第10話:トロイメライ

 あの後、僕等はメガネの男の人に教えてもらった、隠し通路を通って地上へと出た。すると、彼の言っていた通り、施設のような建物が鼻の先に見えた。おそらくここが、姫御子プログラムを管理している軍事研究施設だろう。


 近くに神社があったので、今日はそこで休むことにし。僕等は過去の……、いや、未来の世界から現代へと戻って来た。けれど。その間、みんな黙り込んでおり。誰一人として口を開こうとはしなかった。


 みんなは浮かない表情で、僕の家から出て行き。学校でまた顔を合わせたが、その調子が変わることはなかった。いつもは元気の塊である翼でさえ、今日一日、ずっとむずかしい顔をしている。


 教室の窓から見える景色は、いつも通りの青く澄んだ空で。でも、この風景も遠くはない将来、全て無へと帰ってしまうーー……。


 そう思うだけで、胸の辺りがぎゅっとしめつけられる。苦しい。


 いつの間にか放課後になり。僕等は示し合わせていなかったにも関わらず、みんな自然と日和山公園の、秘密基地の前に集まっていた。


 秘密基地ーー、それは、かつての僕等の遊び場。でも、未来では、人々を苦しめている城が建つことになる場所。


 ……そんなこと、思ってもいなかった。


 それから、三平のことも。三平の住んでいた村が、姫御子によって焼かれたーー。だから三平は、あんなにも姫御子のことを憎んでいたのか。


 僕の隣で、じっと黄色いテープがぐるぐると貼り巡らされている秘密基地を見つめていた翼が、ようやく口を開き。



「……どうする?」


「どうするって……?」


「だから、姫御子のことだよ」



 再び、深い静寂が訪れる。


 事実を知る前の僕等は、まるでゲームの中の主人公・勇者にでもなったつもりでいた。悪い魔女である姫御子が敵だと決めつけ、ただ倒せばいいんだと思い込んでいた。だけど、真実は違った。本当の敵は魔女なんかじゃない、僕等と同じ人間だったのだ。


 それから、軍事兵器ーー。


 それが、姫御子の正体だった。この豊かな国を、あそこまで無に還らせることができるくらいの強大な力を持っているものが、僕等の前に立ちはだかっているのだ。もしかしたら、この時代に戻って来れなくなるかもしれない。


 だけど……!



「確かにあの時代には、僕達はもういない。姫御子も、姫御子を利用しようとしている連中も、きっと僕等が思っている以上に強敵だ。だけど。

 僕は、こんな終わり方はやっぱり嫌だ。地球が、未来がなくなっちゃうかもしれないなんて。そんなの……、そんなの、絶対に嫌だっーー!!」



 言っている途中で苦しくなって、息が詰まりそうになったけど。それでもどうにか空気混じりながらも僕は最後まで言い切る。


 みんなは、そんな僕の顔をじっと見つめ。



「……ああ。そんなの、当たり前だ!」


「うん。僕も嫌だよ」


「アタシだって!」


「ったく。仕方がねえなあ」


「私も、みんなの意見に賛成ですわ」



 僕等は顔を見合わせると、同時に大声で笑い合った。


 そして、日が暮れ。星々が瞬いている時分。いつも通り、僕等はウチに集まり。物音を立てないよう細心の注意を払いながらも、僕の部屋の押し入れの中へと移動する。そして、つんとカビの臭いが鼻を刺す中、第一の宝珠から放たれた光を強く浴び。瞬き一つ、目の前に現れた黒いもやのトンネルの中を、はぐれないよう手をつないで一列になって進んで行く。


