裏演謳歌Ⅳ 鎮魂歌―レクイエム―



 その日。

『京』の片隅には、荘厳で静かな、喧騒があった――。


 休戦記念式典。オニとヒトとの間で休戦が成立したその日を祝う、式典。

 

 その舞台の裏型で、鏡を眺める少女は、けれど、これまでのどんな時よりも……自分が他人のような気がしていた。

 全てが始まるその前を、思い出すように。



 *



 鏡に少女が写っている。その実年齢より年上に見える、そんな化粧を施した少女。

 少女が着ているのは、和服だ。このところ着慣れた、普段着るには派手だけれど、式典で着るにはあまり映えそうもない、そんな服。


 けれど、その鏡には同時に、別の服を着た少女が写っている気がする。

 ドレスのようにも見える、白く、とりわけ派手な――外側だけを取り繕ったような、気弱で、同時に全部に興味を失っているような、そんな少女。あの日……初めて、“桜花”として仕事をする事になっていたその日に、衣装の少女。


 今も昔も、変わらない。少女の手には稿があった。


 かつて、裏側を何一つ疑わずに、原稿を手に緊張していた事があった。

 今となって振り返ると、色々と考えてしまう。

 初仕事が、“軍の基地”で“士気高揚の演説”。


 あれは、誰の筋書きだったんだろうか?

 兄が、首尾よく桜花を片付ける為に、安全の保障された庭園確定した生から、戦場のすぐ近くまで不確定な生投げたのか。

 それとも、助けようとした誰かが、毒ばかり含んだ花園確実な死から、逃げ場所のすぐ近く不確実な死にまで誘導したのか。


 振り返っても、桜花にはいまだに、わからない。

 誰に助けられたのだろうか?兄の気まぐれだろうか?父が、何か勘づいていたりしたのか。それとも別の誰かなのか。


 誰が何を考えてああなったのか………一つだけわかるのは、そこに、桜花自身の思惑は一つも混じってはいなかった、そんな事実だけだ。


 昨夜、兄に問いかけた。家族全員殺した上で、桜花だけを見逃した皇帝陛下兄さんに。

 なぜ、桜花を生かしたのか。

 応えは端的だった。


 偶然で、かつ、失策ミス


 結果的に生き延びた、ただそれだけ。

 死ぬタイミング、殺すタイミングを奇跡的に逃した。ただ、それだけだ。そこにも、桜花自身の思惑は混じっていない。


 流されるまま、だ。流されるままここに到っている。

 何かをしようと決めて、演じてみて、行動してみて………けれど桜花の状況を動かすのは結局、いつも、他の人の思惑だった。


 ずっとそうだ。

 普通藤宮桜花が終わり、“桜花”となったのは、桜花の望みではない。

 あの基地から生きて、逃げ出せたのは?……他人の思惑。


 オニの基地で、何かをしたいと思った。皇女として扱われなくなって、“私”として何かをしようとして………けれど、振り返ると、あの場所でもやはり、何ひとつ出来ていない。やたら他人に迷惑をかけたばかりだ。


 連れ去られた時は?桜花がそれを望んだ?それとも、それは、他の人がそう振舞う事を望んでいたから?


 あの、廃墟でだけは、私は私でいられた。………そう、振り返って思ってみても、結局、それを終わらせたのは桜花以外の誰かの……他人の、思惑だ。


 鋼也が生きている。鋼也に、桜花の生存を知ってもらう。鋼也に再び会う。それは、桜花の望みではある。けれど、そう考えたのは、桜花以外の人間が、鋼也の安否を気遣っていたから。また、廃墟の時と同じように、桜花は、他人の望みに沿うように振舞っただけ。


 怒られて。説教されて。……鋼也が生きていると、そう信じる事にした理由もまた、他人の言葉に流されたって、ただそれだけなのかもしれない。


 神樹財閥からの支援を取り付けたのは?“桜花”だ。その名前、その立場、その生まれだけ。桜花自身の行動の結果、とそんな風に言い切ることは出来ない。他人の思惑の中の駒として、“桜花”が目立つだけ。


