第10話 親の話 子の話 前編
イクが実は生きているのではと考えたサナ。
そのとき『和食処 若櫻』に現れたのは、ウカだった。
ウカはサナの考えが正しいこと、そしてイクの正体はまだ生まれる前の子、すなわち胎児であることを告げる。
イクの体の場所が分かるというウカに、コンはその場所を教えるように頼む。
それはコンが、かつて別れた母親の居場所を知るということと同義だった。
ウカは拳を握り締めると、そこに息を吹き込む。指を開くと、そこには二つ折りのメモ用紙があった。
「ここに、お母さんの居場所、つまりイクちゃんの体のありかが書かれてるわ」
ウカはメモをイクに渡す。
「ウカ様、わざわざ術を使わなくても、メモ紙もペンもありますよ」
サナがあきれたようにいった。
「このメモ用紙は、私が奇跡で生み出したもの。奇跡のパワー全開の、とーってもありがたい物なのよ。どこの事務用品店でも買えない、ありがたーいものなのよ」
ウカがウインクすると、サナは小さな声で「安い奇跡」とつぶやいた。
イクはゆっくりと、メモを開く。
サナも後ろから、メモをのぞく。
そこには、墨のような字で住所が書かれていた。
「もう、あんまり時間がないわ。急いでね」
ウカの言葉に、イクはうなずいた。
「じゃあ、私はこれで。またなにかあったら、呼んでね。すぐに来るから」
ウカは軽い調子で手をヒラヒラと動かしながら、店を出ていった。
残されたコン、サナ、イクの間に沈黙が流れた。
「今からいこか」
沈黙を破ったのは、コンだった。
「……はい」
イクはゆっくりと椅子から立ち上がった。
そのとき、店の扉が開いた。
「ねーちゃん、今すぐ戻ってきて」
そこにいたのはサナの弟、コウだった。家から走ってきたのか、息をきらせている。
「どうしたんだ?」
「セリカさんが……セリカさんが」
コウは息が切れて、それ以上言葉が出ないようだった。
セリカ。それはサナの幼馴染みで、数少ない友人だ。
よくわからないけど、なにかがおこったらしい。
サナはコンとイクの顔を見る。
「あの……」
「うん。いってきたら? イクちゃんのことは、私にまかせて」
コンは、優しい笑顔でそういった。
「ありがと」
サナはコウと一緒に店を出ようとした。
「あの、サナさん」
その背中に、イクが声をかける。
「ありがとうございました」
サナは振り返る。
「生まれたら、会いに来い」
イクはそういって、ニっと笑い、店を出ていった。
店に残されたコンとイク。
「私らも、いこか」
コンがいうと、イクはうなずいた。
店から出ると、イクの持っていたウカにもらったメモは、ひとりでにパタパタと折れ曲がり、折り鶴が完成した。
鶴は翼を羽ばたかせ宙へ飛び上がると、ある一方向へ飛んでいく。それは道案内をしてくれているようだった。
コンとイクは鶴を追いかけて、歩いていく。
夕空は曇天で、今にも雨か雪が降りそうな暗さだった。
コンとイクは、一軒の家の前までやってきた。道案内を終えた鶴は、コンの手の中に降り立つと、メモ用紙に戻った。コンはそれを丁寧にポケットに入れた。
「この家?」
コンが尋ねると、イクはうなずいた。
「ここです。間違いありません。私の家」
門柱には『江坂』の表札が掲げられている。
そのとき、一台の自動車が庭の駐車スペースに入ってきた。周囲に接触こそなかったものの、ドライバーの焦りがにじみ出た、乱雑な駐車だった。
ドライバーは三十代くらいの男性だった。サラリーマン風でスーツを着ている。
「お父さん。お父さんだ」
イクは嬉しそうに大きな声でいった。
そう。この男性が江坂ナオヒロ。イクの父親である。
しかし、その声がナオヒロに届くことはなかった。もちろんその理由は、ナオヒロがただならぬ慌て方をしていたから、ではない。イクの姿が見えていからだ。
「なにかあったんでしょうか?」
ナオヒロの慌てた様子を見たイクは、不安げにいった。
「いってみよ」
コンとイクは、ドアをすり抜けて家に入った。
一方その頃、サナも家に到着していた。
「セリカ……」
広間にいたのは、サナの幼なじみ、セリカだった。
セリカがサナの家にくること自体は珍しくないのだが、今日は少し様子が違った。
うつむいていて、暗い表情をしている。
「家出したって、どういうこと?」
店からここに来る途中、コウから聞いた。セリカが家出して、サナの家に来たと。
セリカは小さくうなずく。
「ごめんね。でも、他にいくとこなくて」
「お母さんとケンカでも……」
サナはそこまでいって、後悔した。
セリカの母親は昔から体が弱く、入退院を繰り返していた。そして二年前、亡くなったのだ。当時、サナは京都に移り住んだ直後で、セリカの母の死は電話で一言、聞いただけだった。
「ごめん」
サナの謝罪にセリカは首を横に振る。
「ううん。いいの。気にしないで。私が、迷惑かけてるんだから」
サナは鼻をヒクヒクと動かす。
