現実《コノ》世界 1


 ページが捲れる音がする。

 ぺらり、ぺらり、ぺらりと進む度に熱が増していく。

 足先に、腿に、腰に、背中に、やがて首に。

 頬にこもる淡い熱、少し埃臭い本の匂い、遠くに聞こえる誰かの声。


(音と熱――、そう……ここは確か……)


 倒れたドミノを一つ一つ起こして戻すように、意識が帰ってくるのを感じながら、最後のピースを起こして、メクルは瞼を上げて目を覚ましました。



『御影ー!!』『『ファイオ、ファイオ、ファイオ』』



 元気のいい声を追いかける気怠げな声、運動部の掛け声がはっきりと聞こえ出すと、ようやく現実感が戻ってくるのを感じると、背を起こし椅子の背もたれに押しつけ伸びを一つ。



「くぅ……ぅぅ……ふぁー」



 ぼやける視界をこすりあげ、欠伸も一つ。

 涙ぐむ視界のまま見渡すそこは普段と変わらぬ本の世界でした。

 ファンタジーな意味ではなく、学園により購入された書籍が収められた背の高い棚々が並ぶ部屋。

 図書室でした。

 メクルは貸し出し口のカウンター内で少し夢見心地のまま、柱にかけられた壁掛け時計を確認しました。


(……ちょっと遅くなっちゃったかな)


 足下の鞄から取り出したスマートフォンを取り出すと日付と時間を再度確認、時刻は午後4時を示していました。

 

どうやら無事にあの世界から帰ってこれたと、一安心したメクルの横顔に、



「あの、すみません」



 唐突に声がかかると、まだ目が覚め切っていないメクルは思わずビクリ。



「え、あっ、はいっ」



 慌てて振り向くと、そこには一人の男子学生が立っていました。

 シンプルな黒い学ラン姿、不評との噂ですがメクルはむしろ硬派で男らしくて格好いいと思っています。

 今回は着ている本人が自信なさげに背を曲げ、両肩も下げているせいで男らしさは皆無でした。



「ご、ごめんなさい、私つい居眠りを……お待たせしましたか?」


「? いえ、本を探していたので気付かなかったよ、それよりこれ借りたいので、お願いします」



 そういって男子生徒が差し出したのは、最近図書室に入荷したばかりのライトノベルでした。

 固い内容ばかりの本では図書室から人が遠ざかるのでと、メクルが学園側に頼み込んで入荷してもらったオススメの一冊。



「わかりました、すぐに手続きしますね、学生手帳を貸してもらえますか?」


「あぁえっと……はい、どうぞ」



 すこし寝ぼけていてもメクルは立派な図書委員、手渡された学生手帳と本をICカードリーダーにおいて、すばやく貸し出し手続きをします。



「はい、これで貸し出しできます、期間は最大で二週間です、もし貸し出し延長したかったら御影アプリで延滞手続きできますので」


「ありがと、それじゃ」


「あ、ちょっとまってもらっていいですか!」



 すぐに去ろうとする男子学生を呼び止めて、メクルは貸し出しカウンターの下を漁ると、一枚の用紙と一冊の本を重ねて差し出しました。



「……これは?」


「ええっとですね、現在図書委員では謎の文芸部が書いた作品をお試しで配布していましてですね、よければ読んでほしいのですが……」


「え、謎の文芸部? いや、素人作品には興味ないかな」


「も、もし読んで感想文なんかをここに持ってきてくれたら、なんと食券三日分と交換するってサービスをしてます、一言でもいいんです、もし紙に書くのが面倒だったら私に直接お話をしてもらっても食券をプレゼントします、いかがでしょうか?」



 できるだけ優しい営業スマイルを浮かべながら、怪しい勧誘にならないようにメクルも努めます、男子学生は少し悩むように眉を寄せ、やがて、



「直接感想を言ってもいいのなら……」



 そう言って、男子学生は用紙と本を受け取ってくれました。



「それでこれ、どんな話なの?」


「え? あー、えーっと……」



 その質問にメクルは少し考えるように腕を組み、眉を寄せました。そして、



「これも異世界物のラノベです、主人公はすごい力を女神様に授かり、それはもう強かったのですが、とある事件でその力を失い、愛する物のためにまた1から努力をしていく、みたいな話で」


