5 悲しみの歌

 魔物や害獣モンスターに怯えながら、そろそろとダンジョンを歩く。

 そんなわたしの前に、それは突然現れた。

 薄暗いダンジョンの奥。ぼんやりと光の届く辺りから、なにかゆらゆらと揺れる影が見えたんだ。


 魔物じゃない、じゃあ害獣モンスター!?


 すぐ踵を返せるように身構えて、その影を凝視する。

 その影には頭があって、身体、二本の腕、そして足…。


「えっ……?」


 その影は、人の形をしていたんだ!


 どうしてこんなところに、人がひとりでいるんだろう!?

 でも、自分だって今ひとりなんだし、他にもそういう人がいたっておかしくはない。

 それに、ひとりという事は、それでもダンジョンの奥まで来られる上級冒険者なのかもしれない。


「あの、すみません! おひとりなんですか!?」


 ドクドクと高鳴る胸を押さえて、精一杯の声をかけた。

 足がもつれそうになりながら、自然と駆け寄ろうとして……途中で止まった。

 それは、依然として影のままだったんだ。


「人……だよね……?」


 光をその人影の方へと向ける。

 明るい光が照らし出したにも関わらず、それは真っ黒な影のまま。

 まるで、人の形に穴が空いてしまったかのような錯覚を起こしそうなほどの闇。真っ黒な影。


 それどころか、ゆらゆらと揺れるその影は、何か呻いているような声にならない声を出していたんだ。

 恐ろしくも、なぜか悲哀を感じる声。


「なに、あれ……」


 途中で止まった足を、一歩後ろへと下げる。

 影は二本の腕を、何かを探すように前に突き出し、空間をまさぐっている。

 頭も真っ黒い影で、顔なんてものもない。


 魔物かと思ったけど、魔物の感じはしない。だって、魔法生物である魔物は、魔力を持つ人なら近づけばわかる。

 だけど目の前の影からは、魔物の感じは全くしない。


 それなら害獣モンスターだろうか?

 でも、あんな人の形をした害獣モンスターなんて、見たことも聞いたこともない。

 だけどもしかしてそうなのかも。このダンジョンに入ってから、見たことのない青い毛並みの狼に似た害獣モンスターと出会ったし。

 わたしが知らないだけで、そういう害獣モンスターがいるんだとしたら。


 逃げた方がいいの?

 それとも戦った方がいいの?


 影の歩みは遅い。目でも見えていないかのように手を前に出し、ふらつきながら歩いている。

 このスピードのままだとしたら逃げられるかも。

 相手のことが何もわからないんだから、戦うのは出来るだけ避けた方がいいに決まってる。

 戦ってしまったら、どちらかが倒れるまでやめられないから。

 じりじり後ずさり、身をひるがえそうとした、その時。


 オオオゥオオォォゥオォオォオオゥゥォォォオォオオォォォゥ……


 ひどく悲しい声だった。

 あの影の声だ。まるで泣いているかのような。


 いや、泣いているんだ。


 あんな声をわたしは知ってる。

 あの時に、嫌という程ほど聞いた。

 みんなが嘆き悲しむ声。わたしも、ユウタも、みんな。大勢の人が泣いて泣いて、声にならない声を出して泣いて。


「あなた……悲しいの……?」


 逃げようと思っていた足が止まった。

 あの差し出された手は、まるで何かを探しているようだ。

 泣きながら、何を探すの?

 やっぱり、あれは人なの?


 そう逡巡した一瞬。

 黒い影が揺らめいた。悲しみの声を上げながら、一気に空中へと飛んだ!

 一瞬、まるでスライムのようにぐにゃりとその姿を歪め、空中で霧散するかのごとく広がる。

 飲み込まれる―――!!


「ひッ……!」


 逃げようとしたけど遅かった。

 あっという間に影が押し寄せ収束していく。とっさに数歩下がったものの、顔を庇ったわたしの右腕に一斉に取り付いてきた!


「痛いッアアァ―――!」


 途端に、焼けるような痛みが走る。

 熱い! 痛い! 握られた部分から焼けていく!

 そうとしか思えない熱さと痛みが脳天を貫く。


 影は再び人型を取り、そこにいた。

 わたしの右手をきつく握って。


 そして同時に流れ込んで来たのは、悲しみ。

 耐えようのない孤独。

 痛みと同じだけの苦しみ。


 それはこの影のものだ。

 その確信に疑いなんてなかった。

 痛みで悲鳴を上げながらも、知らず涙が流れる。それは痛みからのものではない。

 胸が潰されるなんていう生やさしいものじゃなかった。

 もっと、じわじわとなぶり殺されるような……猛烈な嫌悪感と痛み、悲しみ。

 生への執着と、死への恐怖。

 めまい。


 痛い、

 辛い、

 熱い、

 怖い、

 苦しい、

 悲しい、

 寂しい、

 助けて、

 助けて、

 助けて、

 誰かタスケテ!


