サルクススケガ(あぶり人肉)

 祭宴四日目のメインディッシュは、サルクススケガ〔Sårxskegh〕となった。

 料理名は直訳すればローストヒューマンで、皮と脂をカリカリに焼いた燔祭タバッシ〔Tâbbash〕[焼き物料理]である。

 これだけ聞くと人間の丸焼きを連想するが、生け贄たちは綺麗に解体済みだ。


「直球のネーミングですね」

「ローストポークと大して違わないでしょう」


 マルソイン邸厨房。コックコート姿のカズスムクに言われ、それもそうかと僕は納得した。ローストビーフなんかも美味しいものだし。

 祭宴の初日から三日目までは内臓類をいただいたので、精肉部分はこれからだ。死後硬直が解けて熟成され、肉が美味しくなってきたところだとか。


「今回はアジガロの胸、首、背中から取った肉・合計11コドラを使います」


 アジガロとはカズスムクの傍で仕えていた使用人で、今年の贄では筆頭を務めていた。贄の皮膚は和え物や炒め物、スナックなどにされていたが(どれも大変美味しかった)、彼の皮だけは残されていたらしい。


「サルクススケガは人の皮膚と脂肪とを味わう料理で、人気の品ですね。元来は冬至祭礼ユルサヴォール・トルバクッラ〔Yrzawơr Tǫlbakurra〕で食べるごちそうです」


 カズスムクは手際よく包丁を操り、皮目から脂身部分に切れこみを入れていった。各指三本程度の間隔を開け、ローリエ、クローブ、ニンニク、胡椒などを挟む。

 学問の徒として非常に惜しいのだが、ここで書いてあるハーブは正確ではない。

 サルクススケガで使うハーブの配分は家庭ごとにさまざまで、マルソイン家のレシピをそのまま載せるなと言われてしまったからだ。


「……し、舌を切ったら書いてもいいですか?」

「あなたの舌をいただいても困ります」


 ザデュイラル的にけっこうな罵倒を受けた気がするが、とにかく却下された。


「この【肉】は半日ほど寝かせるので、その間に付け合わせを用意していただきましょう。主に旬の食材から選びますが、私は別の料理に入ります」


 一族の長であるカズスムクは、ひたすら【肉】を調理するのが仕事だ。野菜などの付け合わせ類は、使用人や助手たちが作る。

 厨房はカズスムクの親族らが忙しく働いており、実に賑やかな有り様だ。


「何を作られますか? 伯爵」

「舌のビーツと蕾の酢漬けケッパー添えを」


 カズスムクは下処理しておいた舌を用意させた。

 沸騰させて冷ました塩水に、まるまる三日漬けこんだものだ。水気を拭くと、大きくて深い鍋にクール・ブイヨンの材料と共に入れた。

 クール・ブイヨンとは白ワイン、香味野菜、ハーブで作った魚介類をゆでるための煮汁だ。ザデュイラルでは魚は食べないが、肉料理に使われている。

 弱火で三時間から四時間、カズスムクは片時も鍋の傍を離れなかった。その間に僕は彼の叔父たちや使用人の様子を見ていたが、許して欲しい。

 僕が戻ってきた時には、彼は取り出した舌の皮を剥がし終え、根本の骨や筋を取り除いているところだった。


「いやあ、見事なお手際で」

「そう誇るようなことでもありません。ドレッシングを作りますよ」


 彼の言葉は謙遜なのか、それともザデュイラルではごく普通の技術なのか、僕には判断がつかない。

 ドレッシングの材料は、まろやかな風味のマスタード、オリーブオイル、白ワインのビネガー、レモン果汁とパセリ。これらをボウルで混ぜ合わせ、塩、挽きたての黒胡椒で味を整える。ビーツと蕾の酢漬けケッパーはまた別のボウルだ。

