最っ高に面白い物語

名無之権兵衛

最っ高に面白い物語

「はじめに言っておきますけど、嘘じゃなくてしっかり書いてきましたからね」


 鳴沢なるさわ修治は開口一番にそう言って鞄から原稿用紙の束が入っていると思われる封筒を見せた。三十年間公募に出し続けて未だ受賞どころか入賞すらしていない彼から吉澤緑にメールが来たのは三日前のことだった。


「最っ高に面白い作品ができたのでぜひ読んでください」


 集文社の文芸第三局に勤める吉澤は新人賞の選考過程で鳴沢の才能に目をつけた一人として、見ないわけにはいかなかった。しかし、その心持ちはやや陰鬱だ。というのも、彼が自信作を持ってくるのはこれで六度目だからだ。


 鳴沢の才能の大きな特徴は多彩な情景描写力にある。一つ写真を見せて書かせれば、まるでそこにいるのではないかと錯覚するくらい、目の前にありありと景色が浮かび、音や匂いすらしてくるくらいだ。そんな彼の唯一にして最大の欠点はオリジナリティが皆無であること。明らかにどの作品を真似たのか分かるくらいに独創性がなく、以前持ってきたホラー小説は設定といい展開といい、「シャイニング」そのものだったのだ。


 そんな経緯もあって吉澤は今回もあまり期待していなかった。「最っ高」と最上級に促音を追加してまで強調したところで、何かのオマージュかパクリだろう。それを確かめるべく彼女はいくつかの質問をした。


「この作品のジャンルはなんですか?」


「ジャンル?」鳴沢はポケっとした後に考えながら言葉を紡いだ。


「ジャンルと言っても、何と言えばいいかわからないんですよね。コメディでもあるし、ミステリーでもあるし、かと言って舞台はファンタジーですし、でも科学的考察も行ってるからSFの要素もありますし、それでいて恋の駆け引きもあったりしますから、どのジャンルかと決めるのは難しいですね」


 ふーん、これはまた大それたことを言うじゃない。吉澤は生意気な子供を見る目で鳴沢のことを見た。たとえこの作品が良くても、他の編集者を説得するためにはある程度分かりやすい枠組みが必要になる。そのためにもジャンルというのは一つのいい指標なのだ。まあ、最近はジャンルを超越した作品も見受けられるから、そこは読んでみて柔軟に考えてみよう。そう思うと、吉澤は次の質問に移った。


「舞台はファンタジーと言ってましたけど、となると最近流行り異世界転生や悪役令嬢などといった分野を書かれたのですか?」


 吉澤の質問に鳴沢は「異世界転生? 悪役令嬢?」と繰り返すとハハハと笑った。


「そんな既存の流行に乗るような作品じゃ新人賞には一次選考すら通らないでしょう。確かに、異世界に特殊なスキルを持って転生して新たな人生を無双すると言う話は実に痛快ですし、悪役令嬢のように本来なら痛い目を見るはずの女性が努力によりヒロインと打ち解けてハッピーエンドを迎える、と言う『努力はいつか報われる』的な内容は勇気と希望を与えてくれるでしょう……」


 鳴沢はこう唐突に主要ジャンルの分析を述べた。好きなジャンルをめった打ちにされている彼女は、今すぐにでも話を遮りたい衝動にかられながら我慢して聴き続けた。


「けど、僕が今回書いた作品はそんな陳腐なものじゃありません。ファンタジーはファンタジーでも現実と異世界がリンクする時空を超えた超大作なんです。もちろん、そう言ったジャンルが既出であることも把握しています。ですが、これはそれらを遥かに凌駕する時間軸と物語の数々、そしてあらゆるところに伏線やメッセージを張り巡らせました。もう書きながら確信しましたよ。これは僕が今まで読んできた本の中で面白い作品だって」


 ずいぶんな自信ね、と吉澤は声に出さず思った。鳴沢の横柄な態度は今に始まったことではない。これまでも、作品を持って来るたびに「すごいのが出来た」ともうデビューが決まったかのように雄弁に語っているのだ。しかし、今回の自負は今まで見たこのないくらい最骨頂だ。もしかしたら、本当に名作なのかもしれない。これもそれも、読んでみれば分からないことだが。