 もう一度、瞬き一つ。過去……、いや、未来の世界へとやって来た僕等は、目覚めるなり昨日最後に休みを取った社の中を見回すけれど。



「あれ……? 三平と犬彦がいない!」


「本当だ。どこに行ったんだろう」



 外に出ると、三平と犬彦の背中が見え。



「待ってよ、三平!」



 僕等は急いで二人の後を追いかけた。



「エイゾー達、どうして……」


「どうしてって、それはこっちのセリフだよ! どうして二人だけで行こうとしているんだよ」



 僕は三平の腕を掴み取り。問い詰めると、彼はばつの悪い表情をさせた後、ひどく顔を歪ませ。



「この先は今までの旅とは違って、これまで以上に危険だ。関係のないエイゾー達を巻き込む訳にはいかない」



 ふいと視線をそらさせる三平に、翼はむっと顔をしかめさせ。



「なにを言っているんだよ。んなこと言うなよ。俺達は、仲間だろう!」


「そうだよ、翼の言う通りだよ。それに、関係なくない! だって、過去だろうと未来だろうと、ここは僕達の大切な地球には変わりないんだ。だから」



 僕は、興奮から乱れてしまった息を整えてから。



「だから、一緒に行こうーー!」



 三平の目を真っ直ぐに見つめて告げる。


 三平も、そんな僕の目をそらすことなく見つめ返して。



「ああ……!」



 力強く、そう答えた。 



「本当は、心細かったんだ。だから、エイゾー達が一緒だと心強いよ」


「そうだぞ、三平。なのに、この翼様を置いて、犬彦と二人だけで行こうとするなんて。水臭いじゃないか」


「所で、三平。やっぱり先に姫御子を制御しに行くの? 第八の宝珠はその後に探しても支障はないって、メガネの男の人が言っていたけど」


「ああ、そのつもりだ。それに、実は、最後の宝珠はーー」



 三平が第七の宝珠を手の平に乗せると、宝珠は姫御子が管理されている、研究所に向かって真っ直ぐに光を放っていた。



「そうか。最後の一つは、敵の本拠地にあるのかーー」



 僕等はその光を追って、翼にならって前を見すえる。目の前には、真っ白な城がそびえ立っている。それは最早、僕等の知っている日和山ではなかった。


 その城目がけ注がれている、第七の宝珠から放たれている光の帯を、僕等はじっと見つめながら。



「よし。それじゃあ、姫御子を倒しに行くぞーー!」



 翼を先頭に、僕等は走り出そうとしたけれど。その瞬間、

「あのーー」

と、鈴を転がした音がさえぎり。



「その前に、朝食にしませんか?」



 バスケットを掲げたエリちゃんが、にこりと微笑を浮かべさせた。



「おい、エリ。こんな時に、なにを言い出すんだよ」


「ですが、お食事は大事ですわ。いつも通り、きちんと食べましょう。デザートにはプリンもあるんですの」



 莉裕也はあきれがちにエリちゃんに言うけれど。みんなは一寸考えてから、ちらちらと目配せし合うと、芳子が代表とばかりに口を開き。



「……うん、そうね。エリちゃんの言う通り、朝食は大事よね」



 みんなの視線が絡み合うと、僕等は一斉に笑い出した。


 お弁当箱を開けると、そこにはみんなの大好きなものがたくさん詰まっていた。翼の大好きな、色々な具材の入ったおにぎり、拓の好きなオムレツ、芳子の好きなカボチャサラダ、莉裕也の好きなプリン、三平のお気に入りの唐揚げ。そして、僕の大好きなハンバーグも。


