第15話 たいしたことじゃない

 いつの間にかリディアたちの周りには、遅れて追いついた教会の討伐隊が駆けつけていた。

 ジャンの手当てが始まり、治癒魔法の使い手が負傷の具合を確認しはじめる。大丈夫、治るよ、任せて、そう笑ってくれた若い男性の魔法使いに、リディアとアデルは少し怯えながら頭を下げた。

 相変わらず、二人は見知らぬ大人に対しては苦手意識があった。


「……よく生き延びた」


 言葉少なに二人の頭を撫でたザジが、ジャンの治療に付き添う。

 イルザークは最初に影渡りで現れた地点から一歩も動かないままエレイルを消滅させ、そして一歩も動かないままなにかを考えているようだった。


 リディアはすっかり動きの鈍った脚を無理やり叩き起こす。

 手を濡らしていた血はもう固まりかけていた。赤黒く染まった掌を、まるで夢を見るかのような心地で見下ろし、スカートの裾で乱暴に拭う。ジャンとオルガの血だ。身を挺して、戦う力のないリディアを助けてくれた、かけがえのない友人たちの血。

 だけど、リディアにはまだやることがある。


 師の背中はなにもかもを拒絶しているように見えた。実際、討伐隊の面々はどこか畏怖の混じる視線を送るばかりで、彼に近寄ろうとはしなかった。

 アデルとともにその背後に歩み寄る。

 百年の孤独を帯びる師の、殺意の片鱗をいまだ残す腕に縋りついた。


「先生……」


《黒き魔法使い》。魔王。百年前の追放。魔王を殺すためのすべを求め続けた百年間。

 ザジのことも、エレイルのことも、訊きたいことはたくさんあった。

 たくさんあったけれど。


 額をすりよせたリディアの肩を、イルザークの冷たい手が抱く。もう片方の手でアデルの頭を撫でると、師は静かに唇を開いた。


「行くぞ。ココが倒れたのだろう」


 どうやらイルザークは隠し事が好きらしい。

 もともとそういう性質の人だった。嘘はけっしてつかないけれど、本当のこともまた言わない。この期に及んでも黙して語らぬ師に、それでも弟子たちはうなずく。


 だって、たいしたことじゃない。


 六年前、誰にも救われず逃げだしたこどもたちを拾ったのは紛れもないこの人だ。怪我の治療をして、看病をして、不器用に頭を撫でて、けっして見捨てず拒絶せず、ふたりを確かに育ててくれた、ベルトリカの森の孤独な魔法使い。

 そしてイルザークと同じように二人を慈しんでくれた家族がいま、家でひとり寝込んでいる。


 たいしたことじゃない。

 その正体なんて、きっと。


「うん。お願い。早く……」

「……早く」


 戦いの痕跡も生々しいオクの町はずれから、三人は急ぎ離れた。

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