第3話 原稿を書くために-トラウマとの格闘-

 閉鎖病棟任意入院日記

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054882101528

 を書いた時には任意入院していた当時の生活メモ(日記のようなもの)が残っていたので、それが随分役に立った。


 だが、『閉鎖病棟強制入院日記(仮題)』を書くにあたって、そんな生活メモや日記の類は存在していない。

 筆記用具携帯の許可を得るまでにも一か月以上かかったし、当時の自分にとって入院したことは恥以外のなにものでもなく、忘れ去ってしまいたい、消し去ってしまいたい、闇の記憶だったからだ。


 でも一つだけ当時の記憶を引っ張り出す、根源にできるものがある。

 医療保護入院≒強制入院させられたときのカルテである。


 ――退院してから一年以上経ったとき。

 私は、記憶がまだ鮮明なうちに、真実を知りたいと思った。

 自分が無理やり入院させられた裏で、両親や医師の間で具体的にどんな話が進んでいたのか。

 医療スタッフから受けた暴虐はどんなふうに記録されているのか。


 それで、私はカルテ開示をする決意をした。

 正式な手続きに則り、あくまで事務的に手続きは進めた。

 開示されなかったらどうしよう、という心配は杞憂きゆうに終わった。

 何か月か後に、私の手元にはバインダ一冊ほどの、入院と通院の記録が届いたのだった。


 そして、自分のカルテの写しを一通り読んで見ようと思った私は、数枚も読み進められなかった。


 冒頭に、遺伝図があった。

 私の親戚に同病の人間や自殺した人間がどれくらいいるかの記録。……私には未だに知らされていない、情報だ。


 吐きそうになった。


 


 両親への憎悪がこみ上げた。


 震える手でページをめくる。『易怒性が見受けられる』『垂涎あり』など、思い出したくもない事柄が、端的に文字になって記されている。


 看護師によっては、文字が汚く判読が難しい個所もあるが、当時の私が苦しみながら、訴えかけていたことや、努力していたつもりだったことがことごとく裏目に出ていたこともわかった。


 開示されたカルテの写しを読みながら、私は泣いていた。

 怒りからも、悔しさからも、憎しみからも、涙は流れるのだと、初めて知った。


 ――そして、それから十年以上が経った今。


 記憶は、細部や整合性は薄れたかもしれない。でも、あの恥辱の日々はまだ、私の中にしっかりと根付いてここにある。


 正直に言おう。


『精神科閉鎖病棟強制入院日記(仮題)』を書くためには、カルテを紐解く必要がある。

 でも、それを読んで、今の私は冷静でいられるだろうか?


 次回予告「カルテというパンドラの箱を開けて-トラウマの渦にあえて飛び込んで見えた景色-」

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