やばい女(大団円)

朝霧が、小塚ッ原あたりに漂っていた。

やがて、朝日が昇るとともに、風が薄絹を剥ぐように霧を払っていった。

刑場の奥で、車輪をつけた大きな木箱に乗る死装束姿の東條弥三郎と、これも死装束に白鉢巻き・白襷姿のお美津が待っていた。

お美津の手には長い紙筒が・・・。

ふたりの後ろには、いつもの着流しにふところ手の東洲斎がさりげなく立っていた。

そのはるか後ろに、奉行所の同心・岡埜吉衛門と目明しの浮多郎。

―火盗の重野清十郎が、果し合いの日時と場所を通告してきた。

浮多郎は、弥三郎とお美津の助っ人として東洲斎に声を掛けた。

・・・双方、助っ人は三人までの決まりだった。

約束の刻限の卯の刻より半刻ほど遅れて、三ノ輪方向から新門結之助がゆっくりと姿を現した。

結之助は、裁付け袴に木綿の羽織姿で、下に鎖帷子を着こんだ武者修行者のようないでたちだった。

助っ人の姿は、ない。

「新門結之助!父の仇じゃ」

お美津は、帯の胸の懐剣を抜き放った。

弥三郎が、杖で箱車を転がし、結之助目がけて突進した。

お美津もあとを追った。

・・・両手をだらりと下げた結之助は、まるで戦う気がないように見えた。

そのとき、驚くべきことが起こった。

なんと、弥三郎が箱車に立ち上がって抜刀し、結之助に斬りかかったのだ。

あわてた結之助も抜刀し、辛うじて弥三郎の刀を鍔で受け止めた。

今は箱車から降り立った弥三郎が正眼に、結之助は下段に構えてふたりは一間ほどの間合いで対峙した。

弥三郎の背に隠れるようにして身構えていたお美津が、長い筒を口に当てて次々と矢を吹き飛ばした。

そのうちのひとつの矢が、結之助の片方の目を射た。

すかさず、弥三郎が飛び込んで、結之助の喉を突いた。

結之助は、喉から血を噴き上げ、死の踊りを踊るようにしてもんどりうって倒れた。

お美津が、懐剣で結之助の止めを刺し、弥三郎は首を取った。

いつしか、東洲斎の姿は消え去っていた。

『この仇討ちは、あまり美しくない』

そう思った浮多郎が岡埜と目を合わせると、岡埜は唾を吐き捨て、肩で風を切って三ノ輪のほうへと歩き出した。

―三ノ輪の名代の蕎麦処・吉田屋で、岡埜の朝飯につきあったあと、浮多郎の足は浅草の先の東本願寺の仲見世へ向かった。

仲見世のはずれの小間物屋の前に立った浮多郎を見て、

「お姉ちゃん。浮さんだよう。浮多郎さんが来たよう」

店番をしていた義妹のお秀が、姉のお楽を呼んだ。

お楽とは、東洲斎が落籍した吉原の角屋のお職女郎・朝霧太夫の新しい名前だった。

間口半間の小間物屋に、浮多郎の店の櫛笄簪と、蔦屋重三郎の耕書堂から仕入れた写楽の役者絵を並べて売っていた。

「あら、浮さん。よく来ておくれだねえ」

お楽が、その美しい顔を暖簾の間からのぞかせて微笑んだ。

もとは武家の娘のお楽だが、いつまでも廓なまりは抜けない。

「先生、いるんでしょう?」

とたずねると、

「とんとお見限りさね・・・」

お楽は眉を曇らせた。

てっきり、小塚ッ原の帰りに、東洲斎はここへ寄ったとばかり思ったが、『かえってお楽さんにつらい思いをさせてしまった』と、浮多郎は臍を噛んだ。

「でもさ、先生の役者絵は売れるねえ。それこそ飛ぶようにさ」

・・・取り繕うようにいう、お楽が哀しい。

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寛政捕物夜話(第十二夜・やばい女) 藤英二 @fujieiji_2020

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