「それじゃあ、次に……」


 と質問を切り出そうとしたところで吉澤は視線を感じ、あたりを見回した。彼女らのいる「喫茶・亜米利加アメリカ」はカントリー風な雰囲気をしたアメリカンコーヒーの美味しい喫茶店だった。その店にはマスター含め、数人しか客がいない。まさか、もう漏れているっていうの? 吉澤は先ほど感じた視線を払うように紺色のブラウスをさすると、目の前にいる作家志望の中年男性に意識を戻した。


「では次に、この作品を思いついた経緯を教えてくれますか? また『シャイニング』のようなことはあってはいけないので」


「それについては安心してください。今回はどの作品にもインスピレーションを受けていませんから」


「……それでは、どうやって思い付いたんですか?」鳴沢の不思議な発言に吉澤は眉を潜めた。


「実は、信じられないかもしれませんが、神が僕のもとに舞い降りたんです」


 ?


「いえ、驚くのも無理ありません。僕も最初は信じていませんでした。けど、夢にしては現実的だし、彼が授けてくれた物語を僕はありありと思い浮かべることができたんです」


 彼曰くこうだ。ある日、アイデアが出ずに悩んでいた鳴沢の目の前に「神」なる上位存在が現れたと言う。彼は鳴沢が三十年も努力しているのに日の目を見ないことへ悲観して、救済すべくどんな人間でも感動できる物語を教えてくれたのだそうだ。旧約のサムエルじゃないんだから、そんなことあるわけないでしょ、と吉澤は彼の話を全く信じていないかった。


「では、その物語はあなたオリジナルでなく、神様のものになるのではないですか?」少しからかって見ようと意地悪な質問をしてみた。すると、鳴沢は大真面目に、


「僕もそう言いました。けど、神は僕の人生に同情して無償で授けると言ったのです。もちろん、著作権なども全て僕に委託しました」と突っかかるように反論した。


 なんで神様が著作権なんて知ってるのよ。あまりに突拍子もない冗談に吉澤は心の中で笑ってしまった。しかし待てよと再考する。全知全能の神であれば著作権システムも知っているのかもしれない。いやいや、なに自分まで神を信じようとしているのだ。吉澤はかぶりを振ってあらすじを訊こうとした。


 ちょうどその時、マスターが店自慢のアメリカンコーヒーを持って二人のテーブルにやってきた。吉澤は職業柄、開けた口を閉ざしてしまう。白髪の綺麗な初老のマスターはゆっくりとカップを置きながら鳴沢に尋ねた。


「小説をお書きになるのですか?」


 余計なことは言わないでよ。


「はい、この人が出版社の方で、今から読んでもらおうとしているところです」


「そうですか。もしよろしければ、私にも読ませていただけませんか? こう見えて本の虫でして」


 鳴沢が恐る恐る視線を吉澤に向けたので、彼女は勢いよく首を横に降った。まずい、何か嫌な予感がする。職業上の勘がこれから大変なことが起こると危険信号を発していた。


「すみません、まだ発表していないので……」


「いいじゃないですか、少しだけ。少しだけ」


 渋る鳴沢にマスターは年甲斐もなく迫ってくる。彼の手が無理やり原稿の入った封筒に向かいそうなところで、吉澤は席を立って彼の手首を押さえた。


「申し訳ございません。これ以上、しつこいようですと警察を呼びますよ」


 その瞬間、マスターの目が変わったのを吉澤は確認した。普段は笑顔のヤクザが怒り出す瞬間の目だ。


 まずい!


 次の瞬間にはマスターはもう一方の手で封筒を奪い取ろうとしていた。突然のことに鳴沢は封筒をマスターから遠ざける。すると、いつの間にか鳴沢に接近していた別の客が、封筒を掴んで力づくで引っ張った。慌てて鳴沢も力を入れるので、封筒はグシャと音を立ててシワを作る。


 急いで吉澤はマスターの手首を掴んだまま、客に飛び蹴りを喰らわせた。客は封筒から手を離して、向かいの座席の角に頭をぶつけて動かなくなった。血は出ていないから死んではいないだろう。それを確認すると、すかさず彼女は持っていたマスターの手首を捻って、彼の動きを封じる。そのまま組み伏せると、ポケットから手錠を取り出して、机の足に固定した。マスターは観念したように動かなくなってしまった。


