第9話 葬【 小夜啼鳥|Nattergalen】

「ねぇ、お母さん…。あのアンデルセンの小夜啼鳥のお話ははかっこよかったよねぇ…。」


「すごく不思議なの。あの鳥は逃げ出して五年どこをさすらってたんだろう…。

何を考えていたんだろう。

なぜ、王様のために、戻ってこれたんだろう。

なぜ、機械の小夜啼鳥のねじは、誰も巻いてくれなかったんだろう…。

どうすれば、死神は消えたんだろう。

どうすれば、王様の元に本物の小夜啼鳥は飛んできたんだろう…。」


「ねぇ、お母さん。ねぇ…。私ねぇ…。彰兄さん好きだったなぁ…。」

「私さぁ…彰兄さんと寝たの。わたし、それが忘れられなくて、兄さん以外の誰にも触らせたくなくて…、ほら…。

綺麗でしょ。

みんな、目を背けるんだ。でも、わたしは、綺麗だと思う。誰にもわからないし、わかろうとしない。私にしかわからないんだよ…。」


そんなことをつぶやく私をお母さんは、憐れむような目で見ていた。

お母さんは、兄さんが亡くなったことを受け入れてから、何も驚かなくなった。

私の頭を撫で、深くため息をついた。

果物ナイフで切り裂いた喪服のスカート。引きちぎって破れたストッキングから覗いている内臓のような、でこぼこの手触りの火傷の跡。

この子は、どうなるんだろうと言わんばかりに、お母さんは何度目かのため息をついた…。


通夜、ほとんど知らない他人のような叔母さんと名乗る女に、小夜ちゃんは結婚しないの?早く子供を産んで家庭を持ちなさいと、まるで、どこで聞きかじったかわからないような、一般論を並べ立てた話を延々と聞かせられていた。お母さんを安心させなさい。子供を作るのは女性の使命。私は三人の子供を育てて、みんな大学に行かせて、いま、長男は一部上場企業に…彰兄さんの為にも…もっと落ち着いて…


私は、血が逆流するのを感じていて、心臓が喉の奥までせり上がるような警鐘を鳴らしていた。耳鳴りがひどく、対峙する彼女の言葉の断片がちぎれ始めた。耐えようとしながら、うつむき、両手で頭を抱えた。

その手が、自分の頭をかきむしり始め、握りしめた手が自分の髪の毛を掴み、誰かの細い甲高い叫び声がしていたと思ったら、それは、私だった。

髪の毛は今の現実を否定するかのように嫌悪感とに共に私自身の手で引きちぎられた。


その瞬間、私はテーブルを蹴り倒し、その、親戚と名乗る見ず知らずの女性に罵声を浴びせかけた。

背後のちゃぶ台の上に乗る、果物ナイフを私の両の太ももの間、喪服のタイトスカートに突き立て、裂き、黒のストッキングを引きちぎり、叫んだ。


「この体に、刻まれたこの跡をみても、そんなことが言えるの?!」


焼けただれた太ももは、彰と暮らした証明で、私が刻みつけた誇るべき刻印だ。だが、激昂のあまり、その宣言の本当の意味を説明することもできず、ただ、果物ナイフを片手に、息も荒くあたりを睥睨していた。過呼吸だ。

くいしばった歯の間、喉から笛のような音が漏れていた。

小夜が狂ったと、私が狂ったと、親戚の皆が思っていたはずだった。


その時、傍にいて、黙々と仕出しの弁当箱に詰められた精進料理を頬張っていたのが楠先生。彰兄さんの絵の先生。


頬張ったまま、きょとんと、私を見上げていたが、名残惜しそうに箸を置き傍にあった毛布を引き寄せると立ち上がった。「小夜、おまえさ、彰が亡くなって辛いのはわかるけどさ…これはダメだな!」とたしなめながら、果物ナイフを取り上げると、手のひらで、私の頭をこずいた。私は軽くよろけて、体勢を戻す時に勢い余ってすがるように楠先生にもたれかかった。


その私を毛布で包むと「小夜ちゃん、子供は寝る時間だ。あっちの部屋借りるよ。おかぁさーん。ほら、付き添って。」と言った。

私の肩をだきながら、母に声をかけ、私をその部屋から連れ出した。

子供の頃から知っている、絵描きの先生。

彰兄さんと一緒に通ってた絵画教室、あの当時の先生は、今の私と同じくらいの年齢だった。


毛布に包まれながら、ナイチンゲールという童話を思い出していた。

小夜啼鳥という名前がついていて、アンデルセンが書いた童話だ。

私は、その小夜啼鳥になりたかったんだ…。


偽物の機械の鳥に、その座を奪われ、城を追われても、皇帝の窮地に、戻ってくる…。

五年流離った後、皇帝を連れて行こうとする死神に対峙し、その声で魅了し、追い払う。

そして、一緒に暮らして欲しいと言う皇帝に言うのだ。

「私はいつでも皇帝が辛い時にやってきて、歌います。ただ、条件は、そのような鳥があなたのものである事を周りの人に言ってはいけない」と…。秘密の護符のような言葉を残し。秘密の森に帰っていくんだ。


楠先生は、言った。

「彰は天才だったよ…。小夜の描く絵も上手かったけど、彰がその体に積んでた世界を捉える受像機は、普通のものと全く違った…。」

「震えたね。見た瞬間…。」

「でも、天才は世界に受け入れられない。小学校から中学校に入ってから、天才の絵が描けなくなってたんだよねぇ…。学校の教師が教えた、妙な癖がついちまってて…。矯正されたんだなぁ…。見るも無残だったね…。

それをきちんと、彰の絵に修正するのに何年かかったか…。それでも、まだ、取り戻してないんだよねぇ。否定され続けたショックで、天才の絵にも疑問を持ってしまってた。迷いっぱなしで、自分を追い込んでいったんだな…。」


「きっと、彰は、その美術の先生が好きだったんだろうな…。」


悲痛な沈黙が母と私と楠先生を満たしていた。

「なんでもいう通りに描いてたんだと思うよ…。賞もとって、先生が喜んでるのを見るのが嬉しかったんだろうなぁ…。」

「でも、ほら、こいつ天才じゃん?気持ちが納得しないんだよ。クソみたいな絵を描かされてても…。」

「元が天才だから、受賞する。でも、それでも病むんだよね…。

天才は今の世界から逸脱してるから…凡人に対する翻訳の機能を欠いて生まれてくるから…天才がみている世界をそのまま表現すると、激しい嫌悪に晒される。でも、それが世界の本質なんだよ。そして、彰はそれを伝えることしかできなかったんだけどね…。」


「小夜ちゃんは、そんな彰と寝てさ、もしかしたら、その彰が見ている世界を共有したのかもしれないなぁ…。」


「楠先生の言葉を聴いて、私は、見開いた目から涙が落ちてた。悲しいとか思わないんだよ。でも、涙が止まらないんだよ。

「このジジイ、なんで知ってんだよって思ったんだよ。」否定も、肯定もせずにそう思ったんだ…。」

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