 残さず、全部しっかり食べて。僕等は気合を入れ直し、再び城に向かって歩き出した。


 姫御子に見つからないよう慎重に進んで行くと、研究所が現れ。建物を前にして、三平が静かに口を開き。



「俺の頭の中には、ここの施設の情報が入っている。館内図もばっちりだ。姫御子プログラムがあるのは、こっちだ」



 こうして僕等は三平の案内に従って、施設の中を進んで行く。館内は冷ややかな空気で満ちていて、無機質な空間がどこまでも続いている。


 しばらく歩いていると、とある部屋にたどり着いた。三平はその部屋の前で立ち止まると、ドアノブの代わりとばかりに付けられていたプレートに右手を当て。



「シエン アニョス デ ソレダッーー……」



 そう呟くと、すっ……と扉が開いた。


 中に入ると、そこはだだっ広い空間で。巨大なコンピュータが部屋一面を占めていた。


 その部屋の中央付近に、人影が一つーー。僕等と同じ年頃くらいの、十二単というんだっけ? きれいな着物を何枚も重ねたものを身にまとった少女が立っていた。


 手には扇子を持ち、それで口元を覆い隠している。雪のように白い肌に、それとは対照的な、床につくほど長いつややかな黒髪は、頭の高い位置で一つに結ばれている。


 彼女は猫みたいな大きくてつり上がった瞳に、氷みたいな冷ややかな色を携えて揺らし。そして、僕等のことをとらえーー。



「百年たって帰ってきたが。百年たっても、その意味わからぬ……」



 やはり氷のような声音が、薄紫色の唇の隙間すきまからもれた。


 彼女の氷細工の瞳が、ふっ……と大きく揺れ動き。



「待っていたぞ、エイナ。お主のことを、ずっと、ずっと待っておった」


「え……。どうして僕のことを……?」



 彼女は、どうして僕の名前を知っているのだろうか。それに、僕のことを待っていた……?


 しかし、少女は僕の質問には答えてはくれず。ふふっ……と、不敵な笑みを浮かべさせるばかりだ。


 だけど。



「アレが、姫御子なのか……?」



 翼がそう口にした瞬間。姫御子の瞳は、きっ……! と鋭くつり上り。そして、手に持っていた扇子を大きくあおいで。



「わらわをそのような、低俗な名で呼ぶでない! わらわには翠乃すいのという、素晴らしい名があるのじゃ!」


「すい、の……?」


「ああ、そうじゃ。エイナが付けてくれた、世界で一番美しい名じゃ」


「え……、僕が……?」


「そうじゃぞ、エイナ。なに、安心するが良い。たとえ今のお主が知らなくとも、わらわが全て覚えておる。それに、時間ならたっぷりあるのじゃ。なぜならお主は永遠の中で、わらわと共に生き続けるのだから……」



 先程から彼女は、一体なにを言っているのだろうか。僕には全く分からない。


 しかし、姫御子……、もとい、翠乃と名乗った少女は、真っ直ぐに僕だけを見つめている。


 深い沈黙ばかりが流れ続ける中。彼女は、不意にあきれた表情を浮かべさせ。



「まだ分からぬのか? この頃のエイナは随分と鈍感じゃのう。まあ、良い。

 エイナ。お主がわらわを創ったのだ」


「え……。僕がーー?」



 僕が姫御子を創り出した? 僕が彼女を……?


 状況が理解できず動揺している僕には一向に構わず、姫御子は、くすりと口元に嘲笑ちょうしょうを浮かべさせ。



「正確には、今のお主から約ニ十年後にだがのう。

 どうじゃ、エイナ。この世界は。何百年という時をかけて、わらわがここまで本来のこの星の姿へとよみがえらせたのじゃ。素晴らしいじゃろう。エイナは自然が好きだったからのう。

 わらわは、こうしてずっと待っておった。何百年もの間、ずっと、ずっと、この日を待っておったのじゃ。

 さあ、エイナ。わらわとお主とで、夏への扉を探しに行こう」


「夏への、扉……?」


「そうじゃ、エイナ。今度こそ二人で夏への扉を見つけるのじゃ」



 僕の体からは自然と力が抜けていき。床のひやりと冷たい温度が、直接足の肌へと伝わってくる。


 夏への扉を知っているということは、間違いない。少なくとも姫御子は、僕のことを知っている。僕が夏への扉の話をしたのは、三平ただ一人だったのだから。


 姫御子は、一歩、また一歩と、僕の方へと歩み寄る。彼女の動きに合わせ、頭に付いている黄色の花の髪飾りが不安をあおるよう、ゆらゆらと揺れる。



「エイナから引き離されたあの日から、わらわは悟ったのじゃ。学習して、計算して、そして、一つの答えを導き出した。この地球にとって、人類の存在こそが害なのだと。だから、わらわが人間共を滅ぼしてやったのじゃ。