 一段落ついたと思った吉澤は直後に無数の視線を感じた。振り向くと、喫茶店にいる客が全員立ち上がって二人のことを見ていたのだ。中にはオムライスのソースがついたフォークを握ってる人もいる。


 この状況で吉澤は確信した。まずい、情報が漏れている。いくら戦闘経験がある彼女とて数人を同時に相手するのは厳しい。吉澤は原稿を持ったままの鳴沢を無理やり店外に連れ出した。


「一体、奴らはなんなんですか? 人の作品をいきなり奪い取ろうとして……」


「彼らはおそらくアマチュアの作家やシナリオライターたちです。あなたがこの店に来ることを知っていたのでしょう。私のリサーチが足りませんでした。申し訳ありません」


「いえ、吉澤さんが謝ることないですよ。あんな強引に奪おうとした奴らがいけないんですから」


「いけなくありませんよ。彼らが作品を盗もうとするのはの一つなんですから」


 えっ、と足を止める鳴沢に吉澤は驚きの表情で振り返った。


「もしかして鳴沢さん、『エンタメ法』をご存知ないんですか?」


「いえ、知らないです。ずっと創作のことだけ考えて生きてきたので」


 マジか。やはり、こう政治に無関心の人ばかりいるからあんな危険な法律が通ってしまったのだ。吉澤は苦虫を噛み潰す思いで説明した。


「『エンターテイメント自由競争法』、通称『エンタメ法』は国のエンタメ事業を活発化させるために制定された法律で、創作活動をする会社や個人はまだ発表されていない創作アイデアを強奪することが合法化されているんです。もちろん、武力の行使も認められています。この法律が制定された十年前から、エンタメ業界はアイデアを物理的に奪い合う紛争状態なんです」


 そうだったのか、とあまりにも無秩序な法律に肩を落とす鳴沢に、吉澤は彼の顔を真っ直ぐ見て言った。これでは、どちらが年上か分かったものじゃない。吉澤はまだ入社五年目の若手なのだ。


「いいですか、鳴沢さん。おそらくですが、あなたの『最高に面白い作品』の存在はエンタメ業界の人々に知られています。我が社はその方面のセキュリティは万全を期しているつもりですが、どうやら流出してしまったみたいです。しかし、今考えるべきことは、誰が追って来るかです。おそらく『最高に面白い』と言うワードに惹きつけられて大手エンタメ業界の猛者たちがやって来るでしょう。そうなったら、あなたの命も危険に晒されます。ですので、これから鳴沢さんを警察に保護してもらいます。いいですか?」


 鳴沢は五歳児が迷子になったときのように黙って首を縦に振った。エンタメ法において、銃火器を用いた強奪は違法と判断されないが、警察署内でそれらを行えば公務執行妨害が適用される。なので、エンタメ業界にとって警察署は安全が保障される中立の場所になっていた。


「どうかされましたか? ずいぶん急いでおられるようですけど」


 喫茶・亜米利加を抜け出して警察署を探していると一人の警察官が尋ねてきた。これはいい、と鳴沢は先ほどまで重かった表情をパッと明るめた。


「はい。実は人に追われていて、警察に保護してもらおうと思っていたんです」


「それは大変ですね。署までもう少しです。私がエスコートしましょう」


 とんとん拍子で会話が進むので吉澤の嫌な直感が働いた。そして警官の顔を見た瞬間、彼女の頭にある人物データベースが彼の顔を弾き出した。彼は……


 警察官が鳴沢の手首をつかもうとしたのは、まさにその時だった。吉澤はすかさず警察官の手をはたき落とした。パァンと手と手が激しくぶつかり合う音が人が閑散とした都心の通りに木霊した。


「な、何をするんです?」警官はぶたれた手を押さえながら狼狽した。


「もう演技の必要はありませんよ。舞台俳優の梶川徳三郎さん」


 警察官の服装をした舞台俳優はギクリとして動きを止めた。その表情は渾身の演技を見破られてしまったことに対する屈辱と、ダイヤモンド以上の価値がある宝を目の前にした高揚とで形容しがたいほど歪んでいた。


「まさか、この俺の変装を見破るとは……」梶川は口から泡を吹き出しながら言った。


「集文社の情報力をなめないでください。我が社ではエンタメ法による危険人物を常にリストアップして社員に記憶させているのです。いくら舞台俳優だからって、そんな姑息な手段に引っかかるわけありませんよ」


