第10話 Around The World In A Day【 小夜啼鳥|Nattergalen】

小夜さんは、そう言うと、傍で、路上の往き交う車をぼーっと眺めてる楠さんをこずいた。「それから、5年だよね、楠先生。」


「私は頑張ってたつもりだったんだ。必死で。そんな私にね、母が、結婚しないかって。このおじいさん先生とさ…。」

「あまりに斜め上の提案だったんで、呆然として、聴くしかなかった。この楠先生も、愕然としてて、私と、お母さんをね、交互にみてたんだ。

で、さっきの話。契約結婚のね…。 」

思い出したように、小夜さんが楠さんに言った。

「ねえ、楠先生。喋んないの?」

「ん?ばーか。全部お前がしゃべったじゃねーか。

もう、この年になるとさ、喋って自分の主張とか、そんなのやっても、なんの得にもならんのよ。うっとおしがられるだけだからな…。聞き役に回った方がラクだし、人気ものになれるんだぜ。」


そういう楠さんに、小夜さんは、「間違いないね」と笑った。「 結果、こんな美人と暮らせる」と。


何事もない、何も起きない日常の四人のお茶の時間だった。


「言ってろ。抱けない目の前にいる美人なんか、行きずりの風俗嬢よりタチが悪い。しかも、俺の嫁だぞ?意味がわからん!」

そう言って話す楠さんは、楽しそうだった。

「楠さん!まだ勃起するの?」ルコが初対面の相手とは思えない質問をする。

「するさ!ルコちゃんみたいな扇情的なかわい子ちゃんならな!おっぱいでかいね!」

「嫁の前で他人の彼女を口説くなよ。」

小夜さんが、「なぁ!ヨウタ!」と、同意を求めてきた。小夜さんの呆れ果てたような声と、苦笑い。


そして、ルコが、急に神妙な顔をして、「小夜さん聞いていい?」と言った。「私が旦那とまだ続いてるの?って聞いた時、なんでその足を見せたの?」

小夜さんは、うつむきながら言った。

「嫉妬?意地悪?君たちが、あまりにも、可愛い何も知らないセックスと、じゃれあいをしてて…。あー、人は、至高の何かを知らずに生きる事でこんなにも綺麗な戯言の陽だまりを作る事が出来るんだって…。これも、世界が産んだ未熟な至高なんだろうなと思ったから…。嫉妬した上での意地悪…?」

ルコは、僕へ顔を向けて、真剣な顔で言った。


「私たちのセックスが、バカにされている…?」


いつもふざけている彼女が真剣に言う言葉がこれか!と思うと、動揺したけど、とりつくろうように、無表情を保った。

つまり、それは、必ずしも男性経験が少なくない彼女にとっては、衝撃的、かつ、屈辱だったらしい。


「ばかにされているうちが華だぞ。おまえらは、小夜と彰にそっくりだな…。小学生の頃、いつも手を繋いで、幸せの権化みたいに、うちの美術教室に来てたよ。俺にいたずらを仕掛けるのがとても好きな奴らだったよ。」


思い出を噛みしめるように、目を伏せ、寂しそうに笑った。


「今だに、いたずらを仕掛けられてる気分だけどな…。」


「絵の具で、身体中ベタベタにしてさ、青の絵の具が好きな小夜と、幾重にも重ねた色が生み出す黒が好きだった彰と。絵を描くときだけは、並んで夢中になって描いてたな…。夕日が照らす、こいつらの頰の産毛が綺麗でさ…。真剣に絵筆を握りしめて一心に描き続けるこいつらは、普通の子供たちとは違ってた…。

