『コユワイ王の春狩り』

 一二六七年六号月下旬。無事に夏至祭礼を迎えた僕は、贄を殺害する奉納の儀、若い男女三名の遺体を解体する作業のすべてを見学した。

 強烈な体験だったが、その話は別項に譲るとして。ここでは贄の身を食べ尽くす九日間のうたげ・祭宴パクサについて語ろう。



 祭宴パクサの会場は、カズスムクの婚約者・イェキオリシ伯爵令嬢ソムスキッラが中心となって整えられた。

 彼が正式に爵位を継いだ暁には彼女との婚礼を挙げ、ソムスキッラはマルソイン家の女主人となる。カズスムクの叔母たちと共に大張り切りだ。

 僕はといえば、贄の解体から調理工程を見学していたので、彼女らが立ち働く姿を見ることはなかったのだが。


 祭宴パクサ一日目の終わり。一度部屋に戻っていた僕は、ぶらぶらと邸内の散策に出かけた。

 この屋敷は何度歩いても新しい発見がある。ぱっと見は故国ガラテヤとそう違いのない内装に思えるが、よくよく観察すれば、ありとあらゆる意匠が血なまぐさい人狩りと、人間を調理する場面を中心としていた。


 壁紙の浮き彫り細工を見れば、赤ん坊が煮られる鍋が。階段の手すりを見れば、逆さ吊りにされた首なし死体が。

 壁のつづれ織りや、絨毯に使われている図案もまた、豪奢な地獄絵図の数々だ。角を持つ人間が、角のない人間を狩り立て、殺し、バラバラに捌いて食べる。

 これらのデザインは、彼らにとって僕の種族は猪や雉と同じ獲物でしかなかった時代をしのばせた。最初は驚いたが、どれも興味深いものだ。

 今年の夏至祭礼が終われば、僕は故郷へ帰る。滞在期間はもう十日を切ってしまったなあと感慨深く思いながら、僕はしぜんと宴会場へ足を向けていた。


(なんだかんだ、宴会中は食事に集中して飾りつけはそんなに観察できなかったし。スケッチできるうちにしておこう)


