エピローグ:夏への扉

 研究所の外に出ると、天いっぱいに、どこまでも、どこまでもきれいな青空が広がっていた。朝陽はきらきらと輝き、小鳥達は楽しげに合唱をし。柔らかな風が、僕の頬を優しくなでる。


 芳子が、遠くの景色を見つめながら。



「本当にこれで良かったのかしら?」


「うん……、どうだろうね」



 拓は、へらりとした笑みを浮かべさせる。



「あの鳥居って人、世界を手に入れて、それから、どうしたかったのかしら。世界を征服したその先に、一体なにがあったのかな?」



 研究所へと視線を向ける芳子にならい、僕もじっと建物を見つめた。


 姫御子プログラムを抹消した後、鳥居はまるで魂が抜けてしまったみたいに、すっかり放心状態で。今も一人研究所の、マコンドの部屋にとらわれている。化石のように微動びどうだにせず、翠乃の本体をうつろな瞳で見つめ続けており。動き出す気配は全く感じられなかった。


 犬彦は、一つ乾いた息を吐き出させ。



「生きようとする意志のない者は、自ずと消えていく。それだけの話じゃ」



 侮蔑ぶべつのような、同情のような、どっちつかずな調子で言った。


 莉裕也も、そんな犬彦に同意するよう。



「姫御子プログラムがある限り、鳥居みたいな人間は後を絶たないだろう」



 ぶっきら棒に言う。その隣では、拓も小さくうなずいている。



「うん、そうだね。始めはただ、きっと生きたかっただけなんだよね。安全に暮らしたい、もっと楽に生活がしたいって。

 でも、それだけでは、だめなんだよね。生きていくためには犠牲はつきものだけど、ただ消費していくだけでは、壊していくだけでは」


「ええ。アタシ達が変えていかないといけないのよね。ただ大人達が敷いたレールの上を真っ直ぐに歩いて行くだけなんて、終わりにしなくちゃね」



 ああ、そうだ。ただ大人達が敷いたレールの上を歩いて行くだけでは、それだけでは、だめなんだ。僕等は僕等で、これからは自分達でレールを敷いていかなければならないんだ。


 僕等は、そろって前を見すえる。目の前には深々とした緑が広がり、空の色を映した海には、さざ波が寄せては返している。この美しい世界を、僕等が守ったんだ。そして、これからも守っていかなくてはならないんだ。


 僕等は自然と一つになっていた。なんだかくすぐったい。照れ隠しのように、みんな小さな笑みを口元にたたえている。


 その気恥ずかしさに耐えられなくなったのか、不意に拓は三平へと視線を向け。



「そう言えば、あの時の三平には驚いたよ。まさか、イナバに姫御子のフリをさせるなんて」


「それが、本当はイナバでなく、エリちゃんに向けて押したつもりだったんだ。だけど、狙いが外れちゃってさ」


「そうだったんだ。だけど、イナバはちゃんと姫御子のフリをしていたし、本当にただのうさぎなのかな……?」



 みんな、エリちゃんの腕の中にいるイナバのことを見つめるが。当の本人は、きょとんと。とぼけるように大きな瞳をくりくりとさせているばかりである。


 誰もが疑いの目をイナバへと向けている中、

「まあ、いいじゃないか。上手くいったんだからさ」

と、翼は一人能天気にもけらけら笑う。


 それから、

「それより、このタイムカプセルだけどさ。どうする?」

と、マコンドの部屋の床下から出てきたタイムカプセルを指差した。



「そうねえ……。

 ねえ、せっかくこの時代になっても残っていたんだから、また埋め直さない? アタシ達が埋めたものが遠い未来まで残っているなんて、それってなんだかロマチックじゃない?」


「そうだなあ。でも、ただ埋め直すのもつまらないから、その前に、どうせならみんなで芳子が書いた手紙を読もうぜ」


「ちょっと、翼!」



 芳子が、ぎろりと翼のことをにらみつけ。いつの間にか彼の手の中にあった手紙を奪う。



「本当に翼ってば、油断もすきもない。乙女のプライバシーをのぞこうとするなんて、失礼しちゃうわ。この手紙は、アタシだけの秘密なんだから」



 芳子は薄っすらと頬を赤らめて、ぎゅっと手紙を抱きしめる。翼ってば、余計なことを言わなければいいのに。やはりここで。



「なんだよ、つまんねーの。大体、芳子のどこが乙女なんだよー」


「なんですってーっ!?」



 瞬間、芳子の手がすっと伸び。翼の胸ぐらを掴むや、ぶんぶんと上下左右に振り回す。


 シェイクされてしまった翼は、すっかりぐるぐると目を回しており。しかし、芳子に振り回されて刺激でもされたのか、

「あっ」

と、声を上げ。



「でもさあ、俺達の時代に埋めたタイムカプセルは、どうなってるんだ? もしかして、なくなっているのか?」


「いや、それはまだ地面の中に埋まっていると思うよ」


「そうじゃな。拓の言う通り、お主等の時代のものは、お主等の時代のものとして、ちゃんと残っておる」


「ふうん、そっか。そういやあ今更だけど、よく映画やマンガでタイムスリップをして歴史を変えると、その先がなくなっちゃうとか、大変なことになるとか言うよな。その辺りは大丈夫なのか? 俺達が消えちゃうーーなんてことはないのか?」


