第一章 クタバレ無敵チート

僕の異世界 1


 ∞ ∞ ∞ ∞



 思えば遠くに来たものだ。


 薄暮はくぼの森林で焚き火に揺らめく炎を見つめていると、僕はふとそんな事を考えてしまった。

 

 少し寂しいような妙な感覚だ、センチメンタルというやつだろうか。


 思い返せば何もかもが懐かしい、あの世界での人生になんの未練もないはずなのに、こんな気分になるだなんて自分でも意外だった。


 今僕は半年前までは考えもしなかった場所に膝を抱えて座っている。


 通っていた高校はもちろん、日本、いや地球すら今は遠く、遠い、この世界。

 近いと言えば、RPG、アニメ、ライトノベルの世界の方がよほど近い場所だろう。


 ここはミルト大陸の北に広がる大森林。

 アリマバハ深緑地帯は一般人が滅多に寄り付かない危険指定地域だ。


 貴重な薬草群生地でもあるため、命と金を天秤にかけてみるに、満ちる自信や名誉を金銭の側の皿に上乗せしてしまった冒険者達がやってきては、その多くは帰れないまま森に生息するモンスターの餌となる。


 その中でも不運なのは、この森で一番大きな縄張りをもつ一つ目狼達に出会った冒険者達だろう。


 統率がとれた狼の群れというだけでも厄介なのに、人語を話せるほどの知能がある。


 罠をはり、群れで追い込み、巧みに退路を断つ。


 そうとも知らずに森へと入り、うっかり彼らの縄張りに足跡一つでも残せば、臭いをたどってやってくる。ゆっくり焚火なんて囲んでいると、気付いたときには彼らに囲まれている。戦利品の分配について話し合っている周りで、自分たち肉の分配についての話し合いも終わっているとは思うまい。


 最後は彼らの排泄物になって薬草の養分になるのだから、運がない……いや、あるのか?


 そんな危険なこの森はゲームで言うなら初見殺しのエリア、セーブポイントから出直してこいといった場所だ。



「でみ……僕にとっては大した敵じゃないわけだけど」


 

 そんな危険地帯で堂々と焚火をしている、何故か? 理由は簡単、あの狼達は一匹残らず僕が倒したからだ。


 退屈な程に簡単だった。


 まず群れの長を倒せば他のオオカミ達の連携は乱れ、後は簡単に処理することができた。


 目的の薬草も大量に手に入れたし、あとはもう後は帰るだけ……、だったのだけど。



「……はぁ、腹減ったなぁ」



 僕はたき火に追加の枯れ枝を投げ込み、その場にゴロンと横になった。


 背中に刺さる小石の煩わしさにため息を吐きながら、夜空を見上げた。


 木々の隙間から降り注ぐ月明かりを幻想的な物を感じたのは本当に最初だけで、今はそんな事より今は暖かいベッドと酒場が恋しい、早く街へと帰って冷たいエールで喉を洗いたいのだが、そうもいかない理由が僕の隣で寝ていた。


 月光と炎に照らされる彼女を見た。


 この世界でも極めて希少種であるハイエルフの少女、リムサはまだ苦しそうにその精緻な横顔を歪めている。

 狼との戦闘後、旅の仲間である彼女が唐突に体調を崩してしまった。

 持ってきていた解毒の薬瓶を飲ませて少しは症状が緩和したとはいえ、街までの長い道のりを乗り切る体力はすでに無く、不本意ながらここで一夜を明かすこととなったのは予定外だった。


 予定外なので食料が足りず、今日は近くにいた猪と熊を足したような獣を狩って調理してみたけど、臭みが強く、肉も硬い、つまり不味くて食えたものではなかった。


 なのに腹の虫は、捨ててしまった肉の事を未練がましくグーグー鳴いては呼んでいる。



「……う、ぅ……ぁ……ツヨシ、さま」



 苦しそうな声色に気づき起き上がって彼女を見てみれば、寝苦しそうに額に汗を浮かべていた。僕はそっと声をかけた。



「リムサ、おきたのか?」



 鞄から綿布のハンカチを取り出して、革袋の水筒から水を染みこませてから彼女を起こさないように汗を拭い、そのまま彼女の額へとそっとハンカチをかぶせた。


 少しだけ楽になったのか、険しい表情が和らぐと彼女が薄ぼんやりと目を開いた。



「大丈夫か?」


「……はい、もう大丈夫です……、ツヨシ様」



 僕を安心させようとしたのか、ぼんやりとした顔で無理に微笑むリムサのか弱い笑顔に、思わず庇護欲ひごよくが疼いた。



 淡雪のような白い肌に春を思わせる桜色の唇、少し潤んだ新緑の瞳にそれが収まる日本のアイドルも目じゃない小顔に浮かぶ小さな汗、それを覆うように流れる白く艶やかな長い髪、それらを支える細く華奢な身体は、元いた世界ではまずお目にかかれない二次元の美少女像そのものだ。