 会場は大勢の招待客を招き入れるため、食堂ではなく図書室を開放して設営されている。書架には色とりどりの絨毯がかけられ、場の中心には神像が設置されていた。

 この神像は、祭礼の贄として死んだ三人をかたどったもので、最終日に取り壊して食べる巨大な焼き菓子だ。神像の前には、本人たちの頭蓋骨も飾られている。


「あれ、お嬢さまユーダフラトル?」


 誰もいないと思っていた会場に、銀髪の少女がいた。やや青みがかかった髪を高く結い上げ、きりっと澄んだ顔に眼鏡をかけている。ソムスキッラその人だ。

 相変わらず、ガラテヤ育ちの僕には目のやり場に困るタイトなドレス姿でいる。盛装のまま、まだ休む気のない格好だ。


 彼女は一幅の絵画を眺めていた。生首を髪でくくって吊した木と、その下で首をねられる人族、タイトルは『コユワイ王の春狩り』。

 元来は屋敷の食堂に飾られていたものだが、わざわざ移したらしい。周りには、過去の祭宴パクサで撮られた集合写真の額も飾られている。

 ソムスキッラは僕に気づくと、視線だけで軽く会釈した。

 どこか張りつめたような表情だが、彼女は常に「たるむぐらいなら死ぬ」という気迫に満ちた面立ちをしているので、いつものことと思えばそうかもしれない。


「明日の会場設営でも考えておられましたか」

「そんなところよ。おばさま方は無理しなくていい、とおっしゃるけど」


 まだ寝静まるには早い時間だ。とはいえ、彼女は今日一日忙しくしていたし、ゆっくり休んで良いと思うのだが。未来の伯爵夫人はそうも言っていられないのだろう。

 そんなことを考えていると、ソムスキッラはつと絵画を指さした。


「あなた、この絵のいわくをご存じ?」

「『コユワイ王の春狩り』ですか、詳しくはないですね。タイトルからすると、その昔に行われた人狩りの場面のようですが」


 ザデュイラルは、かつてタルザーニスカ半島に存在した三国が統一されて誕生した帝国だ。コユワイ王は三国の一つ・アミパナフ王国の人だったと聞く。

 アミパナフは百箇所を超える人間牧場を持ち、季節ごとに人狩りをしたと言う。


「ここをご覧なさい」


 ソムスキッラが指す一点、生首がたわわに吊されたものとは別の木に、首のない死体が逆さに吊されていた。その下には、なみなみと血で満たされた桶がある。


「あ、これは気づかなかったな。しかしこれが何か……?」


 ふと違和感を覚えた。首を落とされた死体は、背景に山と折り重なっているが、食べるつもりなら吊るして血抜きするはずだ。

 だが彼女が指さしたもの以外は、ゴミのように打ち捨てられている。


「もしかして、この絵は人狩りではなく、ただの虐殺?」


 そう、とソムスキッラは静かに肯定した。


「吊るされている首なし死体は、コユワイ王の一人息子・キサユ王子よ。王子は初めての狩りだったけれど、獲物に抵抗されて命を落とした。怒り狂った王はこの猟場を潰すことに決め、獲物に飼っていた人族を皆殺しにしたの」

「思っていた以上の惨劇ですね」


 死体を食べずに打ち捨てて、虫や獣が食い荒らすままにすることは、ザデュイラルでは重罪人への処置だ。アミパナフのコユワイ王にとっても、最大限の侮辱だったに違いない。王はこの後、血抜きしたキサユ王子を食べて弔ったのだろう。

 息子を食べる父親。ガラテヤに居た時は考えられないが、今の僕には身近な人々の顔をいくつか思い浮かべる話だ。この絵にそんな背景があったなんて。


「コユワイ王は、愛息子の味を忘れられなかったばかりに、次男クユサユを手にかけた愚王として知られているわ。キサユ王子亡き後生まれた子で、十歳にもならなかったのに、ある日突然打ち殺してしまった。それが娘の怒りを買ったわ」


 続くソムスキッラの語りに、僕は二度仰天した。


「記録によると、コユワイ王はクユサユ王子を煮こんだシチューを食べている時に、長女カプホルに斬り殺されたそうよ。そして彼女は女王として即位し、以後アミパナフでは親が子を食らうことを厳しく禁じた」

「でも、ザデュイラルでは現在それを禁じてはいませんよね?」


 食人習俗のある社会では、しばしば捕食関係と性交渉は関連付けて考えられている。近親相姦にならないよう、父は娘を、息子は母を、兄は妹を食べることを避けるのだ。だがこの国では、捕食関係と婚姻関係は切り離されていた。


「ええ。アミパナフが他の二国と統一されて帝国となった時、その禁は解かれてしまったようね」


 僕は口に出さない彼女の声を聞いた気がした。――我が子の味は堪えられぬ美味だから、禁じられたくなかったのね、と。


 カズスムクの叔父・ハーシュサクは息子を贄に差し出し、自身もその【肉】を味わった。タミーラクも贄に捧げられれば、両親が皇帝と共にその身を口にする。

 贄に出された者の家族は、【肉】の分け前に預かることが当然の権利とされており、僕もそう思っていた。ザデュイラルの葬儀習慣としても妥当なはずだ。

 だが『コユワイ王の春狩り』の背景を聞くと、この権利には一種の欲望もまた絡んでいるのではないか、と嫌な想像が首をもたげる。


「私たちは皆、愛するものほど食べたくなる」


 ぽつりと、ソムスキッラは絵から視線を動かさぬまま言った。


「喪いたくないから、自分の中に相手を引き留めようとして。消えてしまうから、最後に残されたものを一つも取りこぼさないように」


 絵画の愚王を見つめていた目が、初めて僕に向けられる。

 生きた宝石のように青い瞳が。それはただ美しいというだけでなく、秘められた意志の硬質さを宿した眼差しだからこそ、そう思えた。


「わたくし、必ずカズスムクよりも長生きして、彼をきちんと美味しくいただくと決めているのよ」


 張りつめていたような表情がほどけ、口元をほころばせた顔は、僕が滞在中に初めて見たソムスキッラの笑顔だ。カズスムクやタミーラクと朗らかに話している場面は何度も見たが、僕に対して笑いかけたのは、この時が最初だろう。

 しかし、振られた内容はのろけ話だ。では、言うべきはこれだろう。


ごちそうさまでしたスラクタ・コウ・テマル」〔Slackta kov temar〕

「何がよ!?」


 怒られてしまった。

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