「なに、その心配は無用じゃ。歴史を変えても、別の時空ができるだけじゃ」


「なるほど。パラレルワールドか」



 納得している拓の傍らで、やはり翼は目を点にして。こてんと首を大きく傾げさせ。



「ぱられるワールドって、なんだ?」


「パラレルワールドーー、それは並行世界や並行宇宙ともいって、ある時空から選択肢の数だけ分岐する、並行して存在する別の世界のことだよ。

 例えば、翼がアイスとチョコ、どちらか一つだけを食べていいと言われたとしよう。すると、選択した時点から翼がアイスを食べた世界と、チョコを食べた世界の、二つの世界へと分岐して、それぞれ別の時を刻んでいく……といった具合かな」


「いいや、拓。ちょっと待った! 俺がアイスとチョコの両方を食べてしまう世界もあるかもしれないぞ」


「それを言ったら、両方とも食べられなかった世界も存在することになるだろうが」



 食い意地が張る翼に、莉裕也があきれ顔で横から口を挟んだ。


 拓は、苦笑いを浮かべさせ。



「ははっ、そうだね。二人の言う通りだよ。

 つまり、僕等がタイムスリップしてこの時代を救った時空と、そもそもタイムスリップをしなかった時空の、二つの時空ができたんだよ。だから、三平達のいるこの時代はこの時代でこれからも時が進んでいくし、未来にタイムスリップした僕等は、本来のタイムスリップをしなかった時空から分岐して、別な世界として時を進めていくことになるんだよ」


「なんだかややこしい話だなあ……」



 翼はぐにゃりと大きく眉を曲げ、両手で頭を抱えさせる。



「ねえ。そうは言っても、エイゾーが姫御子……じゃなくて、翠乃を創ったら、またこの世界みたいに姫御子プログラムに支配される未来になっちゃうんじゃないかしら。でも、エイゾーは、また翠乃に会いたいわよね……?」



 芳子は、ちらりと僕に不安気な瞳を向ける。僕のことを心配してくれている。


 僕はズボンのポケットの中へと手を突っ込み、中から掴み取ったものを取り出す。唯一残った翠乃の一部、黄色の花の髪飾りーー。


 芳子の言う通り、僕は翠乃に会いたい。そして、この髪飾りを彼女に返したい。あのままお別れだなんて、そんなのは嫌だ。


 僕は壊れないよう注意を払いながらも、ぎゅっと手の中のそれを握りしめる。


 すると、

「……いいんじゃないか? 創ったって」


「え……、翼……?」


「要は、翠乃を悪いやつ等の手に渡さなければいいんだろう? それに、もしそういう連中が現れた時は、この正義の味方・翼様が、エイゾーと翠乃を守ってやるよ」



 翼は、にたりと得意気な笑みを浮かべさせる。まるで、いたずらを企んでいる子どものような顔だ。


 拓は、くすりと小さく笑い。



「全く、翼らしいや」


「そうね。その時は、私も協力してあげるわ」


「仕方がねえなあ」


「私も翠乃ちゃんとお話してみたいですわ。エイゾーくんが創る子ですもの、きっとお友達になれると思いますの」


「だってさ、エイゾー」



 三平が僕を見つめ、にっと笑う。その隣で犬彦も、すっ……と瞳を細めさせ。



「そうじゃな。それはエイゾー達、お主等次第じゃ。過去は変えられぬが、未来は変えられる。あの軍事研究施設が建設されなければその手の研究は行えず、翠乃を奪われ、姫御子プログラムが創られることはなかっただろう。

 おそらく容易にはいかないだろうが、それでも、お主等は変えるのであろう、未来をーー」



 そうしめくくる犬彦に、僕等は力強くうなずいて見せた。


 その決意とばかり、僕等はタイムカプセルを埋め直した。だけど、僕だけカプセルに入れていたものがなくなってしまったので、持ち合わせていたものーー、モノマネライトを。それから三平も加わって、彼はとりもち爆弾をカプセルの中に入れて一緒に埋めた。