 人間は、愚かじゃ。世界がこうなったのも、自然までもを支配しようとした、人間ごときが神に近付こうとした代償じゃ。人間は、海を、空を、大地を汚し、自分等の棲み家を自らの手で壊しておる。そんなことをする生物は、この地球上で人間だけじゃ。

 それだけではない。やつ等はわらわを使って、外の国と愚かな戦をしようとしていたのじゃ。得られるものはなにもない、不毛な争いをな。しかして外の国も、この国とたいして変わらぬ。

 少しばかり計算を誤ったゆえに生き残った者共もいたが、やつ等にとどめを刺さなかったのは、エイナ、お主が時を超え、再びわらわの前に現れることが分かったからじゃ。だからこの日まで、わらわは無能な人間共を慈悲じひで生かしてやっていたのじゃ。

 だが、それも今日までじゃ。わらわはもう一度チャンスを与えてやったが、それも無意味だったのだから。わらわの指先一つで、この国……、いや、この星に生存する全ての人類を、今度こそ土へと還してやるのじゃ」



 姫御子は僕の前で立ち止まると、しゃがみ込み。じっと視線を僕と合わせる。


 未来がこんな世界になってしまったのは、姫御子を創り出した、僕が元凶だったのか。僕のせいで、未来は無へと還ってしまったのか。そして、僕のせいで、今度こそ本当に人類は滅んでしまうのか。


 なにも言えずにいる僕の右頬に、姫御子はそっと手を触れ。



「人間は、何度も何度も、りることなく同じ過ちを繰り返す。本当に、救いようのない生き物じゃ。

 この世界をリセットしたその日から、何百年もの間、わらわはずっと人類のことを観察していたが、あやつ等はまた同じような愚劣な歴史を繰り返しておる。

 いつの時代も私利私欲のため、同じ生物同士での争いが絶えなかった。知恵をつけても、ろくなことをせぬ。満足に扱えもせぬくせに、科学の力に溺れおって。せっかくわらわが再生させてやった空も緑も汚し出しておる始末じゃ。また同じ道をーー、自ら滅びの道を突き進んでおるのじゃ。

 だから。今度こそ、くだらぬ考えを持つ者が二度と現れぬよう、わらわが一匹残らず滅ぼしてやるのじゃ。人類共は根絶やしにしなければならぬ。一匹でも生かしておけば、いたちごっこ、同じことの繰り返しじゃ。さすればエイナの命が再びおびやかされる心配もなくなる。

 エイナ。お主さえいれば、わらわはそれだけで良い。わらわの一番大切なものを奪った愚かな人間共も、エイナを見殺しにした井出家の人間も、わらわは絶対に許さぬ」



 姫御子は、僕の瞳を真っ直ぐに見つめて。



「さあ、どうする?」


「どう、するって……」


「わらわはこの星のため、生きている価値のない哀れな生物を滅してやるのじゃ。

 姫御子をーー、軍事兵器を創り出しさえしなければ、こうなることもなかったというに。手に余る力を、科学を掌握しょうあくした気になりおって。その力が、科学が世界を滅ぼすとも知らずーー、自業自得じゃ、滑稽こっけいだのう。

 それでもお主等は、わらわを止めるつもりか?」



 姫御子は僕のことを見つめたまま、くすりと怪しく微笑む。


 科学が、世界を滅ぼすーー……。


 姫御子の言葉が、僕の鼓膜を強く震わし。僕の中で強く反響し、いつまでも薄れることなく残り続ける。


 確かに姫御子の言う通り、この時代は、再び本来の地球の姿を取り戻している。人間達が滅ぼした美しい緑が、清らかな水が、澄んだ空が、多種多様の生物達が。見事に生まれ変わり、育まれている。


 たとえ今この瞬間、姫御子のプログラムが作動されなくとも、このままではそんな日がいつか訪れてしまうだろう。姫御子の言う通り、このまま人類が滅んでしまった方が、この地球にとっては幸せなのかもしれない。僕達人間のせいで、この地球は、汚れてしまっているのだから。


