陰陽師安倍親職

 二代執権北条義時の死去により、三代目の執権となった北条泰時は、がんばっている。

 親族との跡目相続に勝ったが、その心は晴れなかった。泰時を排除し、執権に就こうとしたのは、伊賀殿が生んだ末弟の政村だ。周りが悪いのだと、泰時は咎めなかった。

 早や年の暮れである。うつうつと引きこもっていた親職に、泰時から下問があった。徴収する年貢の為の土地の調査の時期についてであった。反対意見を押しのけて、「支障なし」と申し上げた。

 更に半月後、泰時が建立している堂の工事についての方違かたたがえに悩まれ、陰陽師に相談した。が、その答えに不審の解けない泰時は、重ねて親職に尋ねた。「方違出来ないのであれば、日延べなさるがよいでしょう」と応え、願主の御意に叶った。親職は、これを機にゆるゆると仕事に戻った。


「心の正しい人」「物におごらない人」「道理をわきまえた人」と、北条泰時に対する賞賛の声は後を絶たない。これは、泰時の人となりに対する評価で、武家として政治家としての評価はまた別だ。

 武家に対する恨み辛みから悪く云う者は、当然いる。現執権へのお追従ももちろんある。

 しかし後の世、武家政権が続く江戸時代の意見にも悪口を見出すのは難しい。

 そんな執権を頂き、鎌倉幕府は成熟していく。


 ふきとうが、まだ早かったかしらと片目を開けた頃、雪が降った。なごり雪だが、小さな鎌倉の峰々を彩った。

 鎌倉は南に海を、残り三方を小高い山に囲まれ、自然の要塞と呼ばれている。その要塞の懐深く、小さな谷が葉脈のように息づく。竹林を切り開き、その先にある僅かな平地に田畑を作り、肩を寄せ合った村落もある。切り開いた道は、地下茎が除き切れず、ごつごつと危なっかしい。女子供は、日が暮れてからの通行はしない。小さい村を突っ切ると雑木林となり、小高い丘に登る道が下草に隠れている。獣が歩き、男が登り、女と子供が後に続けば、峰に辿り着き、霊峰富士の頂を臨むことが出来た。実り豊かな年は、村民の誰一人知らない「桃源郷」と云う言葉が似あう。

 しかし、しばしば天候は乱れ、田畑は荒れ果て、食べられる物を食べ尽くすと後は死を待つだけとなる。そんな村に泰時の布施米が届いた。

 権威は穏やかに両手を拡げ、北条の歳月が流れた。


 暦仁二年(1239年)正月晴れである。何時もの通り正月行事が行われた。

 二月七日には、延応元年となった。安倍親職あべのちかもとは、近頃、忙しくない。

 定刻に出かけ、定刻に帰宅した日々を経て、出仕しない日が増えた。

 兎丸の師を務め、わずかに年上の叔父景時は、とうに身罷り何とはなしに裏寂しい日々だ。

 若い者が、次々に姿を消した。息子に孫に、不思議の児兎丸も消えてしまった。

 三月初め、京都から天文現象に異変ありと天文密奏が届き、鎌倉陰陽師は、日暈にちうんだ、白虹はっこうだと静かに云い合う。

(ふん、同じことよ)

 と、親職は片腹痛い思いだ。実際、このごろ胃の腑の辺りがシクシク泣く。

 白虹貫日と云えば、倅の晴秀を思い出す。「兵乱の兆しだ」と公言し、御所勤めを退く端緒となった。

 辞めることなどなかったのだ。間もなく、和田左衛門尉義盛が将軍実朝に弓引き、和田の乱を起こしたのだ。

 鎌倉者は、「ああ、これぞ白虹貫日の意味だったのか」と思い知ったが、晴秀は勤めに戻ることはなかった。

 あれから、かれこれ三十年かと庭を眺め、兎丸に反閇へんばいを教えたことを思い出す。

 まぎれもなく年をとったのだ。昔の事ばかり思い出す。

 この月の十七日に、京都から報せがあった。先月の二十二日に後鳥羽上皇が逝去したとのことだ。隠岐島に流されたまま御年六十歳の生涯であった。

 親職は、「うーん」と声音高く唸った。


 延応二年の正月二日、親職は覚束ない脚で御所に駆け込んだ。

 戌の刻(午後八時)に彗星が、出現したのだ。さるの方角(西南西)に現れ、白赤い三尺の尾っぽをたつみの方角(南東)に伸ばしていた。

 この彗星の異変に対する御祈祷が、十八日に続き十九日にも大掛かりに行われた。

 多くの陰陽師が奉仕した。心労著しい親職も泰山府君祭を行ったが、将軍がお出ましの祭場には出仕できず、自宅で奉仕した。

 この年の十月二十三日、深夜丑の刻(午前二時)、親職は誰かに呼ばれたような気がして目覚めた。ゆっくりと天井辺りを見回して一息つくと、静かに彼岸を渡った。

 朝廷から帰れと命じられたとか、鎌倉に居たのでは出世が出来ぬとか、おたおたして京都へ帰った陰陽師が多いが、親職は三代以上鎌倉に定住し多くの人材を輩出した。

 一介の陰陽師から正四位下陰陽権助まで登りつめた親職は、鎌倉陰陽師最大の勢力を築き、その死は、『吾妻鏡』にも記載された。

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鎌倉陰陽師 兎歩外伝 千聚 @1000hakurin

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