たちの生まれる何十年も前、魔法界の大半が危うく滅しかけた大戦争があったんです。

 私の故郷も無事では済まず、この世界に遍く四大元素の全てが大量破壊兵器によって消失してしまう寸前までに陥った──という歴史があるのですが、詳しい説明はやめましょう。いくら何でも話が逸れすぎだし、ありすが眠ってはいけませんから。

 つやつや輝く亜麻色の髪や、くっきりとした目鼻立ち。シックなお嬢様学校の制服が引き立てる華やかな容姿から類推して、真秀は私のような先祖代々の東ユーラシア人ではないことが明らかでした。ご両親かお祖父さんお祖母さんの代に西ユーラシア系の方がいらっしゃるんだろうな、とそんな風に思っていたんです。

 しかしこの見立ては間違いで、真秀の母方のお婆さんがこの世界の方ではなく、魔法界内にある魔法界女帝エンプレス信仰の篤いとある世界からはるばるこちらにやってこられた方だと真秀は明かしてくれました。それを知って、私は少なからず驚いたことを覚えています。前例が無いわけではないにしても、帰化した異世界人と結婚し、家族を設けた人はまだまだ珍しかったのです。

 それと同時に、一つの謎が解けてスッキリしたことを覚えています。

 四大魔法少女カルテットの中で一番目立つのは、リーダーでもあり、戦闘の最後で絶大な効果を発揮する浄化魔法の使い手だった真秀でした。

 メディアの取材や、防衛省の方との交渉も、社交性が高く丁寧な立ち居振る舞いが身についている真秀が受け持っていました。

 明るくて可愛らしいけど、夢見がちなあまり突飛なことばかり口にするユリア。

 モデル事務所に何度もスカウトされていたくらい整った美形なのに、メディアや私たち以外の人間にはにこりともしなかった不愛想な実果。

 親しくなった人にはうるさいくらいに話しかけてしまうけれど、知らない人を前にすると緊張のあまりしどろもどろになってまともになにも言えなくなるくらい人見知りの激しい私。

 ほらね、真秀以外のメンバーには社交面では不安になるような子しかいなかったの。だから、こうなるのも自然の流れだったんです。

 変身後のドレス姿になった真秀には、シンデレラを魔法で着飾らせた仙女めいた優美さがあったので、メディア映えは抜群でした。私たちの存在は真秀を通じて世間に知れ渡るようになったんです。

 真秀は必ず、戦闘終了後の取材の度に微笑みながらこう付け足していたんです。「魔法界女帝エンプレスのご加護があらんことを」って。

 優しくて頼りになるリーダーであることには議論の余地もなかった真秀だったけど、何かというとすぐに魔法界女帝エンプレスのことを持ち出すことに私はやや違和感を抱いていたんです。言葉を選ばずに言うと、魔法界女帝エンプレスを持ち出す時の真秀は優しく微笑んでいても、少し、怖かった。防衛省の高官さんや制服姿の魔法少女の抗議や反論を、微笑みながらも頑なに聞き入れない時は特に。

 ただ声を聴いたというだけで、そこまで強く信じられるものなのか? 魔法界女帝エンプレスって……。魔法少女になってすら、魔法界女帝エンプレスを信じる気にはなかなかなれない私には、真秀やユリアがごく当たり前によくわからない不確かなものを受け入れることが奇妙に思えてならなかったのです。

 そんな疑問がようやく解けた、その時はそう感じました。やや異様にも思える真秀の魔法界女帝エンプレス信仰は、異世界から来たというそのお祖母さんからの影響なんだ、と。それは私の胸のもやもやを吹き払ってくれるかのようでした。

 そんな思いが顔に出たんでしょうね、真秀は柔和に微笑みかけたんです。気にしなくていいのよ、そう語り掛けるように。


「ここは魔法界女帝エンプレス様から遠ざかることで発展した世界の一つだけど、でも、私たちがかの方のことを思い出しさえすれば、あの方はいつでもすぐに手を差し伸べてくださるの。魔法界女帝エンプレス様の御許で人々が争うことなく穏やかに生きていた大昔の思い出す。それさえできれば、無益な争いは消滅する──。お祖母様は私にそうお話してくださったわ」 

 

 私はそれを聞いて、ただ頷くことしかできませんでした。』

 

 弥生は手紙で、私が既に知っている情報を語っている。彼女の口調によく似た冗長な文章につきあっていると、嫌でも記憶の蓋が開く。弥生を通してユリアに関する記憶が思考を侵す。

 まだ弥生が合流する前、あのカフェの特等席で会合を開くようになった頃、甘いものなど食べる気にならなくてストレートの紅茶だけで時間をつぶしていると、ユリアは勝手に私にメニューを押し付けた。


──ねえ、ミカ。あたしこの前、いつもの白桃のタルトがなかったから、ブルーベリーとフロマージュのタルトっての食べたんだ。わりとあっさりしてるっていうか甘さ控えめだったから、多分ミカ向きだよ? おすすめ。

 

 三人のうち自分と真秀だけがお菓子を食べてるのは気まずいから、新入りもお菓子を食べて茶飲み話に参加しろということか、要は。ひねくれた私はそう解釈した。

 余計なおせっかいを焼くのはやめてと言おうとしたのに、ユリアは勝手にそれを注文してしまった。

 数分後に私の前に置かれた、クリームチーズのベースにブルーベリーを敷き詰めた集合体恐怖症の人間なら見るだけで悲鳴をあげそうな外観のタルトと、期待に満ちたユリアの童顔を見比べる。口に合わなかったらこの子に押し付けようと勝手に決めながら、タルトにフォークをつきさした。

