6 影の正体

 ふわふわとして、まるで浮かんでいるようだった。

 こんな感じを知ってる。

 小さい頃、やさしい腕に抱かれて眠った。

 そんな懐かしい感覚。


 ――ねえ、ファルニア。あなたはあっという間に大きくなるのね……。


 やさしい声で、髪を撫でてくれた手。

 そのぬくもり。

 甘い匂い。

 あれは……。


 薄っすらと開いた目は、まだ霞んだまま。

 ぼんやりとした光に照らされた空間。

 ああ、わたしダンジョンの中で……。


「まだ寝ていろ」


 ふいに聞こえた声に返事もできない。

 口を動かすこともできなくて、また目を閉じる。

 誰だろう、なんだか……とても。





 一瞬、ここがどこかわからなかった。

 目を開いてすぐに見えたのは、薄暗い明かりに照らされた空間。

 ゴツゴツとした岩肌。


「―――ッ!!」


 慌てて身体を起こし―――途端に右腕に走った痛みに小さく悲鳴を上げる。

 右手、あの影に掴まれたんだ。

 その時の痛みを思い出し、右腕を確認するのをためらう。

 痛みを意識すると、それはズキズキと現実感を伴って知覚された。

 そっと右腕に視線を落とす。


「なにこれ……」


 右手のアームカバーは外されていた。

 そしてむき出しになった素肌に浮かぶのは……赤黒く、まるで無数の蛇が蠢いているかのような、いく筋もの痣。

 その痣が右手の二の腕から下を走っている。

 痛みは、その痣から出ているようだった。

 手のひらにまで広がる痣のせいで、ものを握ることすらできなさそうだ。

 痛い……。


「影に引っ張られた」


 ふいに響いた声にハッとする。

 そうだ、意識をなくす前に、突風が起きて、誰かが伏せろと言った。

 そして、人の後ろ姿。


 その姿を見つける。


 少し離れた場所に立っていたのは、一人の女性だった。

 見た目としては、わたしとそう変わらないように見える。少し上かな? 程度だ。

 彼女は腰に右手を当てて、こちらを見つめていた。


 浅黒い肌に、黒くてぴったりした服。

 防具の類は身につけていない。

 黒髪を上で1つに結んで、その髪はそこだけ風が吹いているかのように少し揺らめいている。

 精悍な顔立ちをしていて、その瞳は青。ジュンと一緒だ。


 そしてそして、その耳!

 尖ってる!


「エルフ……」


 わたしのつぶやきに、彼女はピクリと片方の眉を上げたが、なにも言わなかった。

 その顔には、感情らしきものは浮かんでいない。

 ただ、鋭い眼光でわたしを射抜いてくる。


 エルフは長寿種だ。外見上はわたしと変わらないように見えても、彼女はおそらくずっと年上のはず。


「あなたが、助けてくれたの……?」

「助けた? オメデタイこと言ってんじゃねえよ」


 剣呑な声。

 女性にしては乱暴な口調で、彼女は冷ややかな瞳を細める。


「違う、の……? だって……」


 助けたのでなければ、なぜここにいるんだろう。

 助けてないのなら、さっさと捨て置いて何処かへ行っててもおかしくないよね。もしくは、拘束するか。

 わたしはどちらもされていない。


「お前は餌にする。それまでは死なれると困るからな」


 え、餌!?

 ってどういうことなの!?


「抵抗しても無駄だ。あの影ごときに引っ張られるような奴が、俺に勝てるわけがない」


 長寿のエルフは、魔法にも長けている。特に精霊魔法が得意だって噂。

 そういえば、わたしが意識を失って明かりの魔法は解けたはず。でも今明かりがあるのは、彼女が魔法を使っているからなんだと思う。

 どんな魔法を使うにしろ、わたしよりずっと長生きしてるだろう彼女に敵うとは思えない。

 そもそも防具類を身につけてないのは、それが必要ないからって考える方が自然だよね。


「か、影って、あの人型の影のことよね!? あれはなに!?」


 いいやそうじゃなくて、餌ってなんなの!?

 ああぁ、聞きたいことが多すぎて思考が働かない。

 そもそも、彼女は何者!?

 たった1人でこんなダンジョンの奥まで来て平気なんて。助けてくれたかはともかく、あの影を追い払ってくれたのは確かだし。


「あれに名があるかは知らねぇな。俺は、ただ影と呼んでる」


 ちょっとほっとする。質問に答えてくれる気はありそうだ。

 だとしたら、そんなに悪い人じゃないのかもしれない。

 餌っていうのが気になるけど……。


「影……」


 そう影だった。真っ黒な人影。

 そして感情を持った……。


「あれに手をつかまれた時、なにか感じたか」


 その問いかけに、右腕が鈍く痛んだ。

 感じた。深淵よりもまだ深い、気の狂いそうな悲しみを。

 それをどう表現して良いのか戸惑い、それでも頷く。


「泣いてた……」


 それは聞かれたことの答えとは言いがたかった。でも、彼女にはそれで十分だったようだ。

 わたしの顔を見つめ、口を開く。


「あれは、時空の狭間に囚われた人の成れの果てだ」

「え……?」


 時空の狭間も気になる。

 でも、それよりも。人の成れの果て!?

 あれはやっぱり人なの!?


