夏秋冬春・第42話 ゆしかと真心②どんなに先の、どんな季節でも

          ▽


 滝を背景に、三脚を立てて真心はセルフタイマーで写真を撮る。


「……よし!」


 シャッターボタンを押して、真心は小走りでフレームの中に入る。

 秘境を彷徨い歩いてようやく神秘的な滝を見つけた、という驚愕の表情をひとりで作る。

 かしゃん、とシャッター音がした瞬間、


「こらぁっ!」


 蹴り飛ばされた。

 前のめりに倒れ込み、地面に額を打つ。すぐに立ち上がって振り返る。


「ぐ……っ、なにすんだお前は!」


 腰に手を当て、不機嫌な顔で立つゆしかがいた。


「こっちの台詞だよ! なにしてんだひとりで! 不審者もいいとこだよ!?」

「おっ……お前がいつまで経っても来ねえから、仕方なく」

「ひと言言ってよ! 撮影に集中してたらいつの間にかいないんだもん!」

「何度も声掛けたわ! 先行くぞって言ったら『うんー』って答えてたろ!」

「聞いてない! ただの相槌だよそれ!」

「知らねえよ!」


 剣呑な顔を見合わせ、互いに互いの頬を引っ張った。


          △


 二ヶ月の化学療法の後、ゆしかは寛解したと診断され退院した。

 予定どおりの治療日程ではあったが、簡単に回復したわけではない。真心はその間数え切れないほど、ひとは死ぬものなのだと痛感せずにはいられなかった。

 本当に、ぎりぎりのところで助かったのだ。今回も。


 一旦叔父の家で療養し、真心は週末に叔父の家へ通う日々となった。そしてゆしかが車椅子から降り、杖をついて歩けるようになり、少しずつ身体の制御を取り戻し始めたころから……真心の家で、真心が世話をするようになった。


 そしてゆしかが自分の家に戻ってひとりで暮らせるようになるまでは、さらに数ヶ月がかかった。


「このまま一緒に住まねえか? 別の家に引っ越したっていい」


 と言う真心に対して、ゆしかは首を横に振って


「ひとりがいいんだ。今は、まだ」


 と笑った。


「この恩は、一生懸けて返すよ。見捨てないでくれて、ありがとね」

「こっちの台詞だ」

「え?」

「お前が帰ってきてくれて……俺はようやく思えたんだ」


 真心は、十数年凝り固まった汚れがさっぱり落ちたような笑みを浮かべた。


「あのとき、とにかく彼女が生き延びられて良かった、って」


 そのひと言で、まるで蛇口の壊れた水道のようにゆしかは泣き出した。真心は頭を撫でる。


「この日常に帰ってきてくれて……本当にありがとう」

「ひっ……干からびさせる気かぁっ!」


 渾身の力で繰り出されたのは、実に数ヶ月ぶりの猫パンチだった。


          ▽


 じゃれ合うような、と言うにはいささか全力過ぎる言い合いの後……まだお互いに仏頂面ながら、今度はふたりで、セルフタイマーを使って写真を撮ることにした。


 真心はゆしかが回復した後から、出かけるとき自分のカメラを持ち出すようになった。そして行く先々で、ゆしかを撮った。慈しむようにシャッターを切り続けた。


 そしてここ、というスポットでは、ふたりが入る写真を撮ろうと提案した。他の観光客がいても撮影を頼むのではなく、構図や露出、シャッタースピードを含めてコントロールしながら、自分たちで画面を作り込んでいこうとした。


(残すことを、あれから俺はずっと恐れていた)


 彼女を失い、それまで撮ってきた全てが無駄になったと思った。むしろ残してきたことを後悔した。あんな風に撮り続け、写真を見ることで記憶に刻み込んできたせいで、行ったことのある場所を想像すると、当時の楽しかった記憶が鮮明に思い出され、胸が痛んだ。


 失うかもしれない存在との思い出を記録することを、真心はもうやめた。

 だからカメラをまた持ち出すようになったのには、そういう意味がある。


「じゃあ撮るぞ……よし!」


 シャッターを押して、真心はゆしかの隣まで駆け寄る。

 秘境を彷徨い歩いてようやく神秘的な滝を見つけた、という驚愕の表情をふたりで作る。


 かしゃん。


 シャッター音がして、ふたりでカメラの画像を確認する。


「ちょっと真心の目線が微妙じゃない?」

「そうか? お前こそ指の方向が俺と合ってないぞ」

「じゃ、もっかい」


 リテイクも日常茶飯事だ。別に撮ったものをどこかへ発表するわけでも、SNSに投稿するわけでもない。だがまるで作品を撮るように真剣だった。


「よし、じゃ……いくぞ」


 真心が再びシャッターボタンを押す。



 ゆしかの病気は、完治しない。

 またいつか再発するかもしれないし、そもそも病に関係なく、なんらかの理由で心身どちらかを壊してしまうかもしれない。それは真心にだって同じことが言える。

 なにせ「人生って奴は、思わぬ角度から思わぬ方法で全てをぶち壊してくる」のだ。



 真心が駆け寄る途中で、悪戯っぽい顔になったゆしかが迎え撃つように駆け出す。

 手を伸ばし、飛び付いてきたゆしかを、真心は驚き、戸惑いながらも空中で受け止める。

 そのまま持ち上げようとして、バランスを崩し仰向けに倒れる。

 とっさに守ろうと強く抱き締めた頭が、すぐに腕を逃れる。

 上体を起こしたゆしかは、真心を押し倒すような格好だ。

 真心が見上げる表情は、予想していたとおり満面の笑顔だった。

 その笑顔が降ってくる。

 呆れながら瞼を閉じて、唇を迎えた。

 世界を切り取る音が鳴る。



 だから……未来のことが解らなくとも、ふたりはこう信じている。

 今日も、明日も、明後日も。

 一年後も十年後も百年後も。

 夏も秋も冬も春も。

 どんなに先の、どんな季節でも。



 顔を離したふたりが、目を合わせて同時に笑った。


『愛してるよ』



 ゆしかと真心は、同じ時の中にいる。

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ゆしかと真心 ヴァゴー @395VAGO

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