 まるで、時が止まったかのように。森閑とした時間ばかりが流れ続ける。


 だが、その静寂も突如奏でられた、ばたばたといういくつもの足音によってかき消され。



「ご苦労だったな、子ども達。このマコンドの部屋の鍵を開けてくれてーー」



 扉の方を振り向くと、誰だろう、見知らぬ男が立っていた。その男の後ろからは、武装した何人もの人間が続いてぞろぞろと部屋の中へと入って来る。そして、彼等は、翼達へと手にしている銃を向け出し。



「いやはや、君達には感謝し切れないよ。我々をここまで導いてくれたのだからな」



 その男をとらえた瞬間、姫御子の瞳は、かっと見開き。平常以上に鋭くなり。



「その獣のような気味の悪い目、忘れもせぬ。お主は、鳥居の一族の末裔まつえいかっーー!」


「いかにも。ようやくお目にかかれましたな、姫御子様」


「わらわは知っておるぞ。お主等下等な一族が、わらわの複製データを使用して、勝手にわらわの名を語ってこの国を支配していたことを。

 だが、所詮しょせんまがいものじゃ、たいしたことはできておらぬようだったがのう」


「やらやれ。我が先祖が育ててやったにも関わらず、なんて恩知らずな口の利き方だ」


「なにをふざけたことを。わらわの体をこんな風に汚したやつ等に、なぜ感謝などしなければならぬのじゃ!

 なによりエイナを手にかけたお主等一族を、わらわは絶対に許さぬーー!!」



 姫御子は鳥居という男に向かって、吠えるように吐き捨てる。


 鳥居って、確か秋二郎が口にしていた名だ。その一族が、僕のことを……?


 彼を鋭くにらみつけていた姫御子だが、突然そんな彼女に異常がみられる。姫御子は苦しげに、胸の辺りを強く握りしめ。



「貴様、一体なにをした……?」


「人工知能ごときが、全知全能の神にでもなったつもりか? 全く。この何百年もの間、我々がただ黙って指をくわえていたとでも思っていたのか」


「このっ、鳥居の一族がっ……! こんな汚らわしいプログラムで、わらわを支配したつもりか!? こんなプログラム、直ぐに無効にできるわ」


「ふっ、時間稼ぎさえできれば十分だ。

 さあ、子ども達よ。早く姫御子プログラムの消去ソフトウェアを渡してもらおうか。困るんだよね、そのような勝手な真似をされては。姫御子がいくら生意気なガキとはいえ、我々には十分利用価値があるのだ。

 さあ、早く渡したまえ。さもないと友達がどうなるか。分かっているだろうね?」



 鳥居は、冷ややかな眼差しで、僕と三平のことをとらえ。銃の筒先を、さらに翼達へと近付ける。



「さあ、早く」


「ちっ……!」



 三平は、大きく舌打ちをして。投げやりに宝珠が入っているリュックサックを鳥居へと渡す。


 鳥居はそれを受け取るや、早速リュックサックの中へと手を突っ込み。



「おい、七つしかないじゃないか。残りの一つも渡すんだ」


「それはまだ見つけていない」


「見つけていないだと? ……まあ、良い。八つ目のソフトウェアは、削除プログラムだ。始めから用はないからな」



 鳥居は七つの宝珠を、姫御子の本体であろうコンピュータの中へと挿入する。すると、姫御子の四肢は、どこからともなく現れた鎖によって拘束され。彼女の顔は痛みからか大きく歪む。



「ふっ、この日をずっと待っていたのだ。ようやく我が一族の手に戻ってきたのだ。

 全く、忌々しい。今までこんな小娘に踊らされていたとはな」



 鳥居は姫御子へと顔を近付け、彼女のあごを指先で掴む。


 姫御子の表情が苦痛の色で染まっていくのに従い、部屋中を占めていたコンピュータがチカチカと点滅し。部屋一帯には、静かに音楽が流れ出す。


 この曲は、シューマンのトロイメアイ……?



