1-15 霏々/970F 3005



 ……その翌日スクネは、南に一里ほどの山中で発見された。当然ながら彼に宿へと引いた時点以降の記憶はなく、憔悴し、ただイヨのみがいないことに呆然としていた。


 まだアラヤとヤマテラスはトキの町にいたが、浮き足立った彼らは兵を集め、ケナを呼び寄せたのだった。分厚い雲で陽の差さぬ南中の海岸は、大波を呼び寄せ始めていた。

『確認したいことがある。アラヤ、お前は休眠から目覚めてスクネがいないと気づいた時点で周囲の第三者を警戒していたか』


「無論だ。目覚めた時どころか、隠れ家は兵の警戒領域にあったし、彼が退室した時点で通知がお前の入電と同時に来ていた。夢ん中でけたたましくな。その領域に居たのは俺ら四人と、兵士と、管理者の官憲だけだ。この奇妙な現象は何処からくるんだ、教えてくれよ」


『カラタケをしょっ引いた昨夜のことを思えば、奇妙とは思えんな...... 副長官とシンロウ博士は、包囲網の中をいとも容易くすり抜け、地下の装甲車三台もを引き連れて官庁街を脱出した......。この謎に対する手掛りの一つを、現場指揮官のクシマモリってやつが先刻零してくれた。聴きたいか』


「それは...... イヨを連れ去った者と同一人物であるということでもあるのか」


『地下駐車場を守衛していた部隊は、交戦の有無を現場に知らせることもなく全滅していた。摘出された弾丸は全てが一分八厘弾であり、彼らの自動小銃の発砲記録を鑑みるに恐らく、同士討ちだったのだろう......って話だ。部隊の銃が敵味方ないし使用者を識別できなくなった、という事態をあったと仮定するならばだ』


「......なるほど。お前がここに呼ばれた理由ってわけだな」


『カラタケの潜伏、オキ国の小艇、商隊に飛び込んできた思考戦車、取引現場の第四の人物、そして隠れ家で再び奪われたイヨ......、この全てにはワタヌキミクラの見立て通り、靑鰉国の通信機構網を有利に攻撃できる、特級の黒客くろまろうどが噛んでいる。......という仮定の上だと、彼らが取引事物を再度掌握した理由は何故か......。彼らが靑鰉を攻撃する上で、必要だったからだ』


「それが何かを考えろ」


『考えろ。取引しカラタケが手に入れたのは百禽の巫女、そして『剣』。それも剣神と、亡国の銘を受けた剣だ。それは恐らく天之尾羽張、又の名を、伊都之尾羽張......』

 アラヤはその名を聞くとともに、向こう側でケナが息を飲む音を聞いた。すでに彼はトキの町の兵員集結地点に折よく到着していたのだが、アラヤとの合流を待たず無線通信は切断された。


「ケナぁ!?」

 駆け寄って見れば、強風にはためく外套を羽織りつつ、ケナは靑鰉で貴神うずかみにも等しい人間の名を口走っていた。


「ヤサカオホセ! 今すぐ近衛兵と侍従を引き連れて社台を出立しろ! 切断? 何故だ」


「おいケナ、この期に及んで神頼みとは、なんだっていうんだ。何が起こってるのか教えろよ」


「......切断された? ......保安機構。須佐之男命の真体に電子的侵入者? 正体不明の輸送艦が真体に接近......?!」


「おい!!」


「神託を得る気だ。カラタケの一派、いや、副長官そえのかみは須佐之男命の神託と戦術核搭載弾道弾を盾に政権転覆を行う気だ!!」




「何故です養父上。何故靑鰉国の長たるわたしが逃げなければならぬのです!」

 幼いの子の声が響き渡る。だがすでに名も知れぬ兵団は、彼らの立て篭もる官邸の目と鼻の先まで詰め寄ってきており、彼女を養父は必死に説得していた。


「お前がその使命を強く肝に銘じているのは私がよく知っている。なればこそお前は、この国に必要なのだ。この国に巣食った膿が全て掃き出されるその時まで......耐えねばならん。それだけは、此処に残ろうと生き延びようと変わるまい。況や今までとも......」


「ミクラ!! あなたは!?」


 壮年の男は、覚悟を宿した背中で少女に語りかける。

「それもまた今までと変わるまい。私はお前と共に、お前の代わりに......全ての推移を見届ける義務がある」




『吉報と悲報を伝えねばならないな。......君のことだから悲報から伝えねばならないだろう』


「どちらでも変わらん。疾く」

 ヤサカのどこか軽々しい口調に、ケナは明確な反発を率直に伝える。それに応えるかの如くその次に豪神の分け身たる彼の紡ぐ言葉は、著しく冷静な色を帯びる。


『靑鰉国都イヅモの官邸に武装勢力が接近。神託を待たずに近衛兵との牽制を始めた。まだ武力衝突は起きていないが、ワタヌキムマレは先んじて脱出を開始した。今のところ大臣も、脱出を指示したミクラも無事であるからして指揮系統は生きている』


「お前自身はどうするんだ」


『短期間での事態収拾はかなり難しいと思われる。......君が懸念していた通り、反乱勢力の人員は靑鰉国内外を問わず、国内の反ワタヌキ家勢力の支援を受けていると思われる。靑鰉軍の指揮系統混乱が著しく、奴らの実働部隊の数は想定を遥かに超えていた。

 ......私は大王としての来るべき責務に備えて、生き延びなければならないと判断を下した。神の伝令者としてこの国に秩序を取り戻すためには、今はこれ以上できることがない。君も疾く、叶うならば共に狗奴国への帰路に着くといい』