 それから会合に顔を出す度、ユリアは勝手に私用にブルーベリーのタルトを注文するようになってしまった。前回、美味しいともまずいとも言った覚えはなく、魔法界女帝エンプレスに関する真秀とユリアの会話をただ聞き流す時間をもたせるためにブルーベリーが敷き詰められたタルトを黙って口に運んでいた。それをユリアは自分の都合のいいように受け取っていた、私がそれを気に入ったのだと。


──ね、ほら。ミカ向きだったでしょ~? あたしはもうちょっとしっかり甘いのが好きなんだけどね。


 童顔を得意げに輝かせてそういうものだから、別に好きでも嫌いでもないと正直に告げる気持ちは霧散してしまう。それからずっとユリアは私のためにブルーベリーとクリームチーズのタルトをオーダーし続けた。

 私とは違い、ユリアの進めるままにレモンタルトを注文した弥生は素直に「美味しい!」と歓声を上げていたはずである。その時の得意げなユリアが、お気に入りだった白桃のタルトにフォークを差し入れていた様子はよく覚えている。

 そんな様子を見守る真秀がよく食べていたのは、宝石みたいなマスカットで飾られたタルトだった。限られた季節でしか食べられない人気商品なのに、販売時期になると真秀は必ずそれを食べていた。決して安価ではないマスカットのタルトと真秀が身に着けているお嬢様学校の制服の意味を考えながら、私は窓の外から通りを見下ろしていた。そんな記憶が蘇る。

 かつての仲間がしたためた文章のせいで、もうとっくに忘れていたと思い込んでいたある日の会話や、店の匂い、タルト生地の歯触りとつぶされるブルーベリーのぷちぷちとした食感、その時の舌の上に広がったいつもの味。そして長らく忘れていた、ユリアの自慢げな表情も。

 できればこの時のユリアによる、私を少なからずイライラさせたドヤ顔を覚えておきたかった。

 最後に話した時にみせた、あの一点のくもりも迷いもなく澄み切った、まったくもって中浦ユリアらしくなかった笑顔などではなく。


『ありす、大人になっても長い文章を読むのがおそらく得意ではないだろうあなたは、そろそろうんざりしているんじゃないかしら。なので、私たちにとってはかけがえのない時間が過ぎた後に待ち受けていたものが何であったのかを早く話してしまいましょう。

 ある日突然──本当はそんなわけはありません。それまでに兆候は現れていたのに、みんな気づかないふりをしてたんです──、魔法界女帝エンプレス派の魔法少女たちに認められていた自由裁量を禁じる、そんな法律が出来たんです。

 ありすにも伝わりやすいように纏めると、こんな風になります。


「これからは、他の魔法少女と同じように規律に従うこと。魔法界女帝エンプレスの言葉を盾にした作戦参加や命令の拒否や拒絶には一切応じない。場合によっては罰則を与える」

「この法律に違反したものは、再教育施設へ一定期間収容される。再教育課程修了後は訓練校に入学した上で通常の魔法少女教育を受講するか、あるいは、今後一切魔法少女として活動はしないと宣誓した上で魔力の封印措置を受けること」

「なお、断りもなく魔法界女帝エンプレスの名を騙りながら人々を扇動しようとした者も、同様の処分を受けることになる」


 どう、ありす。これを読んであなたはどんな風に感じた? ちょっとくらいは「酷い!」って腹を立ててくれた? 信じられない言葉を聞いた時によく口にしたように「嘘だ~」って言ってくれた?

 嘘じゃないのよ、ありす、本当にそういう法律が出来てしまったんです。 

 原因は一つだけ。

 私たちが魔法界女帝エンプレスを信望する魔法界内の同士たちと結託し、この世界の自治権を奪おうとしている。色とりどりの戦闘衣装に身を包んで奇跡じみた魔法を使うあの女の子達は、何かというと耳あたりのいい言葉を吐く。だが本当はその陰で、魔法界女帝エンプレスの存在を信じられないものを排除し、その声を聴くすべもない者たちの上に君臨するつもりなのだ。あいつらは我々人類の裏切り者なのだ。

 そんな愚にもつかない疑いが、故郷の世界全体に蔓延してしまったためでした。

 ──ありす、ちゃんとついて来ている? 長い話をするときにかならずあなたが浮かべていたボンヤリした表情を、私は今思い浮かべています。』


 手紙の中で、弥生は大人になったと想定している手妻ありすを何度も気遣っている。それほどまでに、手妻ありすは物覚えの悪い少女だったのだろうか。思わずシロツメクサの絨毯の上で横たわり沈黙している少女の肉体を見下ろす。


「ちゃんとついて来れてるかってさ」


 手妻ありすの魂はひとかけらでもこの肉体の中にのこっているのだろうか。

 私の位置からは背を向ける格好で投げ出されている手妻ありすの横顔には、軽く波打った明るい色味の髪が散らばって眼元のあたりがよくうかがえない。短くカットされたサイドの髪では隠せなかった口元や鼻のあたりは露出していたが、血で汚れている

 私の思い出の中にいる弥生は未だに小柄なやせっぽちな年下の女の子のままだ。常に本を最低一冊は携帯し、おどおどと要領を得ないことを口にして、私やユリアを困惑させていた頃のまま。

 そういえば、弥生のくだくだしい言葉を聞いてすぐにそれを理解して簡潔に伝え治すのも、真秀の仕事だった。

 真秀に頼るのが不可能になって以降の弥生は、あいかわらず簡潔さからは程遠い口ぶりながら、自分より年下の少女に手を尽くして何かを伝えようとしている。手紙の文面から、私が最後にあった時より弥生がずっと成長していたことを感じ取る。

 思えば四大魔法少女カルテットの中で、あのあとちゃんと自身の時間を進めることができたのは、弥生だけなのだ。 

 今更のように気づいた時、ざあっと風が吹き抜けてシロツメクサを再び揺らした。

 

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