 このタイムカプセルも、いつの日か誰かが開けるのかなあ、なんて。そう考えただけで、なんだか胸がわくわくした。


 しばらくその余韻に浸っていたが、しかし、突然。第一の宝珠が、ぱりんっーー! と甲高い音を立て、そして、粉々に砕け散った。


 きらきらと、燦爛さんらんとした光の屑を散りばめながら。砕けた宝珠の中から黒いもやが現れる。


 その光景に、僕等の息が詰まる。この瞬間がいつか訪れてしまうことは分かっていたが、それでもずっと考えないようにしていた時が、とうとう来てしまったのだ。


 芳子が唇を小さく震わせながらも、どうにかそれを動かし。



「ねえ。もしかしてアタシ達、元の時代に帰れなくなっちゃったの?」


「いや、それは大丈夫だと思うよ。この黒いもやが出ている間なら。

 実は、第一の宝珠は二つあったんだ。正確には、別々のものを同じものだと思い込んでいただけで。

 今砕けちゃった宝珠とは別に僕の部屋の押し入れの中にも宝珠があって、それぞれ入り口と出口の役割を果たしているんだ。そうして互いの時代の時空をつなげていたんだよ」


「へえ、そうだったの。確かに見た目が同じだもんね」


「だけど、きっと、もう二度とここには……」


「そうですの。三平くんや犬彦ちゃんだけでなく、イナバちゃんともお別れですのね」



 エリちゃんが、抱いているイナバのことを寂しそうな瞳で見つめる。イナバも状況を理解しているのか、すりすりと体をエリちゃんにこすりつけ出す。


 自然と終着する一つの結論に、誰もがなかなか受け入れずにいる中。しかし。



「そんな暗い顔するなよ!」



 ばしんと、三平は僕の背中を強く叩き。



「これからはエイゾー達の力を借りなくとも、俺と犬彦、それからこの時代の人達とで、また一からやり直していくからさ。だから」



 三平は、一拍の間を空けさせてから。



「いつか、また会おうぜ!」


「……うんっーー!」



 僕は、ぎゅっと手に力を込め。三平と固い握手を交わした。



「あーあ。もう少しこの時代を冒険したかったんだけどなあ」


「翼ってば。そうだけど、でも、もやが消えちゃうわよ。急がないと」


「それに、帰ったらやらなくちゃいけないことがたくさんあるんだ。そうもいかないよ」


「ああ。いつまでも夢ばかりみていられねえからな」


「三平くん。イナバちゃんのこと、お願いしますわ」


「ああ、任せろ!」



 三平はエリちゃんからイナバを受け取ると、景気良く胸を叩いた。


 僕等は名残惜しさを感じつつも、もう一度、三平達に別れを告げ。黒いもやの中へと入って行く。


 その最中、ちらりと振り返ると、三平が笑顔で大きく手を振っており。



「じゃあなーっ、ひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいじいちゃーん!」



「じゃあなー!」と、繰り返している三平の声を聞きながら。僕等は真っ暗闇の中、光の先を目指して歩き続ける。


 次第に三平の声は小さくなっていき、とうとう姿も見えなくなってしまう。けれど、それでも三平の声は、いつまでも、いつまでも僕の中で鮮明に残り続けたーー……。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 きらきらと、まぶたに落ちる輝きに。誘導されて僕は目覚める。薄らと開いていた戸の隙間すきまから、目覚めたばかりの朝陽がかすかにだが差し込んでいた。


 目を覚ますと、そこは僕の部屋の押し入れの中で。つんと突き刺すカビの臭いが鼻をくすぐる。近くの床には、ころんと宝珠が転がっており。僕はそれを掴み取り。


 待ってて、翠乃。それと、お父さん。必ず迎えに行くからーー……。


 そう念を込めながら、僕はそれをズボンのポケットの中へと突っ込んだ。


 みんなの意識も次第に目覚めていき。だけど、まだ夢心地のままで。誰一人言葉を発することはなく、長い沈黙が流れ続けた。


 だけど、僕はとうとう我慢し切れなくなってしまい。



「三平ってば、ひどいよね。僕のこと、じいちゃんだなんて」


「でも、本当のことだから仕方がないよ」



 膨れている僕に、拓が諭すようにして言った。すると、一拍の間を空けさせてから、みんな一斉に笑い声を上げた。


 それが止むとしばらくの間、また静寂な時間が訪れるも。



「ねえ、みんな。……もう一度、やり直せるかな?」


「ああ……、いや、ううん。やり直さないとだめなんだ、俺達が」



 翼の言葉の後、僕等は互いの顔を見合わせると、そろって満面の笑みを浮かべさせ。



「まずは、日和山を守らなきゃっ!」


「ああっーー!!」



 そして、押し入れを飛び出すと、公園目指して走り出した。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 僕達は真っ直ぐに、公園に向かって走り続ける。息が上がり、呼吸するのが苦しくなっても。それでも手足を振り上げて、ただひらすらに走り続ける。


 道端で寝転がっていた猫が、にゃあと小さな声で鳴き。僕等を応援してくれているみたく、頬をなでる柔らかなそよ風は、からっと乾いていて。でも、とても心地良い。みんな一緒なら、夏の気配を含んだこの風に乗って、どこまでも、どこまでも行くことができる。根拠なんて、どこにもないけど。お父さんのいるその先を、今ならきっと見つけられるって。そう強く思うんだ。そのためにも、翠乃を迎えに行かなくちゃ。宿題の作文だって、今の僕になら書けるのだから。


 未来がどうなるか、それは分からない。僕等になにができるのか、それもまだ分からない。だけど、それはきっと、僕等の行動次第だと思うんだ。だからーー。


 温かな希望で満ちている、爽やかな風と一緒に。そんな僕等を待っている、夏への扉を探しに行こうーー……。

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押し入れファンタジー 花色 木綿 @hanairo-momen

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