「でも、なにがあったんだ? 血の臭いがする。セリカ、怪我してるのか? 大丈夫か?」
「うん、大丈夫。そういうのじゃないから……」
セリカはサナから視線をそらし、自分の腹部に手をあてた。
「そういうのじゃないって、じゃあ……」
そのとき、サナの母が部屋に入ってきた。
「まあ、とりあえずはゆっくりしてって」
母は持ってきたジュースとお菓子を、セリカの前に置いた。
「お父さん、再婚するの」
セリカはいった。
「相手は、私も知ってるヒトで……」
セリカがはじめてその女性に会ったのは、九年前、二歳のときだ。セリカはそのときのことを覚えていないから、体感的には物心ついた頃からその女性は身近な存在だった。
セリカの父は大学教員である。そして、職を探していたその女性に偶然出会い、大学の歴史資料館の職員の職を紹介したらしい。
女性は、父はもちろん、母が健在のうちは母とも仲が良かった。
よく家に出入りしていたし、母が入院したときかわりにご飯をつくってくれたこともあった。
当初、女性は非常に料理下手で、とても口にできたものではなかったが、回数を重ねるごとに上達し、上手いとはいえないが、人並みと呼べるところまで来た。
「そのヒトと、お父さん、今度結婚するんだって。その女の人のお腹に、赤ちゃんがいるんだって」
セリカが話し終えると、一緒に話を聞いていたサナの母親がいった。
「おめでとう、って感じじゃないわね」
セリカは小さくうなずく。
一方、コンとイクはドアをすり抜け、家に入る。
玄関に写真が飾られていた家族写真のようだ。
ナオヒロと、その妻らしき見知らぬ女性。そして、二人の間にいる少女。
「セリカちゃんだ」
イクが大きな声を出した。
写真に写る少女、それは以前、コンとイクがヒトの想いを果たすべく、小学校にいったときに、偶然出会い、協力してもらった少女、セリカだった。
「セリカが家出したって本当か!」
廊下のむこうから、ナオヒロの声が聞こえた。
イクはコンに顔をむけた。コンはうなずく。
廊下を歩き、リビングに入る。
リビングには、仏壇が置いてあった。
ソファに、力なく座り込む女性がいた。
「ママ……」
コンの記憶。目の前の景色。重なる。
この女性こそ、コンの母親、八重垣ヒトミであった。
「ママ……会いにきたで」
コンの声が、手が、足が、微かに震えていることに、イクは気がついた。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
ヒトミの口から出る言葉は、そんなものだった。
「とりあえず、なにがあったか落ち着いて話してよ」
ナオヒロはソファの上、ヒトミの横に座る。口調は穏やかだが、その表情は焦りがにじみ出ている。
「今日、休みだったから、おじゃまさせてもらってたの。お腹の赤ちゃんのこと、セリカちゃんに話そうと思って。晩ご飯をつくって、待ってたの」
コンはリビングにつながるキッチンに目をむける。コンロには鍋が置いてある。
「昔は料理出来ひんかったのに」
コンはつぶやいた。
ヒトミの話は続く。
「それで、セリカちゃんが帰ってきたから、話したの。おなかの赤ちゃんのこと、それから、ナオヒロさんのこと」
「それで、セリカはなんて?」
ナオヒロが尋ねる。
「笑ってうん。『わかった』っていっくれて、自分の部屋で宿題をしてるって、リビングを出ていったの」
ヒトミは「でも」と言葉をつなぐ。
「その後に、玄関のドアが開く音がして、おかしいなって思って身にいったら、家を出ていくセリカちゃんが見えて、すぐに追いかけたんだけど、見失って……ごめんなさい。ごめんなさい」
ヒトミの膝に、涙の粒が落ちる。
「ねえ、イクちゃん」
その様子を見ながら、コンはつぶやく。
「あのママから、生まれたい?」
イクは、困ったような表情をうかべ、黙る。
コンは大きく息を吸って、吐いた。
「ごめん。意地悪な質問やった」
コンとイクがやりとりしている中、ナオヒロとヒトミは警察に連絡するか否かの相談をしている。
そのとき、電話が鳴った。
ナオヒロが受話器をとる。
電話口で数言、やりとりした後、深々とお辞儀をし、受話器を置いた。
「ナオヒロさん?」
ヒトミが、不安げに見つめる。
ナオヒロはわざとだとわかる笑顔で「大丈夫だよ」といった。
「セリカ、見つかったよ」
「どこにいたの」
「サナちゃんの家。今、お母さんから電話があった」
ナオヒロとヒトミ、二人とも安堵の表情を浮かべた。
「迎えにいってくるよ」
ナオヒロがリビングから出ようとすると、ヒトミが立ち上がる。
「私も……」
様子がおかしかった。
立ち上がったヒトミはフラリ、フラリと足下がおぼつかないようだった。
「ヒトミさん……?」
ナオヒロは、ヒトミの様子に気付いたようだ。
ヒトミは、倒れた。
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