下の句:玉の緒ばかりあひみてしがな

「雨に打たれて闇の中でにおい立つ定家葛テイカカズラが印象的でした」


 とし子にそこまでを語ると、ラムネ色のアイス・クープに残るさくらんぼへあおいは視線を落とした。

 続ければ、自分が死を求めた過去が言の葉となりうつつに育つ。恐らくは既に察しながら微笑ほほえんでいる恩師だからこそ明言は躊躇ためらわれた。彼女は深く息を吐き、コーヒーの香る気を体に満たす。


「でも、先生のメッセージを読むまでみじめさしか感じなくて、あんなに目立つ香りにも気づかなかったんです。だから、死ぬ程、苦しい時、自分で相談窓口にアクセスするなんて難しいと思います。私、受け身の救済システムを作りたいんです」


 最後まで声にし終えると、葵はとし子の目を懸命にとらえた。思春期の子供達を教え続け定年を迎えた人は動じる気配もなくうなずく。


「どんなことを考えてるの?」


 声は水琴窟すいきんくつに似た冴えと和らぎを伴い、葵に寄り添った。


「災害に備えるみたいな感じです。日々使えるアプリを作って、元気な時、登録して使ってもらい、使用者の異変を察知したら働きかける機能をつけたいんです」


 あの夜からり返し考えた内容を言い切ると、葵はまた迷いがちに目線を下げた。

 その先では変わらず溶け残るバニラに、赤く染められた桜桃おうとうが立つ。それはアイスクリームの添え物ながらデザイン上の主役でもあった。この色を欠いたなら写真を撮りに訪れない人もあるだろう。


「……でも、アプリからの通知は慣れると無視されがちですし、どんな言葉が響くか……私は言語能力低くて……。そこからどうやって人につなぐかも……」


 葵にはアプリの「さくらんぼ」を生み出す自信がなかった。

 伏しがちなままうかがえば、とし子はかつて面談室でそうしたように毅然きぜんとしながら鷹揚おうように構えている。葵は再び背筋を伸ばした。


「先生、おひまな時、会って頂けませんか? 私、先生をかがみにシステムを考えたいんです。いえ、それだけじゃなくて、先生から学びたくて……」


 しかし、思いを語ろうとする程、気持は空回り、葵には敬意の伝え切れない言葉に思えて声は消え入る。その沈黙をすくうように、とし子は口を開いた。


「暇だけはありますよ。今は私も一人暮らしなの」


 葵がはっと顔を上げれば、とし子はアイス・クープを見つめ、目縁まぶちを狭めるところだった。


「こういう喫茶店も、缶詰のさくらんぼを飾るのも『ダサい』と言われたけれど、今はまた貴女みたいな若い人に選ばれるのだものね」


 自らへ語るかにそう発すると、彼女は初めて相好を崩す。


「『石綱いはつなのまた若反をちかへり』教え子と未来を歩むも人生の妙だわ」


 石綱が定家葛の古い呼称と葵は知らなかった。一方、とし子はアプリを作るイメージがない。それでも結ばれた繋がりが、慈雨じうに濡れてはぐくまれたかずらのように、花々を連ねる絵を二人は心内こころうちに見ていた。

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ライフライン 小余綾香 @koyurugi

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