「へぇ……最近流行ってますよね、努力系主人公、僕も好きです」


「そ、そうですか! それはよかった……じゃぁまた後日にでも」


「はい、んじゃ、また今度」



 そう言って、男子生徒は図書室を去っていきました。

 その背中を見送ってから、メクルは一息つきます。

 どうやら彼が本日最後のお客様になりそうでした。

 


(私も支度しよっと)

 


 席を立とうとした、その時でした。コンコンと、扉を叩く音がして、視線を上げて見れば、開けっ放しになっている図書室の扉をノックした人物がこちらを見ていました。



「ようメクル、おつかれ」



 ヒロでした。


 快活な笑顔で挨拶をしてきたのは男勝り金髪ポニーテールという、もはや現実世界では絶滅危惧種に認定されている希少属性のヒロでした。


 陶器のような滑らかな白い肌、翡翠色の瞳はイギリス人の父から、日本人離れした容姿はスェウェーデン人の母から遺伝子を受け継いだ純海外製の風貌な上、家柄も確かな音楽一家生まれのお嬢様です。


 なのにその格好ときたら上下ジャージにTシャツ、シャツには英語で『この野郎、食らえ俺の音楽!』とかかれています。

 胸も大きいので『この野郎』の部分だけが無駄に強調されています。 


 さらに上のジャージに至っては暑いのか袖をクルクルと巻き込んで肩を出しています。 

 運動部の男子生徒がやるならまだしも、女子がやるにはダサイです、かなりダサイです。乙女力は0に近いです。



「……おつ」


 

 そんなヒロの後ろから現れたのはピーシーでした。


 省略省エネ主義の薄紫髪の少女、せっかくの可愛い顔立ちもマフラーをマスクのようにしっかり巻いていて見えません、そのせいかが印象的で、それよりも異様なのは制服の上に着込んだ厚手の黒色のダッフルコード、もろに冬着です。


 季節は夏です。


 季節感を正しく捉えている格好は半袖ジャージにズボンのヒロの方が正解です。



「ピーシー、ヒロ、二人ともお疲れ様、時間は?」


「俺たちは15分前、あの後すぐに戻ったけど、お前は?」


「……今、起きたところ」


「はい? じゃぁお前15分間も向こうでなにやってたんだよ?」


「ちょっとした後書きに、少し時間かかっちゃって」


「後書きって……おいおい、あんな野郎のためにわざわざ創作してきたのか? 世話好きだなぁほんと」


「……うん、あのままじゃ可愛そうだし、あ、それよりピーシー」



 名前を呼ばれたピーシーがまだ眠たそうに目を細め、マフラーの中であくびをしていました。



「……ふぁに?」


「田中君の記憶のコピーは上手くできた?」


「できてた、データ、演劇部へ、でも」


「コピーはコピー、劣化してるよね、わかってる、じゃぁとりあえず報告に行こう」


「だな、今回の報酬も貰わないとだ、なんだかんだで長かったしなぁ」


「……でも、任務、失敗、報酬、ある?」


「いや失敗じゃなくね? うん、まぁどうだろな……微妙なとこではある」


「命令違反を言い出したのは私だし、覚悟はできてるよ、大丈夫、処分は私が受けるから」



 メクルは足下に置いてあった学生鞄を掴むとカウンターの上に貸し出し休止中の札を立ててから、三人は図書室を出ました。

 これから色んな後処理が待っていますが、まず目指すべき場所は『会長室』

 きっと怒られるだけじゃすまないのだろうと、重くなる両足を前に出して、メクル達は廊下を進みます。




 § § § 




 息を吸い込み、すこし落ち着いてから意を決してメクルがコンコンとノックを2つ鳴らします。



「入りなさい」



 ゴシックなデザインの木製扉、その向こうからすぐさま返ってきたのは根太い男性の声でした。

 招かれた声に従ってノブを回して扉を開くと、涼しい風が三人を撫でます。

 冷房です、広い暑い埃くさいオマケに湿気も溜まりやすい図書室には一機も構えてくれないのに、十二畳ほどの一室にエアコンが設置されています。中を自動で掃除してくれる最新型。おまけに扇風機まであります、無駄に羽のないリング型の奴です。学園権力の横暴を感じずにはいられません。



「……涼しい」



 部屋に最初に駆け込みそういったのはピーシーでした。



「なら脱げっての、そのコートとマフラー見てるだけでこっちまで暑苦しいんだよ」



 ヒロはジャージを脱いで肩にかけるとシャツの裾をつまんでバタバタと冷気を胸やお腹に送り込みます。壊滅的に恥じらいがありません。



「失礼します、生徒会長」



 そして最後に入って扉を閉めたメクルだけは一応の礼節を忘れていませんでした。


 白い遮光カーテンで閉じられた生徒会室、真ん中に応接テーブルとそれを挟むように1人掛けのソファーが2台、中央向かって四人掛けソファーが1台と、その向こうにはやたら重厚感あふれる木製の高級執務机がありました。