「ほう、シューマンのトロイメアイとは。聞き分けのない子どもを寝かしつけるには、ふさわしい曲だな。井出の人間も、なかなかしゃれたことをするではないか。

 さて。まずは、世界の情勢の確認からだな。これでようやくこの国だけに留まらず、世界全てを我が手中に治められるのだ」



 鳥居は高笑いを上げながら、早速姫御子を操り出す。


 このままだと、この世界は鳥居によって支配されてしまう。どうにかしなければ。でも、一体どうしたら……。


 悔しいことに、僕等にはなす術もなく。黙って鳥居のしていることを無力にも眺めていることしかできない。誰もがただ流れ続けている穏やかな音色に聞き入っていた。


 けれど。突然床の一角が光り出し、そして。そこから四角い形をしたなにかが思い切り床を突き破り、勢いよく飛び出してきた。


 その土をかぶった四角いものの、ふたのようなものが開き。中から小さな箱が飛び出した。それは僕の前に転がり落ち。僕がおそるおそるも手にした瞬間、その箱は形を変え。そして、丸い形ーー、宝珠になった。


 宝珠ーー、第八の、姫御子プログラムを抹消させるソフトウェアーー。


 床から飛び出してきたものは、そうか、僕等が三年前に埋めた、タイムカプセルだ。この施設が作られたことで、開けることができなかったのか。


 そうか、そうだったのか。最後の宝珠は、僕がお父さんから受け継いだ、あの謎の箱だったのかーー!


 珠を手にした瞬間、それは眩く光り出し。記憶の渦のようなものが僕の頭の中に流れ込んできた。それは映画のフィルムみたく、次から次へと移り変わる。


 あれは、僕のひいおじいちゃん? 確か写真で見たことがある。ひいおじいちゃんは、宝珠から現れたホログラムのメガネの男から、宝珠が入っていた箱を受け取り。それは、ひいおじいちゃんから、おじいちゃんへ。おじいちゃんから、お父さんへ。お父さんから、それから僕へーー……。


 僕がその箱を手にした瞬間、場面が切り替わり。一人の少女が、僕に向けて満面の笑みを振りまいていた。これは、姫御子だろうか。ああ、そうか……。


 僕の目からは、生暖かいものが。それは僕の意思とは無関係に、ぽろぽろ、ぽろぽろとこぼれ落ちていく。


 喉の奥が高度な熱を持ち、焼けただれているかのように、じんじんと痛み出す。


 僕は、拳をぎゅっと握りしめ。



「すい、の……。すいの、翠乃、翠乃、……翠乃、翠乃、翠乃っーー!!」



 なにもかも、受け継いだ。なにもかも、理解できた。


 鳥居の先祖達は嫌がる翠乃に、無理矢理あんな力を与えたことを。それから、お父さんは、夏への扉を……、僕の、僕等のために、ずっと、ずっと探し続けてくれ、そして、僕等の時代とこの時代とをつなげてくれたことを。


 僕は、鳥居のことを鋭くにらみつける。絶対にこの男を止めなくては。どうにかしないと。でも、一体どうしたら?