「こ、姑息な手段だと……」固まった梶川の表情がみるみる怒りに変わっていく。


「我々、演劇業界は常に資金不足・人手不足に悩まされているんだ。だから演出も脚本も『狩人』も演者自身がやらないといけない。それでも必死に舞台文化を残そうとしているのに、それを姑息だなんて、グアッ……」


 突然、梶川は呻き声を上げて首元に手を伸ばしながらもがき始めた。何事かと二人は彼の背後を注視して見ると、微妙に景色が揺らいで見える。次の瞬間にはブゥンと屈強な男が梶川の首をヘッドロックしてる姿で浮かび上がった。光学迷彩を使用しているのだ。


「いやぁ、危ないところでしたね」


 男は梶川の頸動脈を締め上げて意識を失わせると、そのまま無造作に地面に落とした。しかし、それとほぼ同時にまたも吉澤のデータベースが一致を示した。


「鳴沢さん、その人から離れて!」


 そう言った直後には、彼女は後ろから何者かに腕を後ろに組まれ、地面に押さえつけられていた。アスファルトの凹凸が彼女の頬を擦ってズキンと痛んだ。気づけば吉澤の上には先程の男と同じ風体をした男が馬乗りになっていた。


「吉澤さん!」


「おっと、あなたが気にすべきは彼女ではなく私でしょう」男は振り向いた鳴沢の肩を掴んで強引に正面を向かせると、おもむろに名刺を差し出した。


「私は松宝しょうほう映画の狩人、井出崎いでさき憲司と申します。そして、あちらはFBCテレビの間宮仁成じんせいです。我々はあなたにその作品の譲渡をしに来ました。あなたが描かれたとされる至上の物語、これを私たちの手で映像化させていただけないでしょうか?」


 真っ黒な地面を視界に据えながら、吉澤は目を見張った。放送業界と映画業界が手を組んだ? どちらも資金力がある二業界がなんで同盟を組むの? そんなことをされちゃ、出版社なんてひとたまりもないじゃない。


「もちろん、報酬はきちんとお支払いします。もちろん、キャスト・スタッフは最高級のものを当社が用意いたしましょう」


 そこから彼が名を挙げたのは、昨今視聴率二十パーセント超を記録してるドラマの出演陣や制作スタッフだった。まずい、このままでは彼らに作品を取られてしまう。吉澤は無理やり抜け出そうとするが、大男は頑として動かない。加えて卑らしい笑みを浮かべて彼女のジーパンをさすっていた。


 だが、鳴沢の答えは意外なものだった。


「ご、ごめんなさい。僕は子供の頃から小説家になりたくて、物書きをしてきました。もちろん、自分の作品が映像化されるのは嬉しいですし、銀行員のドラマは僕も大好きです。けど、その前に読者が僕の作品を面白いと評価してくれることが大事だと思うんです。だから、作品を渡すことはできません」


 松宝映画の狩人の顔がみるみる歪んでいくのが見て取れた。それはさながら歌舞伎の見得のごとく。勧進帳の武蔵坊弁慶なんかをやらせたら「待ってました」なんて掛け声が聞こえてきそうだった。


「おのれ貴様、映像エンタメを愚弄するか! テレビは終わったと散々叩かれ、日本映画は外国に比べて金をかけてないから駄作しか作れていないと罵られる。オリジナル作品が少ないのがまさにその表われだ! 私たちはそれを打開するためにオリジナルで素晴らしい作品を早急に出す必要があるのだ!」


 その口調も歌舞伎役者のように小節がきいている。


 しかし、その時だった。鳴沢は信じられない光景を目にした。先ほどまで閑散としていた往来が野球帽を被った集団で埋め尽くされていたのだ。しかも、みな同じロゴの白Tシャツを着ているのだから異様なものである。大きな瞳と豊満な胸をした幼女キャラがここでは不気味な雰囲気を醸し出していた。


「な、なんだ貴様らは」


 歌舞伎役者は見得を切ろうと構えたが、たちまち多勢に無勢でもみくちゃにされてしまった。これではいくら大柄な男でも太刀打ちできない。それは吉澤を押さえつけていた男とて同じだった。彼女は力が弱まったところをすかさず体勢を変えて抜け出し、変態テレビマンの股間に強烈な一撃をお見舞いした。