「ああなっちゃ、もう人とは呼べねぇし、生きてるとも言い難い。だけど元が人だからな、感情がある。それに同情して奴の気を引いちまうと、引っ張られるんだ」


 お前みたいにな、と彼女は続けて押し黙った。

 同情して気を引く?

 そっか、たしかにわたしはあの影の声を聞いて、悲しいの? って足を止めたんだ。

 そのせいで、影の気を引いてしまい襲われたってこと?


「時空の狭間っていうのは?」

「そのままだ。時空間移動をしたことはあるか」


 そんなの、あるわけない!

 わたしが首を振るのを見て、彼女は続ける。


「時空間移動は、扉から行う。知ってるな?」


 今度は頷く。それは知ってる。

 わたしたちが住むここは、サレファスと呼ばれる世界。そして、他の世界もあるし、その異世界と交流もある。行き来が出来るんだ。

 異世界との移動に使われるのが、扉。門って言う人もいる。

 その扉がどんなものかは知らないけど、それがあるってことは確か。

 この一年で、何度か違う世界から取り寄せられたっていう武器や防具を目にすることもあった。


「人が安全に世界間を行き来出来るのは、扉からだけだ。けど、ほかに方法がないわけじゃねぇんだよ」


 それが、時空の狭間を通る方法だと彼女は続けた。

 時空の狭間っていうのは、世界のどこかしらに開いたり閉じたりしているんだって。そこから時空の狭間に入り、違う世界を目指す。

 不可能ではない、でも扉から入るのと違って安全じゃないし道標もない。

 だから、その方法を取った者の中には、帰って来られなくなる人も多いんだとか。


 時空の狭間に囚われ、行きも帰りも出来ず彷徨い続ける。

 その悲しみや怒り、恐怖などの感情に時空の狭間の力が加わり、ああして歪んだ異形のものに変わってしまう。

 それがあの影だ、って……。


 そして影は、時空の狭間の力を長年受けたことにより、出口がわかるようになるらしい。それだけじゃなく、自ら出口を開けられるようにもなるって。

 そして、こちらの世界にやって来てしまう。

 もう、人ではなくなっているのに。

 皮肉だよね。人じゃなくなって異形のものに変質したことで、時空の狭間から抜けられるなんて。

 そんな悲しいことってある!?


 胸が痛む。

 あの影は、どれくらいの時間を彷徨っていたんだろう。

 あんな、あんな地獄のような苦しみをどれだけの間、ひとりで……。


「あいつらは、残念だが世界にとっては、人にとっては害悪でしかない。だから狩る」

「そんな……他に方法はないの!?」

「ないな」


 彼女の声はにべもない。


「お前のような甘ちゃんが大勢犠牲になる。それを良しとしろと? 笑わせんな」


 そう言われると返しようもない。

 右腕がにぶく痛んだ。


「あいつらがぼこぼこ穴を開けるせいで、あちこちの物が漏れ出してる。時空間を移動するのは、人だけじゃねぇんだぞ」

「!!」


 そうか、そうなんだ。

 あの影がこのダンジョンに居たってことは、このダンジョンのどこかに穴が空いているってことなんだよね。

 だとしたら、説明がつく。

 わたしたちが出会った、青い毛並みの狼に似た害獣モンスター

 ダンジョンに居るはずのない害獣モンスターがいたのは、そもそも元からここにいたわけではなかったんだ。

 別の世界から、時空の狭間を通ってこちらの世界サレファスに出てきてしまったってこと。


「穴はこうやって、魔法の力が強く残る場所に空くことが多い。そのせいで、どれだけの冒険者が時空の狭間に流されたと思ってるんだ」


 そのまま帰れなくて、ああして影になるんだよ。そう続けた彼女の言葉に、絶句するしかない。

 冒険者がダンジョンや遺跡に挑んで、そのまま帰って来ない。それは珍しい話じゃない。

 でも、それは、魔物や害獣モンスターに襲われたからだって思ってた。

 冒険者は、そういう危険なものだって。

 でもそれだけじゃなかったんだ……。


「影は、自らの力で穴を開ける。閉じるには、その穴を開けた影を葬るしかない」


 彼女は、影のことを知っている。

 だからきっとそれしか方法がないんだろう。

 でも、それでも悲しい。甘ちゃんだって言われるのはわかってる。でも、でも感情はどうにもならない。

 目頭が熱くなる。それと呼応するかのように、腕の痣がズキズキと痛んだ。


「だから、お前にはあの影をおびき出すための餌になってもらう」

「え……?」


 餌って、そういう、意味だったの……?

 おびき出すことが出来るの?


「さっきはお前に気を取られて逃げられちまったからな。責任は取ってもらうぞ」

「なにそれ……」


 痣が痛みを増す。

 痛い、でもあの影に腕をつかまれた時の痛みはこんなものじゃなかった。悲しみや苦しみの感情と痛みは壮絶だった。

 なのに、またあの影と対峙させるってこと!?


 怖い、怖いよ。

 しかもあんな、あんなに泣いてた影を葬るための餌だなんて。

 そうしなきゃいけないのはわかってても、感情が追いつかない。

 本気なんだろうか。


 見上げた彼女の瞳は、一切ゆるがず冷たく光っている。

 その冷たさが、本気だということを嫌でも思い知らせてくる。


「お前は餌になるしか道は残されてねぇよ」


 彼女の声は、底冷えするかのように冷徹に響いた。

 そして、告げる。


「どうせこのままならお前は近く死ぬ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る