そして、帰るときは名残惜しそうに、絵筆を置くんだよ。おれは、こいつらが、可愛くてしょうがなかったんだ…。」


ルコが言う「そのロリコンが嵩じて、今はその幼女が妻に?」という言葉に楠さんは、なぜか顔を赤くした。

「LOVEやな!LOVEや!」

ルコが囃す。「好きなんすか?」


楠さんは、「一緒にな、暮らし始めると、ロリコンでなくても変な情が移るもんだ。体が反応しないにしてもね…。」と話す。


それを聞いて、小夜さんは無表情で無言で楠さんをじっと見つめていた。

思い切ったように首を左右に大きくゆっくり振ったあと、顔を右に傾げながら…。

手のひらで頰から右目を隠しながら…。


何か、追い込まれたストレスを感じてるそんな仕草…。

「そう、いつも、約束させて、その約束を破ろうとするのは私なんだ…。」

「ねえ、ヨウタ。」無表情で、楠さんを見つめたまま言った。「ヨウタが、私をつけて来た日覚えてる?」

バレていた…。


すかさず、ルコが言う「あー、私がスターバックスのダークモカチップ、買ってきてた時に、偶然、小夜さんを尾行してたヨウタを見つけた日?」

バレていた…。


何も言葉が出なかった。

「こいつ!なにストーカーやってんだよって思って、電話したら、お得意さんに会って戻るのが遅れるとか言うんだよ!嘘つくの!びっくりした!」

小夜さんが言った「うん。ルコを見つけて、その視線の先にヨウタがいたからね…。ゴミ箱蹴ってたよねルコ…。」

クラクラした…。


「あのコーポは、この人が住んでたの。その当時は、この人が彰の作品を管理してくれていて、よく、足を運んでたんだ。」

「私は、この人と籍を入れてたけど…。実は、一緒に住んでなくて。

彰の作品に会いに朝、紅茶の時間を過ごすという約束を守らなきゃと、会いに行ってたの、時折、そこで、私も絵を描いてたわ。絵を描きながら、時折徹夜することもあったんで、生活必需品は置いてたのね。」「この人は、まだ、私に興味がないふりをしてて。普通に絵を描いてたの。油絵のね。すごく強い匂いが部屋に充満してて…。

兄さん思い出して、なんか泣けてきた。あの時、睡眠導入剤無くて、二日間寝てなくて、しかも生理で…弱ってたのかな。

普通に、泣かないよ。泣かないけど、切なくなって、後ろから抱きついちゃったんだ。楠先生にさ…。」

「先生のね、耳に唇を寄せてみて、胡座をかいてる膝をね触ってみたんだ。この人さ、身動き一つできないでいるのよ?

あとで聞いたら、動いたら、契約違反になると思って動けなかったんだって…。」

「触っていい?って聞いたら、契約違反にならないのなら。って彼は声裏返しながら言って、自分が緊張してるのおかしくて笑ったんだって…。でも、全然だったんだよね。この人…。ほんと、全然体が反応しなくって…。

なんか、そこでさ、私、人外になるつもりで生きてたのに…。

なんか悔しくてさ。ちょっと泣けてきたんだわ…。小走りでさ、会社帰るときに。私は、不遜だったなと。手で彼を満足させてあげるつもりが、簡単な快楽の一つも人に与えることができないんだなと…。」

「あの時が、精神的に一番ヤバくて。一緒に住もうかって。仕事が終わって、先生に言ったわ。」

「もちろん、契約は継続。決まりも継続中。なんか、楽になった!

それで、次の仕事を見つけて…。まずは、一緒に世界旅行に行くか!って。とりあえず、退職願を書いて送って。南の島、巡って帰ってきて…今に至る…。貯金とか全部なくなった!!」


「でもね…たくさんすごいものを見てきたよ二人で。みんなに言っても、信じられないようなものをね。本当にたくさん!!

みんな、信じないから、誰にも言わない…。二人だけの秘密なの。」


そう言う小夜さんは、嘘をついているようにも、真実を伝えているようにも見えたけれど、嘘でも真実でも、それはどうでもよかった。

小夜さんも、自分の中にひだまりを見つけたように見えたから。

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【 小夜啼鳥|Nattergalen】 もりさん @shinji_mori

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