 昨夜のパーティで、権力者に挨拶をしたのは“桜花”。権力者に挨拶をされたのは“桜花”。微笑を返したのは、“桜花”。

 

 そして、兄から……唯一の肉親で、同時に肉親を全員殺した黒幕である男から、この原稿を受け取ったのも、やはり“桜花”だ。


『お前は……本質的に、他人に興味が抱けない。恨みを抱くほどに、執着できないんだろう?』


 兄を恨めないのは確かだった。

 執着できない。それも、確かな気がする。


 同時に、兄を理解して、同情してしまった事も、確かだった。


 同じなのだろう。“紫遠”も。“桜花”と。

 ただ、兄には逃げるだけの能力があった。違うのは多分、そこだけだ。

 兄は本当に、奔放に振舞う事が出来る。

 境遇が。経歴が。能力が。その奔放を余りに歪ませてしまっている。


 皇族、皆殺し。画策して、。それが、兄の不運だったんだろう。そんな風に思う。出来てしまえるから、やらざるを得なくなった。もう、兄は止まれないのだ。自身の思い描く筋書きの結末まで。


 大和の平和。兄は確かにそう言っていた。……それを実現する為に、効率良く皇帝制度を終わらせる為に、………先に競合相手を潰しておく。平和を謳うその前に、後顧の憂いを断っておく。

 あるいは、奔放な自分を知っていて、途中で飽きてやめてしまわないように、兄は自分に血みどろの十字架を刺したのかもしれない。

 覚悟、だろう。


 そして、その事を、桜花に知られた、ではなく、おそらく兄は知らせたのだ。自分が罪人だと。

 贖罪したかったのかもしれない。そう、兄が自覚していないとしても。

 あるいは、そんな感傷も何もかも、兄に対して浮かべたこの情も、本当に桜花の妄想に過ぎないにしても。


 勿論、打算もある。いや、保身かもしれない。諦観かもしれない。

 兄に歯向かって勝てるとは思えない。もしも、知ったこと皇族殺しを告発するとでも言えば、桜花は勿論………その周囲も、まとめて消えるだろう。今更、兄が他人を殺すことを躊躇するとも思えない。


 許した訳では、ない。そもそも、許そうと思うほど恨んだわけでも無い。

 同情してしまった。


 ――同じ後ろ暗さを抱け。


 そんな、兄の望みに沿ったのだろう。だから“桜花”は、原稿を受け取った。


 結局、どれだけ自分で道を歩こうとしてみても……桜花はいつも、お人形の様に、他人の思惑に、目の前の誰かの言葉に踊らされるばかりだ。


『感情がある。執着がある。そんな風に見える様に、ただ振舞っているだけだ。違うか?』


 兄は、昨夜、そう、桜花を評した。

 鏡を見るような、酷く冷たい視線で。

 ………否定できなかったのは、その通りだと思ったからか、それとも、この期に及んで兄を一人にするべきでないと、そう思ったからか。


 いつまで経っても、桜花は、自分の事すらわからない。

 ただ、他人の目を気にするように、……引いて自分を見るだけだ。


 目の前の鏡には写っている。今も昔も、ただ、他人に言われるままに演じ続けている“桜花”自身が。


 そんな少女を、桜花は嗤った。


「……人の家族殺しといて正義は薄ら寒いです」

「はい?」


 突然、呟いた桜花に驚いたのだろうか。何を言っているかわからないと言いたげな表情で、傍に控えていた恭子が声を漏らす。

 それに、応えるのか。あるいは、桜花自身に言い訳でもする気分なのか。桜花は呟く。


「……特に、何にも考えてなかったんですよね。その時は、それが本音だったんだと思います。でも、今にして思うと……私も、薄ら寒いんでしょうね。誰かの振りをしないと、私は、自分勝手で、本当に醜くて、………」

「………桜花様、」


 同情するようにそう呟き、だが、恭子はそれ以上、口を挟まない。

 アレをしろとも、コレをしろとも言わない。あくまで使用人として、恭子は桜花の意向に沿い続けるのだろう。教えはするが、命令はしようとしない。自身の願望を“桜花”に投影しようともしない。


 ある意味、鋼也と同じだ。鋼也も、どこか、使用人みたいな気分だったのだろうか?

