第4話

 翌日。


「美月! 朝ご飯よ~!」


 一階から母が呼ぶ声が聞こえたけれど、私はベッドから出なかった。

 母が階段を上がってくる音が聞こえてくる。


「美月?」


 ノックの後、ドアを開ける気配がした。


「美月、どうしたの?」

「頭が痛い」


 頭が痛いのは本当だった。泣き過ぎたせいか頭が重く気分が悪い。


「学校休むの?」

「……うん」


 布団を被ったままの私を不審に思ったのか、母が、


「美月。顔見せなさい」


 と言って布団をはぐった。


「泣いてたの? 目が腫れて酷いわ。大丈夫? 何かあったの? 昨日は晩ご飯食べなかったし。

もしかしていじめじゃないでしょうね?」


 今すぐにでも学校に連絡しそうな母に、


「いじめじゃない」


 と私は言った。


「でも、今日は学校に行きたくない」


 私の言葉に母はため息をついた。


「今日だけよ。じゃあ学校に連絡しとくわね。朝ご飯ぐらい食べなさい」

「もう少ししてから食べる」

「そう。じゃあ置いとくわね。後片付け出来そうならしといて」

「分かった」


 私はまた布団を頭まで被った。


 休まない方が良かったのだろうか。余計に行きにくくなるだろうか。でもずっと行かないわけにはいかない。

 明日は何事もなかったように。普通に。

 だから今日だけ休ませて。


 私は昨日遅くまで泣き続けていたので疲れていたのかまた眠りに落ちた。


 昼少し前に朝ご飯を食べて後片付けをし、また自室でベッドに横になった。


 またうとうとと微睡んでいると、昼休みの時間に桃果からLINEがきた。


『今日どうしたの? 具合悪いの? 大丈夫?』


 私は、


『風邪かな。頭が凄く痛くて。明日には行けると思う』


 と返して、ふと不安になった。あの男子たち、私の手帳のこと何か言いふらしていないだろうか。気になるけど、桃果になんて説明したらいいだろう。


『お大事にね』

『ねえ、今電話できない?』

『待って。教室出てから電話する』


 私はベッドから出て机の前に座ると、携帯を握ったまま桃果からの電話を待った。


 着信音が鳴り、すぐに電話に出る。


「美月? どうかしたの?」


 桃果が声を潜めて言ってきた。


「今どこ? 大丈夫?」

「トイレの中。それで?」

「あの、さ。私、昨日、手帳を学校に忘れちゃって。それで取りに行ったら男子たちに見られてたの」

「何それ、最悪! ムカつく!」

「その……私の手帳のこと何か話してる男子いなかった?」

「それは私の知ってる限りはいないけど……。見られたくないこと書いてたの?」

「……うん。まあ、そのことはまた今度話すね。とりあえず良かった。そのことが気になって」

「大丈夫だと思うけど、もし美月を悪く言ってる男子いたら怒っとくから」


 桃果の言葉に私の口が緩む。


「ありがとう。ごめんね、電話しちゃいけないのにさせて」

「大丈夫。明日学校でね!」


 私は桃果との電話で少しほっとしてまたベッドの中に入った。

 天井を見ながら考える。


 男子たちは言いふらしてはいないみたい。でも、一ノ瀬君のことを書いてたのを本人に知られた事実は変わらない。


 私の初恋は玉砕だ。

 せっかく好きな人できたのにな。


 涙は枯れてしまったのかもう出なかった。



 ピンポーン


 うう……ん。


 ピンポーン


 うるさいなあ。誰? 今何時かな?


 私はまた寝てしまったらしい。手元のスマホを見ると18時半を回っていた。


 ピンポーン


 母はまだ帰ってきていないのだろうか。


 私は仕方なくカーディガンを羽織って一階に降りる。


 ピンポーン


 急かされるようにまた音がして、私はガチャリとドアを開けた。


「はい? どちら様ですか?」


 宅配便か何かかと思って開けたドアの前にいたのは。


「一ノ瀬君……」


 私は途端に自分の格好がパジャマにカーディガンなのを思い出して、ドアを閉めようとした。そのドアを一ノ瀬君が掴んだ。


「待って。話を聞いてほしい」

「で、でも、私変な格好してるから」

「だったら見ないから」


 一ノ瀬君は言葉通りそっぽを向いた。でもなかなか口を開かない。


「あの、話って昨日の手帳のことですか?

ごめんなさい、勝手なことを書いて、一ノ瀬君に恥をかかせて……」


 私は沈黙に耐えきれなくなって言った。


「そのことだけど……」


 一ノ瀬君がやっと口を開いた。


「土曜日、練習の後なら映画行ける」


 一ノ瀬君が続けた言葉に私は意味を測りかねて沈黙した。

 気まずい空気が流れる。


「その……香川が嫌でなければ」


 一ノ瀬君がちらりと私を見てまた慌ててそっぽを向いた。


「一ノ瀬君」


 私は一ノ瀬君の心が分からなかった。


「私に同情してる?  私、一ノ瀬君のこと、本気で好きなの。だから、恥ずかしいけれど叶えばいいなと思うことを手帳に書いてたの。だから同情で映画に誘っているのなら、やめて?」


 一ノ瀬君はいつもの生真面目な視線を私に向けた。


「同情なんかじゃない。文化祭の時から気になってた。10時にお茶を立ててる香川が見えた。香川の立てるお茶を飲んでみたくなってお茶会に行ってみた。でもその時は香川は立てていなくて残念だった」


 ポツポツと一ノ瀬君は話した。


「俺は香川が良ければ香川と付き合いたい。手帳にある通り土曜に映画に行きたい。

そして、これからも香川が望むことはしていきたい。だめ、だろうか?」


 私はあまりのことに思考が停止しそうになるのをなんとか堪えた。


「本当に私でいいの?」

「香川がいい」

「よろしくお願いします」


 私は深々と頭を下げた。


「じゃあ、明日は学校来いよ」

「うん。あの、一ノ瀬君、ありがとう」


 一ノ瀬君は片手を上げると帰って行った。


 私はバタバタと二階の自室に戻って、手帳を胸の前で握りしめた。


「す、凄いよ。本当に一ノ瀬君と付き合うことになるなんて!

破こうとなんてしてごめんね! あなたは私のキューピッドだよ!」


 桃果にも明日話さなきゃ。

 この手帳が起こした奇跡の話を。

 きっと驚くぞ!


 その時の私はきっと好きな人のことを話す桃果の顔と同じになっていることだろう。



                      了

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手帳が起こした奇跡 天音 花香 @hanaka-amane

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