 後は舌をスライスして、盛りつければ完成。ちなみにビーツは、ザデュイラルではよく食べられる。


「時間はかかるけれど、シンプルな料理ですね」

「しかし作るときは緊張しますよ。舌は希少な部位ですからね、失敗できません」


 人肉料理も気苦労が多いようだ。

 休憩を挟んで、カズスムクはサルクススケガの調理に戻った。すっかりハーブの香りが移った【肉】を、温めておいたオーブンに入れて下焼きする。

 肉を取り出して冷ましたら、全体に大量の塩をすり込む工程だ。僕は思わず不安になって訊ねた。


「……伯爵。塩が少々多すぎませんか」

「いいえ、これで良いのです。塩が余分な脂を肉に落とし、豊潤な肉汁の源になるのです。しかし塩が足りなければ、皮はパリパリした歯ごたえになりません」

「なるほど、これがサルクススケガの要なんですね」

「その通り」


 さて、ここからの本焼きがまた大変だ。焼き加減をよく見張り、落ちてくる肉汁を集めたら、それをくり返しかけながら焼く地道な作業。

 もともとは人間の肉と脂だというのに、唾液が抗えない濃厚な香りが広がる。カズスムクの叔父たちは、肉汁を何度かもらってソース作りに活用した。


 厨房はどこもかしこも、鼻に迫る香ばしさでいっぱいだ。ニンニクと植物油が焦げる匂いに混じって、人の脂が焼けている。そして野菜や果物のみずみずしい香り。

 一様な肉の色に対して、用意された付け合わせは目にも鮮やかだ。

 スライスしたオレンジ、アーモンドバターでソテーしたリンゴ、マッシュポテトにオーブン焼きのじゃがいも。赤キャベツの酢漬けもあれば、新鮮なハーブも。


さあ、召し上がれカムシーイ・デニアマザン」〔Kamsgi dengåmasan〕


 丸一日手をかけた料理が出そろうと、その夜の祭宴パクサが始まった。食前歌イニクヴサを皆で歌ったら、後はおしゃべり禁止だ。

 ザデュイラルでは食事中に話すことは大変な無作法とされ、会話したければ正餐語ヤクタユム・ガプサラという専用の手話を使う。

 特に祭礼の時は古シター典礼正餐語というものが必要で、僕はカズスムクの容赦ない指導によって、曲がりなりにも初歩の正餐語を修得した。させられた。


「死者の【肉】をむ時、我々は死者自身と対話しているのです。そのような時に他人と別の話を始めたら、礼を失するというものでしょう?」


 とカズスムクは言ったものだ。


 祭宴は立食形式で行われる。僕は前菜のツユク〔Ztyk〕(煮こごり)や、カトナ〔Katna〕という脂身の塩漬け(※去年仕込まれたもの)と生タマネギのオープンサンド、アスパラガスのポタージュなどと共にサルクススケガを取ってきた。

 こんがりと焼き上がった肉の塊に、ローリエの葉が挟まったままの外見には驚かされる。ナイフを入れるとスッととろけるように切れ、肉汁があふれる。


いただきますアグイエ・ユワ


 典礼正餐語で食前の礼を取り、僕はまず酢をかけた煮こごりを口に放りこんだ。八時間以上煮こんだすね肉のスープを、刻んだ肉に注いで一晩置いて固めたものだ。

 さっぱりした気分で、いよいよ本日のメインディッシュに手を伸ばす。一切れ取って歯を立てると、香ばしい皮がぱりっと砕けた。おお、その歯ごたえときたら!


 カリカリと硬く、サクサクと軽く、割れると旨味に満ちた香気が広がって食欲が爆発する。そして皮の下から流れ出す、汁気と脂の洪水。もうよだれがこぼれそうだ。

 肉汁をすすりながら更に歯を押しこむと、筋肉の繊維が作る抵抗があった。それがぶつぶつと切れる感触に、肉を食べているなあと原始的な満足感を覚える。


美味しいカムシーイ……!』〔Kamsgi〕


 僕は改めて、カズスムクの腕前にうなった。

 旨味そのものはごく単純、しかして単調ではない。すり込まれたハーブによって臭みはまったくなく、複雑な風味が主張なく背後に隠れる。

 素材の味を最大限に引き出した、まさに肉のごちそうだ。口がこってりしてきたら、酢漬けのキャベツやジャガイモといった付け合わせで少し休憩する。


(僕が人間のあぶり焼きを喜んで食べてるなんて知ったら、父さんも母さんもなんて言うだろうな)


 そういえばこの国に来る前、僕を止めた家族も友人も、僕が食べられることは心配していても、僕が人間を食べる心配はしていなかった。

 まあ、僕自身も人肉を食べたくてこの国に来たわけじゃないが。


(そもそも、生前からの知り合いを平気で食べてるなんて、頭がおかしくなったと言われそうだ)


 アジガロには生前、何度かお世話になった。ソムスキッラに失礼を働いて怒られたり、美味しい花茶を入れてもらったり。

 僕が今口にしているのは、アジガロの首か胸か背中か。皮があるからか、脳を食べた時以上に、彼の体に歯を立てているという事実を実感する。

 三年後には、タミーラクもまたこのような姿になって、皇帝や家族に食われるのだ。そしてその時、カズスムクは彼の【肉】を食らう権利に預かることはない。


 僕は狂っているのだろうか?

 人の心を失ってしまったのだろうか?

 今すぐ吐き出してしまうのが、本当は人として正しいことなんじゃないか?


 けれど、生きていたころのアジガロの姿を、厳粛な気持ちで儀式に臨んだ彼の姿を、心を込めて彼を捌いたカズスムクたちを思うと、そんな疑念は吹き飛んでいく。

 だから、言うべきことは一つなのだ。


ごちそうさまでしたスラクタ・コウ・テマル

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【出張版ザデュイラル】マルソイン家のサルクススケガ(あぶり人肉) 雨藤フラシ @Ankhlore

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