 全身を突き上げるように襲ってくる感情の渦。

 声無き悲痛な叫びが頭の中を支配する。


 この痛みを、この影はずっと全身で感じながら彷徨っていたんだ。

 こんな悲しみに全身を焼かれながら。


 意識が遠のく。

 右腕はまだある? それとも焼け爛れて失くなってしまったの?

 熱い、熱くて痛くて、右腕全体が心臓になったようにドクドクと脈打つけど、わたしにはもう見えない。

 見えるのは黒い、穴のような真っ黒い人型の影だけ。


 腕を焼く炎のような熱が広がる。腕を登り、肩へと。

 このまま全身焼かれてしまうんだ!

 でも、力が入らない。

 ふりほどけない。


 影が泣いている。

 この熱さ、痛みよりも、はるかに大きな悲しみと恐怖に全身を焼かれながら泣いている。


 ほおを伝った涙が、わたしのものなのか、影のものなのかわからなかった。

 こんな苦しい悲しみがこの世にあるなんて。こんな身を焼く悲しみが。

 わたしはこの悲しみに全身を焼かれて、ここで死ぬんだ。

 ここが最期なら、それならせめて。


 痛みに歯を食いしばり一度悲鳴を止める。

 悲しいよ、胸が抉られる。

 悲しい……。


 胸に一つのメロディが流れ出す。

 わたしとユウタの……。




「あなたの声が すべてをつつむ

 優しい歌

 「叶えるから」そっとささやいて…


 いつまでも君と 暮らしていきたい

 すべてのもの……」




 全身を焼かれながら、ここで人生を終えるなら、せめて最期は歌っていたい。

 ただそれだけだった。


 一緒に歌うユウタの姿が脳裏をかすめる。

 ずっと一緒に歌って来たのに、最期がわたし一人だなんて。

 ここにユウタがいないなんて。


 でもわたしたち、いつも一緒だったから。

 いつも一緒に歌っていたから。

 最期も一緒に歌ってるんだって思わせて。

 二人で歌う歌で、終わらせて。


 わたしは歌い出し、そしてそれは起こった。


 キラキラとあふれ出した魔法の力が、全身を包んでいく。

 それと同時に、右腕の痛みが少しだけ引いた。


 まだ悲鳴を上げたいほどに、脂汗が止まらないほどに痛い。

 それでも少しだけ和らいで、胸を潰しそうだった悲しみは明らかに薄らいだ。


 黒い影はわたしの右手を握ったまま、戸惑ったように身をよじっている。

 あなたの悲しみは、歌でやわらぐの?




「……心の奥にあるから

 夢を持って

 いつかの想い かなでながら

 君と二人で歌おう」




 あなた、本当に、悲しみでいっぱいで苦しんでいたんだね。

 せめてわたしの歌で少しでもそれが取り除けたら。

 でも、声がかすれる。

 薄れたとは言っても、ほんの少しのこと。

 いまだに頭の中を支配する影の悲鳴と腕の痛みで、意識が朦朧としてくる。


 ユウタ、力を貸して。

 この人の悲しみが、少しでも和らぐように。

 そしてわたしの恐怖が。





「風に乗るのは 優しい想いと

 美しいしらべをかなでる君の声


 いつか叶う、明日は

 すぐ目の前

 君のことを見守りたい いつまででも

 すべての心に 優しいしらべを

 届けたいの……」




 涙で視界が霞む。

 もう痛いのか悲しいのかもわからない。

 真っ黒な影が震えている。

 泣いているの?

 探してたものが見つからないの?

 辛いよね、わかるよ。

 わたしも探したんだよ。

 何もかもを押し流した土砂の中からさ。

 少しでも何か残ってて欲しかったの。

 でも何もなかった。

 あんなに土砂はあるのに。

 空っぽだった。

 何もなかった。

 何ひとつ。


 見たくないものは、見せてくるのに。

 ほんの少しの希望さえ残さず。


 真っ黒な影が視界を覆う。

 意識が遠のく。

 もう……


「――――――!!」


 何かが聞こえた。

 その音に意識が一瞬覚醒する。

 人の声!?


 途端に、ものすごい突風が吹いた。

 舞い上がった髪が影を打ち、影が風に押し流されるようにふらつき後退する。

 なに、なにが起こってるの!?

 ここ、ダンジョンの中なのに、なんで風!?


 そして今度こそはっきりと聞こえた。

 それは人の声。


「伏せろ!!」


 誰、なんて思う暇もなかった。

 抗いがたい強い声の言う通りに、両手で頭を抱えて地面に伏せる。

 そこで初めて、影の拘束から自由になっているのに気が付いた。


 伏せたわたしの上を誰かが飛び越えた気配。

 ちらりと目線を向けると、影と対峙するすらっとした人の後ろ姿が、霞んだ視界に浮かんだ。

 人だ、今度こそ。


 だれ? ユウタ?

 霞んで見えない。

 めまいがする。

 だめだ、もう、力が……。


 暗転。

 なにも聞こえなくなる。

 なにも感じない。

 なにも。


 意識が飲み込まれるように遠のくのがわかった。

 でも抗う力も気力もない。

 怖い、けどもう……。






 挿入歌 「LOVE SONG」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054892578523/episodes/1177354054892578570

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