 ……いや。鋼也は単純に、女の子への接し方がわかっていなかっただけな気もする。

 だから、桜花の方から、歩み寄ろうと、


 振り返ると何処までも、“私”が見つからない。

 あの廃墟での僅かな日々ですら、全て嘘だったような気さえしてくる……。


 いつもいつも、ただ、台本を読んで、演じているだけだ。兄の様に、台本を書く側に片足を踏み込もうともせず。

 ……いや、踏み込もうとぐらいはしたのかもしれない。あの、多種族同盟連合軍の基地で。鋼也の前で。親切な人たちの前で。あるいは、帝国に戻ってからも。


 けれど、それら全部が台無しになって、何一つ上手くは出来なくて、その末に結局………膝の上にあるのは、他人の書いた台本だ。


 あの日から、何も変わっていない。

 訳もわからないままに基地から逃がされて、竜を目にして……鋼也に助けられたあの日から。


 桜花を呼ぶ声がした。時間が来た、出番。そんな声が。

 これから、あの日の続きが始まるのだろう。紆余曲折を経た割に……結局何一つ変わらず、また、お人形として、“桜花”として、他人の書いた台本を読むばかりの………。


 違う、と。………そんな声を上げるだけの気力は、桜花にはなかった。

 ただ、疑問はあったのかもしれない。


 ……本当にそれで良いのか。


 鏡の中から――あの日の少女にそう問いかけられているような気分で、けれど、桜花は、それを無視して、立ち上がった。




 *




 綺麗に掃除の行き届いた、ただの、廊下。式典の会場の中であっても、その裏側では人気なんてあろうはずも無い。


 そんな片隅に、兵士の姿があった。警護兵だろう。暇なのか、噂話をしている。その声が小さくも反響して耳に届く――。


「……本当か?」

「ああ、第3基地で戦闘が始まったらしい。亜人間デミが竜を攻めてるってよ。で、そこに―――」


 止まった。

 兵士達の噂話が。

 そして、桜花の、足もまた。

 先導する案内役が不思議そうに振り返る。隣を歩く恭子も、何事かと視線を向けてくる。

 噂話をしていた兵士達は……桜花に、“皇女”に私語を叱責されるとでも思ったのか、直立不動の姿勢で、口を噤んでいる。


 その兵士達を、桜花は見ていた。

 第3基地。

 それがどこかは、わかる。

 鋼也が、元いた基地。

 桜花が演説をする、その予定だった、全ての始まりの場所。


 予感めいた何かが沸きあがったのかもしれない。


 気付くと、桜花は噂話をしていた兵士達の前まで歩み寄っていた。そして、桜花の口が、問いを投げる。


「あの。……そのお話、詳しく、聞かせてもらえませんか?」


 兵士達は顔を見合わせている。どうしたものかと悩んでいるらしい。

“桜花”としても、噂話を聞いている時間はないだろう。もう、出番。これから、覚えた台本を読まなくてはいけない。


 ……けれど、そんな事はどうでも良かった。そう、どうでも良い。

 式典の演説よりも、兵士の不確かな噂話………そちらの方が、桜花には遥かに大事だった。


 背後で案内役が催促の声を上げ――それを、恭子が止めていた。

 桜花には自分でも良くわかっていない桜花自身の事が、恭子には、最初から全部わかっていたのかもしれない。


 何が、大事か。………何がしたいのか。


「……お願いします!」


 再度、懇願するように頭を下げた桜花の前で、兵士は困ったように頭を掻いた末に、その、を口にする――。



 → 12章 輪廻の終着へ

 42話 迷子の果て/そこはもはや帰地でなく

https://kakuyomu.jp/works/1177354054889537417/episodes/1177354054892305722

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