第21話 大きな箱

 あの家の前を通り過ぎる時、あたしはできるだけ扉の方を見ないようにトンネルの反対側の壁を見続けていた。


 少しでも目に入ると扉に駆けよってしまいそうだった。何も考えないようにして、そのまま、なだらかにカーブしたトンネル沿いに歩いた。


 あたしはここをずっと歩いていけば、おそらく出口らしいものが見つかるだろうと思った。


 途中の壁のところどころに扉がはめ込まれていた。もうあの家の扉が見えないところまでくるとあたしは息をついた。あと少し行ったところでトンネルは終わっていた。そこに両開きの背の高い扉があった。


 扉の右側に縦に一列数字がならんだ文字盤のようなものがあった。数字は上から一で始まって一番下の十で終わっていた。一の数字が明るく光っていた。一から十までの数字のさらに下に三角形のボタンがあった。


 あたしはふるえる足どりで近づくと三角形のボタンを押した。突然、何かがゆっくりと動き始めるような低い音がどこかはるか上の方から聞こえてきた。まるで、お空の上からとどろく雷のようだった。あたしは思わず身をすくめた。


 しばらく文字盤をながめていると一の数字の光が消えて、二の数字が明るく光った。それから順番に光は下の数字の方へ移っていった。それとともに低い雷鳴は近づいてきているようだった。心臓がどきどきしはじめた。あたしは逃げだしそうになるのをやっとの思いでこらえた。


 十の数字が明るく光ったとき、重い機械がため息をつくような低い大きな音が両開きの扉の奥から聞こえた。あたしはよろめきながら、扉のわきの壁ぎわに走りよると急いでリュックを肩から外し、背中を壁にぴたりと、くっつけた。あたしはあの女が好きだったスパイものの映画でよくこんな場面を見ていた。


 すぐに、両開きの扉ががたがたと音をたてて横に開いた。


 扉が止まるとあたりは静かになった。天井の明かりだけがじーじーと鳴っている。あたしは壁ぎわに背中を押しつけたまま、首を伸ばして中を覗き込んだ。誰もいなかった。それは前面が開いたとても大きな地上と地下を登り降りする箱だった。象が乗っても壊れそうになかった。像は乗っていなかった。


 あたしは、明かりを消したランタンが腰のベルトにしっかりとひっかかっていることを確かめてから、リュックを肩にかけるとその箱に乗りこみ、床にへたりこんだ。しばらく待ったが何も起こらなかった。


 箱の内側にも一から十までの数字のボタンがあるのにあたしは気がついた。あたしはやっとの思いで立ち上がり、それに近づくと爪先立ちでせいいっぱい手をのばし一のボタンを押した。


 箱はあたしを上へ上へと運んだ。


 途中どこの数字の階にも止まらなかった。最上階までいって扉が開いたとき、あたしは這うようにして箱から出た。湿ってかびくさい臭いが鼻をついた。どこかの薄暗い地下室の中にあたしはいた。


 頭上高くの窓から日の光が斜めに差し込んでいた。あたしはしばらくぶりに浴びる日の光に手をかざし目を細めた。歩くとスニーカー越しに石畳の感触が伝わってきた。


 前方に石の階段が上へと伸びている。近づくとその後ろ側に小さな子どもが通れそうなくぼんだ暗がりがあった。あたしはそこへごそごそ入り込むと、リュックとランタンを見えないように隠した。そうしておいて石の階段をふるえる脚でやっとの思いで登った。


 階段の中程にかなり広い踊り場があってそこにベールを被った女の人の石の像が置かれていた。女の人は目を伏せてあたしに右手を差し伸べていた。あたしはそっとその手にふれた。すべすべとした手のひらからやさしさが伝わってくるような気がした。


 階段を登り終え石畳の廊下を過ぎると、あたしは寺院か教会のような大きな建物の中にいた。石の壁に大きな色とりどりのガラスがはめ込まれていて、しばらくの間あたしは口をぽかんとあけて見ていた。


 天井はどこまでも高くて、ここでありったけの金切り声で叫べばとっても気持ちがいいだろうなあ、と思った。でも今のあたしにはそんな気力も体力も余裕もなかった。ひな鳥たちがかしましくさえずっていた。


 あたしは弱ったように微笑むと、あたりを見回した。

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