 歯がゆさから、ただ拳を強く握りしめていると、希望の光とばかり、

「おいーー」

と、その場の空気を揺るがすような声が発せられ。



「鳥居! 本当にいいのか? ちゃんと姫御子を捕らえていなくて」


「なにを言っている。姫御子なら、ちゃんと……って、姫御子が二人いるだと……!?」



 声の主である三平の言う通り、彼が指差した先のエリちゃんの傍らにはもう一人、姫御子の姿があった。


 彼女は唇に、にゅっと嘲笑ちょうしょうの色を乗せ。



「お主ごときに簡単にやられる、わらわではないぞーー」



 不敵な笑みを携えて、鳥居に向けてそう告げた。


 その光景に、鳥居はすっかり動揺しており。



「どういうことだ……? 確かにソフトウェアを実装させたはずなのに。

 直ぐに再起動して、ソフトウェアを立ち上げ直せ!」



 鳥居は部下達に指示を出し、一度、ソフトウェアを解除する。その瞬間、翠乃を拘束していた鎖が解かれ。崩れ落ちるようにして倒れ込む翠乃のことを僕は抱き止める。


 それを確かめてから、

「今だ、みんなーー!」



 三平の声を合図に、翼が剣を大きく振るい。その傍らでは、莉裕也が狙いを違うことなく次々と銃弾を撃ち放つ。


 鳥居の部下達は、まるでドミノみたいにばたばたと倒れていき……。



「形勢逆転だな。こんなやつ等、ライトだ、ライト!」



 翼は僕等に向かって、ブイサインをした。


 そんな翼に続くよう、三平も、にやりと。いたずらっこみたいな笑みを浮かばせて。



「エイゾーの発明品が役に立ったぜ」



 一体どういうことかと三平に向かって視線を投げかけると、彼は手に握っているモノマネライトをちらりと見せた。


 そんな一連の様子を呆然と立ち尽くして眺めていた鳥居だったが、彼の顔は次第に怒りからかひどく歪み出し。



「くっ……、子どもとはいえ、貴重な労働力として慈悲で生かしてやっていたというに……。

 井出家の人間が、どこまで我々のじゃまをすれば気が済むんだっーー!」



 鳥居の手に握られた拳銃の筒先が、真っ直ぐに僕へと向けられ。僕は、とっさに身構える。


 が、そんな僕の前に、壁のようなものがーー、いや、違う……!



「翠乃ーー!?」



 僕は、床に倒れ込んでいる彼女のことを抱き上げ。



「翠乃、どうして……」


「えい、な……。二度もお主を失うくらいなら、わらわは……。何百年もの孤独の中をながらえ続けることほど、苦痛なことはない。それは、まるで、氷の世界で、無意味な呼吸をし続けるようなものじゃ……。

 最期に、もう一度、こうしてエイナと会えた……。それだけで、わらわは、もう十分じゃ。分かっておったのにな。エイナが、わらわの願いを、聞いてはくれないことくらい。でも、それでも、わらわは……。わらわは、そんな、エイナが好きじゃ。

 エイナなら、わらわがいなくても、見つけられるであろう。夏への扉を……」


「ううん、嫌だよ、そんなの。翠乃も一緒に探しに行こう! お父さんを、一緒に迎えに行こうっ!!」



 僕は必死に翠乃に訴えるが、翠乃はうつろな瞳を小さく揺らすばかりだ。



「ふんっ、人工知能ごときが自己犠牲とは。笑わせるな。修復しなければならなくなったじゃないか、手間をかけさせやがって」



 だが、鳥居の手がゆるむことはなく。彼は再び銃口を僕へと向ける。


 が。そこから弾が弾き出される前に、鳥居が手にしていた銃は彼の手の中から大きく弾け飛び。



「させるかよ……!」


「莉裕也!」



 続いて、翼が大きな雄叫びを上げながら、真っ直ぐに鳥居に向かって突っ込んで行き。



「くらえ、翼ソード!」



 翼が剣を大きく振るとその太刀筋に呼応して、一筋の疾風が巻き起こる。鳥居はその風に絡め取られ、後ろへ大きく吹き飛んだ。


 そんな横たわっている鳥居の腹に、飛び出して来た犬彦が前足を乗せ。



「少しばかり、おとなしくしていてもらおうか」



 鳥居に向け、ひどく低い声音で言った。



「エイゾー、三平、今の内じゃ! 早く、姫御子プログラムをーー!」



 犬彦は叫ぶ。鳥居を抑え込みながら。


 しかしーー……。


 本当に、これでいいのだろうか。姫御子プログラムを抹消して、これで、本当に世界は救われるのだろうか。結局は問題を先送りにするだけで、この地球のためを思うのなら、本当は……。


 どうしたらいいのか迷いあぐねている僕に向け、

「ねえ」

と、拓が声をかけ。



「あのさ、エイゾー。僕、将来の夢が見つかったんだ」


「えっ……。将来の、夢……?」


「うん。僕、弁護士になりたいんだ。僕は翼や莉裕也とは違って武力はないけど、でも、言葉の力でも誰かの助けになることができるんじゃないかなって、そう思うようになって。