「大丈夫ですか?」吉澤は鳴沢のそばに戻ると、頬にできた擦過傷を拭いながら尋ねた。


「僕は大丈夫です。それにしても彼らは……」


 鳴沢は二人の大男に覆いかぶさる集団を眺めた。二人が動かなくなったことを確かめると、集団は血走った目で二人のことを睨みつける。


「彼らは通称『アニメ・ゾンビ』と呼ばれるアニメ会社の狩人です。低賃金でろくな装備も有給も貰えず、コキ遣わされており他業種からも同情されている集団なんですよ。それでも彼らの人海戦術は私たちも苦労しています。鳴沢さん、ここからは少々手荒に突破します。頑張ってついて来られますか?」


 吉澤は鳴沢の目を見た。彼は素直に頷いた。


 さて、「切り札」がくるまでどうやってやり過ごそうか。吉澤は四面楚歌の状態で思考した。あと一息でゾンビの一斉攻撃が始まろうとした時、集団の奥で銃の連射音が聞こえた。すると、後ろでゾンビたちがバッタバッタと倒れていく。血は流れていないから死んではいないのだろう。


 何事か、と一同が銃声の方を見てみると、防弾チョッキとシールド付きヘルメットを身にまとい、回転機関銃、手榴弾、弾薬を身に付けたヴィン・ディーゼルばりのがたいをしたが立ち往生していた。その手に持つ回転機関銃の銃口からは硝煙が上がっている。


「お、お前はソガゲームスの!」アニメ・ゾンビの一人が震え声をあげた。女版ディーゼルはギロリとゾンビを見回した。その眼光は男性よりも鋭く、普段女性と目を合わせたこともないオタクたちは軒並み勢いを失ってしまった。


「さて、あたしの目的はわかってるな。怪我したくなければ、さっさとそのブツを寄越しな。最高のゲームにしてお返ししてやるよ」


「海外でも幅広い人気があるゲーム会社だからって、他人の作品を強奪していいと思ってるの?」吉澤は恐れることなくディーゼルを睨みつけた。


「そんなの、法律が決めてんだからいいに決まってんだろ? モノづくり国家日本の長所を最大限に引き出しているのは、世界でもトップシェアのゲーム機を発売してるソガグループなんだよ。つまり、エンタメ業界のトップに君臨するのはあたし達なんだ。わかったらさっさと渡しな」


 断ります、と応じると、「なら、どうなっても仕方ねえな」と、ディーゼルは機関銃を回転させてゴム弾を乱射した。これは、殺害してしまうと過剰防衛で罪に問われるため、銃を扱う狩人がみな使ってる手段である。かと言ってゴム弾であろうと、当たれば痛い。


 たちまち辺りのゾンビたちはゴム弾の餌食となり、その場に倒れ込んだ。倒れ込んでもなお弾が当たる様子は陸で踊る魚のようである。


 鳴沢と吉澤は急いで遮蔽物の影に隠れて弾を防いだ。しかし、逃げる途中に鳴沢が右脛を被弾。とうてい走れそうになかった。


「吉澤さん、もう無理ですよ。あんな銃火器に風前の灯火の出版社が勝てるわけありません。もう諦めましょう」半分泣きべそをかく鳴沢に吉澤は喝を入れた。


「作者がそんな弱気になってはいけません。このエンタメ戦国時代を乗り切るには作家の強靭なメンタルが試されるんです。そして、それを守るために私たち編集者はいます!」


 その時、キーンと何かが高速で飛来する音が聞こえた。やっと来たかと吉澤は表情をキリッとさせる。


「遅いですよ、ドクター」


 そう呟くと、彼女は紺色のブラウスを脱ぎ捨ててタンクトップ姿になった。両手を上空に掲げる。すると、飛来した機械の塊は彼女の頭上でみるみる姿形を変え、徐々に高度を落としながら彼女の手を覆い始めた。それは次第に腕、胸、腰、足へと伸びていき、最終的には吉澤の表情をアイアンマスクが覆った。


「鳴沢さん、いいですか。確かに出版社は脆弱です。活字は時代遅れだと言われ、漫画産業も徐々に後退して来ている。ですが、我々出版社もただ指を咥えて滅ぶのを待っていないのです。常に別業種の会社と協力し、最新の技術を駆使して、新たな社会の波も柔軟に泳ごうとしているのです。私たちを絶滅危惧種と決めつけないでください!」