 そんな美少女ヒロインが今は部族の衣装と外套を脱いで絹地の薄着姿。


 幼さと色気を同時に宿す身体、白いシーツがその艶美なラインを浮き上がらせていた。




 ゴクリ、と、僕は思わず喉を鳴らした。



「ツヨシ様……、私、夢を見ていました……」



「え、あ、夢? 珍しい、あ、でも確かリムサが見る夢は予知夢だったよね? なにを見たの?」



 そう訪ねると、リムサは少し思い出すように目を閉じると、今度は耳を赤くして、


「はい、神のお告げでした……そ、それで……それはとても、幸せな夢でした」


 自分にかけてあったシーツをたくし上げて微笑む唇を隠してはいるが、赤い耳がピコピコと動くのは止められなかったようだ。


「春の日差しが暖かくて、風が喜んでいて、里の皆さんがいて、お父様とお母様がいて……それで」


 ここで言葉を止めたリムサの耳がさらに赤くなり、シーツをさらに強く握りしめた。


「それで?」


「……そ、それで、私とツヨシ様がいて」


「うん、これから里に帰れるんだから、それは夢じゃなくなるよ」


「ほ、本当ですか?」


「もちろん、ここの薬草さえあればハイエルフの霊薬が作れるんだよね?」


「……はい、そして里の皆はツヨシ様に命を救われます……だからその、少しくらい許してくれると思うんです」



 なにを? 訪ね返す前に、シーツを握りしめる両手が震えているのを見て、僕はそっとその両手に片手を置いた。


 少し驚いたのか彼女の拳がさらに強く握りしめられた。


 リムサが深く息を吸い込んで吐き出して、また短く吸い込んで、



「夢には、私とツヨシ様がいて……、その間に、一人のが居たんです」



 言葉の意味を読み解くのに数秒、答えはまっすぐに僕を見つめてくる彼女の瞳にあった。



「え、じゃ、えっ……その、まさか……」



 リムサの耳がさらに真っ赤に染まり、ピコピコはさらに加速している。



「……は、はい、そうだと思います、わ、私と、ツヨシ様の……その……」



 涙をいっぱいに含んだ瞳、微笑みで零れ落ちた一滴がシーツに吸い込まれた。


 リムサの予知夢は今まで外れたことが無いらしい、つまりは、そういう事らしかった。



「そ、そうか、それはその、おめでとう?」


「な、なんで他人事なんですかっ!」



 僕のリアクションに思わず背を起こしたリムサがか細い手でペシリと肩を叩いた。



「そ、そうだよね! い、いや、その、動転しちゃって……」



 思えば彼女と行動を共にするようになって二ヶ月以上、薬草を探して各地を転々とする旅路の中で関係が深まりつつあるのは感じていた。だけど、こんな風にネタばらしされるのは、さすがに驚いた。



「ツヨシ様とこの薬草を持って帰れば、きっと里の皆も例えツヨシ様が人種だったとしても許してくれると思うんです、その……私たちの、暮らしを」


「へ、へぇ、あぁうん、そうだよね、うん……」



 思考が上手く追いつかない、それだけ衝撃的で、僕の胸の奥から沸き上がってくるのを確かに感じた。ジワリと血液が熱を帯びだして、両肘と両膝がむず痒い気持ちになった。


 誰かに好かれるというのは、こんな風に心地がいいのか。



「だからその、ツヨシ様…………、これからも、この私の天命尽きる定めの冬まで、この命が春の大地へと還るその時まで、私を貴方様の隣に居させてください」



 真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに、僕を見つめる彼女。


 これは逃れようのない、リムサからの愛の告白だった。


 こんな僕が、こんな日を迎える時が来るとは誰が思うだろうか。


 嘘じゃない、ここには暖かな真実しかない。



「うん、わかった、二人で……いや、



 今度こそ正しいリアクションをした僕に、リムサは大きく目を見開いて、微笑みながら涙を溢す。混ざり合って溢れ出す感情を隠そうとシーツを顔に押し当てて、小さな嗚咽をシーツに染み込ませた。


 僕はそんな彼女をそっと抱きしめた、それが今、僕にできる一番正しい事だと思えたから。



「……うっ、ふぐ、ぅぅ……私、そのなんだか、嬉しくて、幸せで……」



 泣きじゃくる彼女の背を優しくさする。込み上げてくる愛おしさに、思わず僕も泣きそうだった。


 そのまま彼女が落ち着くまで背を撫で、頭を撫で、その後は二人で同じシーツにくるまった。


 体温を分け合うように、彼女の身体を強く、強く抱いたまま、僕は彼女の肌に口づけをした。

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