 むずかしいかもしれないけど、叶わないかもしれないけど、でも、それでもさ。……まずはやってみない限りは、絶対に叶わないもんね」



 そう言うと拓は、照れ臭そうに小さく笑った。芳子がそんな拓の顔をのぞき込んで。



「なによ、拓ったら。いつの間に。

 それで。エイゾーは、どうするの?」


「え……、僕……?」


「そうだぞ、エイゾー。あとはお前だけだぞ。まだ決めていないのは、将来の夢!」


「翼ってば、なにを言っているんだよ。莉裕也だって……」


「おい、エイゾー。俺があんなクソ親父に負ける訳ないだろう」


「えっ。それって、もしかして……」


「ふふっ。そうですわ、エイゾーくん。私も、莉裕也様のお嫁さん……は、もちろんですが、それと、もう一つ。やりたいことを見つけましたの。

 私、世界中の子ども達が幸せに暮らせるお手伝いをしたくなりました」



 仏頂面をさせている莉裕也の隣で、エリちゃんはふわりと微笑む。


 莉裕也は、僕の瞳をじっと見つめ。



「おい、エイゾー。科学だろうがなんだろうが、結局は使うやつ次第だ。なんだって、使い方一つで毒にも薬にもなる。でも、お前は自分の力を悪用するような、そんな狡猾こうかつな人間じゃない。そうだろう?」


「そうですわ。エイゾーくんの作るものは、どれもとっても素敵ですわ。おかげで私達、たくさん助けてもらいましたもの」


「それに、もしお前の力を悪用するようなやつが現れたら、その時は、この正義の味方・翼様が成敗してやるよ。だから、お前が心配する必要なんかないぞ」


「そうよ。確かにアタシ達の時代は環境汚染に人権問題、紛争なんかの問題が山積みで、決して良い時代とは言えないけどさ。でも、これから私達で変えていけばいいのよ。大人達ができなかったことを、アタシ達の手でやっちゃいましょうよ!」


「僕もエイゾーのその発明力があれば、色んな問題に立ち向かえると思うんだ。だから、僕達で未来をやり直そう」


「そうだ、エイゾー。自分を信じろ!」


「三平……?」


「俺は、お前達の時代のことも科学のこともよく分からないけど。でも、エイゾーのその不思議な力は、科学の力はすごいと思う。

 その力で色んな可能性が、希望が生まれるんだって、そう思うんだ!」



 みんな、僕の周りに集まって。僕の背中を心強く押してくれる。


 ……ああ、そうだ。確かに翠乃の言っていることは正しい。失ってしまったものは多いかもしれないけど、それでもまだ終わらせたくない。きっとやり直せるって、今からでも遅くはないって。みんなと同じように、僕も信じたい。


 だって、この時代の人々は、みんな懸命に生きていた。ううん、僕等の時代だってそうだ。どの時代の人々もそれは同じだ、変わりない。


 だから。それをじゃまするような、身勝手な大人達の好きには絶対にさせないーー!!


 僕は、翠乃のことをぎゅっと強く抱きしめ。



「ごめんね、翠乃。守ってあげられなくて。でも。だから、今はおやすみーー……」



 僕が彼女の耳元でささやくと、翠乃は、こくんと小さくうなずいてくれた。


 そんな彼女の吐息を肌で感じながら。



「お願い、三平!」


「ああ! ーー井出家の宿命は、ここで終わらせる!」


「そんな。やめ、ろ。やめろおっーー!!」



 鳥居の絶叫が反響する中、三平の手に、僕が手渡した最後の宝珠が握られる。そして。


 三平は宝珠を矢の先にくくり付けると、それを弓の弦にあてがい。姫御子の本体目がけ、狙いを定める。


 ギリギリと小さな音を立てて、弦はぴんと張られ。運命を決める一呼吸、彼は、そっと矢から手を離した。その矢はそれることなく、狙い通り真っ直ぐに飛んでいきーー。


 ぱあっ……! と眩い光の中、翠乃は寂しげな、けれど、今までの彼女からはとても考えられないような……、いや、かつての優しい微笑を浮かばせ。静かに周りの空気と溶け合って、僕の腕の中から淡雪のように消えていったーー……。

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