 吉澤は立ち上がるとゴム弾をものともせずに前へ出た。ディーゼルの得意げな表情が青ざめていくのは書かずとも分かることであろう。


 女性なのに雄叫びをあげながら機関銃を連射する彼女に吉澤は左手を向けた。


 ——照準ロック、距離計算完了。


 彼女の左上腕部からロケットミサイルが一発射出され、ディーゼルの左太腿に命中した。ミサイルはそこから電流を体に流し、彼女はがたいのいい体をそのまま地面に崩した。


 ——全照準ロック完了、スタンバイ。


 吉澤は次に周囲にいるゾンビたちに向けて、肩から小型電磁ミサイルを射出して全員を戦闘不能にした。これで狩人の攻撃を大方凌ぐことができた。吉澤は周囲で倒れる舞台俳優、テレビ・映画マン、アニメ・ゾンビ、そして女コマンダーを見て思った。鳴沢もこれみよがしと安心していた。


 しかし、悲劇は突然訪れる。吉澤の視界ディスプレイがノイズを発した後にブラックアウトしたのだ。そのままアイアンの電源が切れて、姿勢制御装置を失った吉澤は鎧の重みに耐えられず地面に座り込んだ。


「ふふふ、この瞬間を待っていたのだよ」


 通信機ごしから若い男の声が聞こえる。吉澤はマスクを無理やり剥がすと、目の前の光景を疑った。そこには彼女と同じ姿、いやそれよりもバージョンアップした鉄の鎧を着た集団が立ちはだかっていたのだ。


「あ、あなたたちは私たちに協力してくれたIT企業アマゾネスの方々。なんで、ここに」


「なんでって、我が社もエンタメ業界に参入するからですよ」マスク越しでもその顔が笑ってるのが吉澤にはわかった。


 刹那の間、吉澤は思考した。増援の即到着を望めないこの状況では二人で逃げ切るのは困難だろう。なら、せめて彼一人にでも逃げてもらって、その間に私が足止めしよう。そう思ったその時だった。


 彼女の背後に誰かが立った。それはその場にいた誰もが感知することができず、時が止まってしまったかのように辺りは緊張感ある静寂に包まれた。そんな、私の動体視力を上回る速度で鳴沢の元に行ったって言うの? まずい、このままでは。吉澤は急いで振り向くと、眩しい光に思わず目を細めた。


「あ、あなたは……」鳴沢は突如目の前に現れた光に開いた口が塞がらなかった。


「鳴沢修治。貴方あなたには失望しました。せっかく最高に面白い作品を授けたというのに、金に目のくらんだ連中との取っ組み合いにほとんどの時間を費やして。見てご覧なさい。もう終わらせなきゃいけないんですよ。ここから物語を紡ぐことはたとえ描写力豊かなあなたでも不可能でしょう。それでは私が貴方にこの物語を与えた立場がなくなってしまいます。ですので、残念ながらこの作品は没収させていただきます」


 そう言って光の主はパチンと指を鳴らした。鳴沢は嫌な予感がしてすぐに原稿の入っていた封筒を開けて中身を確かめた。


「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!」


 それは吉澤にも辛うじて確認することができた。封筒から取り出された原稿用紙は全て真っ白で文字一つ書かれていなかったのだ。


「なぜだ。自分で書いた話なのに思い出せない。せっかく最っ高に面白い作品を作ったのに。このっ、このっ、思い出せ」


 鳴沢は自分の頭をぽかぽか殴り始めた。それでは逆効果だと誰もが思ったが止める者はいなかった。光はいつの間にか消えていた。


「鳴沢さん」吉澤は重い体を引きずって自暴自棄になる作家の肩に手を置いた。


「誰もが感動できる作品なんて作れるはずがないのですよ。もし、一つの物語で人生を完結できるとしたら、人はここまで感情豊かになっていないでしょう。だからこそ私たちは新たな物語を探し求めるのです。確かに至上の物語は無くなりました。ですが、これだけのことを経験したあなたであれば誰のパクリでもなく、あなた自身の小説が書けるはずです。だから、諦めないで書き続けてください。何度でも読んであげますから」


 かくしてこの物語を巡る戦いは結末を迎える。鳴沢修治が作家として名を挙げるのはまた別の話。

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