 執務机の向こうには、これもやたら大きくて高級そうな革張りのデスクチェアがメクル達に背を向けています。



「メクル、ヒロ、ピーシー、図書委員実行部以下三名、ご依頼のあった高等部2年田中剛男子学生の救出作戦より帰還、結果をご報告に来ました」



 背筋をピンと張り、まるで自衛官による上官への報告のようにメクルが声を張ります。



「聞こう、まずは経緯からもう一度報告したまへ」



 背を向けた椅子の向こうから太く男らしい声がしました。


 生徒会室の中に少し緊張感のある空気が走ります。



「はい、おおよそ18時間前、学園より第13異世界『ネピリウム』へと転送された田中剛男子学生を天文部が発見、三十分後、生徒会執行部が救出作戦を立案、図書委員実行部隊3名による救出作戦を展開、天文部の協力のもとネピリウムへ転送完了後に現地時間で三ヶ月間の情報収集を行いました」


「……三ヶ月か、随分と下準備に時間がかかったのだな、ふむ、ネピリウムか、これで転送者は9人目だったか?」


「はい、今回の転送でネピリウム異世界における神々が抱えていた『魔王問題』は結果的には解決されました……、しかし裏目にも出ました」


「なるほど、君達が三ヶ月も情報収集に時間をかけたのなら、彼は一筋縄ではいかない人間だった、と……概《おおむね、やりすぎた、といったところか」


「はい、彼が神々から授けられたチートは『時間停止タイムストップ』、確認されている能力の中でも最も危険度の高いチート能力でした」


「時間停止か、破格の能力だな、それで?」


「三ヶ月間、彼の痕跡を追いながら情報収集を行い彼の素行調査とその裏付けを進め、能力を解明、その力を保持したまま現実世界への帰還の是非は判断が分かれると思い、生徒会執行部に報告、返答は救出作戦の即時中止と撤退でした……、しかし」


、なんだ?」



 生徒会室にさらに冷たい空気が吹き詰めます。


 三人を一度も見ようとしない生徒会長の気配が、椅子越しなのに強くなるのを感じます。


 強ばるメクルの背筋に冷たい物が一筋流れました。




「彼の行為をこのまま放置すれば、やがてネピリウムにとっての新たな火種、『新たな魔王問題』になると思い、私が個人的に能力で、彼を…………しました」




 隔離と自ら口にした時、メクルの胸に重い何かが生まれます。

 自分のとった行動、それは生徒会からの命令に反することでした。

 本来なら報告後にすべてを放置して、命令通りに帰還すれば、それでよかったのです。

 知らない異世界の事など、すべて無視して。



「つまり君は、自分の意思で、彼を勝手に“”した、ということか?」



 生徒会長の声に、先ほどよりも鋭さが籠もります。

 咎めるような声でした。



「おいおい会長、メクルの判断は正しかったぜ」



 強ばるメクルの背中を叩いて緊張を解いてくれたのはヒロでした。



「田中は能力を好きに使ってそこら中の女を襲ってたクソ野郎だ、明らかに異性に対する私怨みたいなのを感じたね」


「性格、独善的、幼稚、自己判断能力、欠如、責任転嫁、最低」



 ピーシーもヒロとメクルの判断に賛成でした。

 

 そもそも説得が失敗した時点で、メクルが田中剛を能力で創造世界へと隔離するところまで打ち合わせ通りだったのです。



「仮に現実世界に連れ帰っても『施錠』する前に力を一度でも発動されたら手が着けられねぇだろ、気がついたら腹のデカくなった女子が大量に現れましたーなんてことになるぜ?」


「それは憶測だな、彼が異性への私怨とやらを持つ根拠は?」



 依然として冷たい声を放つ生徒会長へ今度はメクルが続けます。



「あります、ネピリウムへと向かう前に占い部、演劇部に協力してもらい田中君の学園内の身辺調査を簡易的ではありますが行いました、結果、同クラス生徒達、特に異性からの肉体面及び精神面も含めた集団暴行の事実を確認。期間は高等部一年の冬から、ここ最近まで行われていたそうです、つまりは」





 でした。

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