第22話 夏風

 ジリジリとやけつく熱を肌が感じる。石段を登るその数段先で「早くしなさいよ」とため息混じりの声が聞こえた。


「あのさ、人に荷物持たせてその言い方はないんじゃない?」

「か弱い女子に重いものを持たせようっていうの? あなたは」

「別に重くないし……」

「じゃあ別にいいじゃない」


 彼女はそう言って軽やかに石段を登る。対する僕は、荷物という名の墓参り道具を両手に抱えて登っているから歩きづらい。まったく、なぜ山の中に墓を立てたんだか。


 やがて目線の先の彼女の姿が無くなった。なるほどそこが頂上かと、僕は少しだけ元気が出た。そのかりそめの元気をフルに使って足を上げ続けること数分、僕は見晴らしのいい場所に登り着いた。


「お疲れ」


 そんな声が聞こえて、道具を地面に下ろし肩で息をしていた僕は目線をあげる。するとタイミングよくペットボトルが放られてきて、僕はそれをキャッチした。


「ありがと」

「ほんのお礼よ」


 ありがたくお礼のペットボトルの水を飲んで、半分ほど一気に飲み干した。

 まだもう少しだけ残った道を気合いで乗り越えて、僕はそこへ足を踏み入れる。土の地面がいつの間にか石畳になって、空気が変わったような気がした。


 同じような石が並ぶ中、その名前の書かれたものを見つける。

 前々からこの日に墓参りに行くと彼女が言っていたので、僕も行かせてほしいと言ったら珍しく了承してくれた。


「先どっちがする?」

「じゃあ私から」

「了解」


 辺りを見回すと水道を見つけた。僕はそこで八分目くらいまで汲んできた水を墓の前に置き、彼女にひしゃくを渡す。


 彼女はひしゃくで水を掬うと、墓の上で静かに傾けた。水がばしゃあ、と落ち、表面を流れ落ちる。


「涼しい? 姉さん」


 しゃがんで彼女は話しかけた。ずっと被っていた帽子を外すとそれを石畳の上に置いた。彼女の、短く切った髪が姿を表す。


「髪切ったんだ」

「もともと短い方が好きだっただけよ」


 手を合わせながら彼女は背を向けたままそう言う。

 しばらく祈るように合掌したあと、帽子を拾って立ち上がり「はい」とひしゃくを渡してきた。


 僕はあらたまって墓の前に立つ。こうして見ると、死んでいたんだとはっきりとわかってしまう。


「水、全部かけていいから」

「わかった」


 僕は何掬いかして桶の水全部を墓にかけた。周囲がびしゃびしゃになってしまうくらいの量だった。


「さすがにやりすぎじゃない」

「いいから」


 僕は戸惑いながらもしゃがみこむ。そうすると、少し落ち着いた。やっと久しぶりに会えたとわかって、安心したのかもしれない。


 僕は手を合わせる。作法なんてのはわからないけど、とりあえず声を出さないのことを心がけた。

 目を瞑ると、言葉は自然と思い浮かんだ。来るまでずっと、何を言うべきかわからないでいたのに。


 久しぶり。あれからもう半年以上も経つんだから、久しぶりで合ってるよね。それとも君にとっては、そこまで長い期間じゃなかった?


 けれど僕にとっては、言葉以上に長かったと思うよ。一日がとても長かったから。もちろん良い意味でだけど。


 碧と仲良くしてほしいっていう君の頼みは、悪いけどまだちゃんとは果たせていないと思う。けれど二人で此処にこれたんだから、七割くらいは達成してると思ってもらっていい。あとはこれから、残りを埋めていくつもり。


 長くなると怒られるかもしれないから、あとは手短に言うことにする。土産話は、ごめんまた今度。許して。


 君との出会いは、まるで唐突な嵐のように僕の日常を変えるきっかけになった。あまりにも回りくどい君からのメッセージだったけれど、それでも舵をとっていたのは、間違いなく君だ。


 感謝することもあるし、謝らなければならないこともある。怒ることは、どうだろう、たぶん無い。よかったね。


 君が僕に言ってくれた言葉のおかげで、僕の今は少しマシなものになったよ。これからそれをもっとよくできるかは、僕の努力次第だ。

 だから見守っていてほしい。僕たちを。君がいる星の上から。


 僕は立ち上がる。


「いいの?」

「うん、続きはまた今度来た時に言うよ」


 僕はまた両手に桶とひしゃく抱えて歩き出す。前を歩く彼女を目で追っていると、後ろから吹いた風に背中を押されて僕は振り返った。


 気のせいらしかった。けれどたぶん、まだ言うことが残っていたことをつつかれたのではないか。


 ああそうだ、

 言い忘れていた。


 君は僕に「大切な思い出は積み重なっていく」と言ったよね。

 大切なものができすぎて仕方なく、少しずつ思い出は忘れられてしまう。古い記憶に限らず思い出に強く残っているものを残して、段々と。


 だからこそなのかな、君と出会ってからの日々は何一つ、忘れてはいないみたいだ。忘れないように思い出し続けていたわけじゃない。ただたまにふと、君の言葉が脳裏に過ることがある。忘れそうになったとき、無理やり君が顔を出してくるんだ。忘れたらだめ、って。


 だから当分、君のことを忘れることはないのかもしれない。たとえ忘れてしまっても、君がずっと空の上で見守ってくれているなら、僕は安心して大切な記憶を作ることができると思う。


 だからまた、来たらそのことを話すよ。退屈しているだろう君に、いい土産話ができるんじゃないかな。


 歩き出すと、夏風が吹いた。今度はさらに力強く、「がんばれ」と言われている気がした。

 僕は振り返らず、前を向いて歩く。

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雨之雫(あめのしずく) (旧) あきカン @sasurainootome

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