第六章 魔法使いのナーズ

第1話 英雄の昔語り

 ココの容態は、あまりよくなかった。

 自宅に駆けつけたイルザークはすぐに薬を調合したが、いくら魔法薬といえども万能ではない。もともとの持病に加えて肺炎を起こしていたココは、あの戦いの日から三日経っても熱が高いままだった。

 イルザークはココの家に泊まり込んで看病に当たった。

 ジャンの傷は、あの場ですぐに魔法教会の魔道士が治療にあたってくれたこともあり、後遺症などもなく治癒する見通しらしい。まだ自宅で安静にしているはずだが、リディアもアデルもずっとココの家にいるため会えていない。

 代わりに、あの日言葉も交わせないまま別れたザジが白い鳥を伴い、隻腕に花束を持って訪れた。


「駆けつけるのが遅くなって悪かったなぁ……」


 あの日、大剣を携えてアデルの窮地を救ったというザジは、すっかりいつも通りの態度で顎髭を撫でつけながら笑った。


「これでも急いで走ったんだけどな。なにせおれの家から反対方向の森の傍でおっ始めるもんだから。間に合わなかったらイル先生に殺されるところだった」

「ううん、ザジのおかげで助かった。ありがとう」

「……どうせイル先生はなにも話しちゃくれんだろう。差し障りのない部分だけ説明しておく」


 ココの自宅の食卓にお茶を出してから、リディアはアデルと顔を見合わせる。


「でもザジ、わたしたち、先生が話したくないことなら別に知らなくてもいいと思うの」

「……ああ、おまえたちの気持ちもわかるよ。だが知っておくべきだ。只人の弟子の存在が、魔王軍にすでに知られていると解ったいまでは、イル先生のためにもな」


 すぐ隣のココの私室には、彼女が寝ている。

 声をひそめて、ザジは昔話を語り聞かせるように、穏やかに目を伏せた。


「八百年の長きに渡りこの世を脅かした魔王は、もとはイル先生の師匠だったそうだ」


 弟子ふたりは息を止めて聴き入った。

 成る程確かに、イルザークからはけっして口を割らないであろう昔話であったのだ。


「昔むかし、魔法教会と敵対することとなったイル先生の師匠は、やがて天海のくじらの加護から零れ落ちて冥界に沈んだ。天の神々に顔向けできぬような悪事、罪悪、それらはすべて海を潜って冥界の範疇となる。そこに拠点を構えた魔王は、ともに魔の道に身を落とした弟子であり、はじめの配下、即ち《黒き魔法使い》を従えて、軍勢として成長していった……」


「先生が、魔王の手先かぁ」リディアの感心したような反応にザジが苦笑する。

 アデルは「まあ、そんな見た目してるよね」とこともなげに言い放った。自分もイルザークと同じ黒髪黒目であることなど棚の上である。


 そこから、魔法使い対魔王軍の長きに渡る戦いは始まった。

 魔王はときに冥界に身をひそめ、ときにその配下が地上に躍り出ては魔法使いと対立した。そうして決定的な戦いに及ばないまま混沌と一時の平穏を繰り返し、七百年。

 魔王軍に変化が起きたのは百年ほど前のことだ。

 それまで常に魔王の傍らにその影があったはじまりの配下、《黒き魔法使い》が、魔王の不興を買って冥界を追放されたのだ。教会は当然その行方を追ったが杳として知れず、恐らく魔王自身か、魔王軍の仲間内で殺されたのだろうという説が主流になった。

 それから時は流れていまから二十年前、魔王誅伐のために集められた何代目かの勇者一行が、偶然このオクの町に立ち寄ることとなる。


「そこで出会ったのがイル先生だな」

「ザジは、じゃあ」

「うん。勇者さまご一行のなかの一人だ。俺たちはベルトリカの森を突っ切って海に出る予定だったんだが、そこで森の魔物に襲われ、イル先生に助けてもらった」


 ザジはリディアたちから視線を逸らして、遠いどこかを眺めるように目を細めた。


「出会ってすぐは先生が《黒き》だなんて考えてもいなかったんだ。当時でさえ八十年も前の話だったし、外見もいまと全く変わっていないしな。だが、仲間の魔導師が……」


 そこで彼の視線は、左肩にちょこんと行儀よく留まっている白い鳥へと移る。

 あまりに大人しく話を聞いているので、ザジの契約した精霊かなにかだろうと二人は思っていたのだが、ぼうっと胸元に魔法教会の紋章を浮かび上がらせた鳥は嘴を開いた。


「はじめまして。只人の子らよ」


 深い、常盤に染まる森のような、しんとした声だった。

 言葉遣いは丁寧だったけれど、その渋みのある響きはどこか、イルザークやシュリカとはまた違った貫録を感じさせる。自然と背筋を伸ばした二人はぺこりとお辞儀をした。


「はじめまして。リディアです」

「アデルです」

「魔法教会のゴラーナと申します。かつて勇者一行としてザイロジウスとともに旅をしておりました。なにぶん王都を出られぬ身の上ゆえ、口寄せにて御目文字つかまつる無礼をお許しいただけるかな」


 はぁ、と間の抜けた返事をした二人にザジが苦笑する。


「このゴラーナが、どうもイル先生が並みの魔法使いじゃねぇらしい、って気づいてな」


 一行が問い詰めたところ、イルザークはあっさり認めたらしい。

 短く、「うむ、いかにも」といった具合に。

 そしてイルザークは、魔王軍を追放されてからずっと研究し続けていた封印魔法を勇者一行に託した。

 完全な封印など存在しない。いつか必ず魔王は目覚める。兎にも角にも、魔王を確実に殺すための方法を探す時間を稼がなければならない……。


「……それで、封印には成功したんだね」


 リディアが首を傾げると、ザジは柔らかく笑みを浮かべてうなずいた。


「たかが封印なんだが、それ自体が初めてだったからな、英雄なんて呼ばれるようになっちまった。当時の仲間は、ゴラーナは魔法教会の大賢者に出世して、もう一人は聖騎士としてまだ前線に立っている。もう一人はもともと流れの魔法使いだったから多分どっかふらふらしてる。剣腕を失くしたおれは、あっちこっち旅した挙句、何年か前に大賢者からお願いされてオクに移り住んだ」


 ザジは左腕を振った。

 縛られた二の腕から下のシャツがひらひら揺れる。


「魔王復活の暁にゃ真っ先に、裏切り者のイル先生が狙われるだろうってことで、教会との渡りも兼ねてな」


 呼吸の数をかぞえながら、リディアはお茶の紅い水面に揺れる自分の顔を見下ろした。

 イルザークが魔王の配下だったこと、きっとその立場として多くの人間を虐げたであろうことは、本来嫌悪すべきことなのかもしれない。それなのに、イルザークへの想いがひとつも揺らがない自分が意外だった。

 彼女の答えは、先日と同じだった。


 たいしたことじゃない。

 師が何者であろうと、六年前、リディアたちを救ってくれた過去は変わらない。

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