「......検討しよう」

 気の進まない口調でケナは、その時虚空を見つめて口に漏らした。まだその行く末を決めかねているケナを、何かを背追い込んでしまったような瞳でスクネは見つめていた。


「アラヤ、大王は命惜しさに狗奴へ亡命するそうだ、お前はどうするんだ」


「俺の領域と生まれ故郷は飽くまで靑鰉だ。ヤサカがそういうならば、重祚ちょうそのための働きをするきなのが俺の仕事だ。だがお前はそうじゃない。お前の故郷で好きなように働くのがいい」


「そうだな。ヤマテラスも、短い間だが世話になった」




「待てよ、お前ら!!!」



 音が響く。数多あまたの視線が集まる中、スクネはぽつり、ぽつりと思いの丈を吐露していく。

「あいつが...... いなくなったのはオレのせいなんだ。こればかりはオレの我侭なんだが...... できることなら助けてやれないか。そのためにはなんだってやるし、命だって掛けてやる。あんたらの力を......」


「そう思うなら一人で助けに行ったらいいじゃないか。お前の国のいと貴き神の神体に潜り込む冒涜を犯し、集結する武装勢力を一人で相手してだ。その困難さは例え一人二人増えたって変わらん」


「お前って奴には情ってもッ」


「不可能に近いことを軽々しく請い、自分の命を盾に他者に強要する者に有情無情をなじられたくはない」


「おいケナ、いくらなんでもそれはないだろう」

「片方残った保護対象を最後まで護るという本分を忘れたなら、さっきの壮語を取り消せ。自分の立場を知らない奴を連れて行く必要はない」


「本当に一人で行くと言ってもかよ?!」


「......聞こえてなかったのか莫迦野郎。己の立場を知っててまだそんなことを言えるのか」


「イヨもまたそうだろう!? オレなんかよりよっぽど重要で、この中つ国に必要な人間になるはずだ。......オレがイヨやコウの代わりに死ぬべきだったんだ。お前らが行かなくたって助けに行きたいが、間違いなくオレは無力で一緒に殺されるだろう...... そうだろう?」


「イヨの存在が持つ何を取引したのかまだわからない上、それが生死を問わないという確信がない。ならばイヨを生かし続けるかもしれない、だから犬死にだというんだ。あいつの何が命を懸けるに足るっていうんだ」


 沸々とこみ上げる苛立ちにスクネは拳を握りしめ、俯き、自分が命を賭す理由を思い返していた。

「答えのない海の中に潜っちまった。真っ黒な中に沈んでいくんだ、もう何が本物か紛い物かもわからねえ、でもそんな中を、夜光虫みてえに微かで頼りないんだが確かな光をくれた奴がいたんだ。だからオレは己の存在理由を探してやる。例え何も意味がなくなったとしても」


 掌を開き見つめ、ケナを真っ直ぐに見つめる。長大な体駆が前進する意思を持って、詰め寄るのだ。ケナはそれを蔑ろにする姿勢ではいない。まっすぐ受け止めるように、耳をそばだてている。

「これは罪償いなんだ。オレがオレであるための理由を懸けて、あいつを助け出したい。実用艇でもなんでも掻っ払って、神様のはらわただろうとなんだろうと飛び込んでやる!」




「......」


「...........」



 沈黙と共に捧げられる視線に、確かな決心があることを聞き取ったケナは大きなため息を吐く。

「なあ、お前に本当に何かできることがあると思ってるんだったら、お目出度いんだよ」


「何かないのかよ! イヨは矢弾避けの術をお前が使えて感嘆していた。オレにかけたり」


「あんなんただの電子戦からくる目眩しだ、一時凌ぎにしかならんわ! 足手纏いになる気だろう、全く......」


「言い合っている場合かお前ら。大王、貴方の真体はどこにあられる」

 アラヤの問いに応え、ヤサカの幻影がトキの町の海辺に集結する彼らの前に現れる。


『かつて天にありける靑鰉の貴神は、自らの潔白にかまけ粗暴を行い、天を逐われた。かのものが櫛名田比売命を伴いイヅモと根堅洲国に根付き、此の国の天海を鎮護されたのは知るところであろう。その手は中つ国から高麗・粛慎まで、あらゆるところへと届くが、その全てを司る真体は根の国の狭間...... ツシマ海盆の底にて眠り置かれている』


「......狗奴国北西の島近くの...... 海盆ってのはなんだ。おい、ケナ。そんな海の向こうに俺たちのクニの神様がいるなんて知っていたのか」

 ヤサカの告げる言葉を信じ難そうなスクネの問いは、ケナもまた同じように抱えていたようだった。


「いや、知る由もないが...... 何故副長官は知り得た?」


「ケナ、鍵はこの場にいない者にこそある」

 ギリリ、という音が響いた。全身義体の男は縄張りを侵す者を威する狼の如く、肩を怒らせ、歯軋りを立てて立ち上がった。


「おい、どこに行く気だ」


「お前に言うまでもないだろう」


 真っ先に声を掛けたアラヤ、止める者が居ない事を悟るケナ。スクネはその場に深い静謐が漂うのを見た。


「鳥は高く天上に蔵れ、魚は深く水中に潜む......」


「誰の言葉だい」


「知らんな。きっと何処かで知らぬ間に憶えたんだろう、兎に角この二つを見るには海上に赴かねばならん」


 銀色の大空は輝く水滴を霏々と散らせ始める。

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滄海にむこふ 丘灯秋峯 @okatotokio

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