42話裏 扇奈/例えば…… 上/鏡の貌は醜く


 例えば。

 扇奈が、もっと弱ければ。


 そもそもその人生が戦争に触れることはなかっただろう。

 持ち前の器用さと要領の良さ、器量、面倒見の良さ。


 内地で平穏に、子供ガキの面倒を見て物を教えるだけのような、陰ることのない誰かが、もしかしたらそこにいたのかもしれない。


 ただ、楽しげに笑って。



 *



 あたしは、歩きながら、方々に視線を向ける。


 見慣れない景色。灰色の、四方を囲う角張った壁。なにやら文字が彫ってあるプラスチックの表札に、金属なのかなんなのか、とにかく木製じゃない引き戸。


 ……あたしには、馴染みも見慣れもあったもんじゃない、そんな道だ。

 だが、ここに愛着がある奴も、連れにいる。連れって言っても今は別行動、丁度逆側をあっちはあっちで歩いてるんだろうが………。


 とにかく、鋼也にとって、ここは住処だった場所、だ。

 ……今は、竜の住処になっちまってる。

 なにやら気色悪く光る紐みたいのが壁の方々這い回ってるし、そいつがなんなのか、特に意味も無いただの飾りなのか――まあ、気味悪い事この上ない。


 そんな中を、あっちもこっちも今は一人。

 この基地の構造はあらかた頭に入ってるから、竜が大きく改築でもしてなけりゃ、迷子になることはない。


 探るべき部屋を一々、確認しながら………あたしは気色悪い、冷たい通路を一人、頭の中ではぐるぐると、今目の前には直接関係のない考え事あれこれが巡る。


 家族とまで呼んでた仲間の墓場、そこに踏み入って馬鹿が馬鹿やらないか。

 そもそも、戦闘に戻った、あるいはこの<ゲート>破壊に名乗りを上げた時点で、馬鹿ではある。帰って良かったってのに。

 ここでしくじったら、それこそあの見慣れた防陣が、ここみたいに訳もわかんない気色悪い紐見たいのに犯されるのかもしれないが、それは、そこを住処にしてる奴の問題。

 出てった奴の問題じゃない。オニの問題。……鋼也が抱える問題じゃない。


 ここは本当に、お前が命張る場所なのか?……そう、あたしは問いも止めもしなかった。


 あまりに馬鹿が上機嫌だったからね。当てられたんだよ。いや、当てられた事にしてやった、か?

 

 あたしは結局、はっきりすっきり、して、ってだけなんだろう。

 そういうになってやったってだけの話。

 そう易々、愛着は消え失せはしない。良くも悪くも。

 だがまあ、水を差しちまうのはよろしくない。あいつは、アレで良いんだろう。あいつが桜の元に戻れば、それで大団円だ。……その為にあたしは付いてきたわけだし。


 心配性なのか。

 姉ぶりたいだけか。

 カッコつけなだけか。


 どうあれ結局、ぼんやり想うことは一つ。なんともまあ、我ながら情けない話だ。


 そうやってうだうだするのはあたしとしてももう、うんざりである事は確かで、そして、そういう余計なことを考えなくて済むような事情って奴が、あたしの目の前に現れた。



 *



 例えば。

 扇奈がもっと、非情で、自分勝手であれば。


 吞み込んでいただろう。藤宮桜が生きていると、そう告げないままでいただろう。

 それで、扇奈自身が特別愛着を持った相手を見送らずに済むのだから。


 欲しいモノをその手に入れて、そこに後ろ暗さを抱く事もなく。


 ただ、満足と笑って。



 *



 ……話し声が聞こえる。廊下の向こう、僅かに開いた扉から、この通路にくぐもった声が反響する。

 最初は、この基地の、ヒトの生き残りかとも思った。だが、違う。

 声は一つ。なんともまあ格式ばった……講義でもしてるような声だ。


 <ゲート>とは直接関係ないかもしれない。だが、調べておくべきだろう……そう思って、あたしは足音を忍ばせて、その戸へと寄った。

 声が大きくなる――


『この戦局において私がまず念頭に置いた防衛上重要な観点は――』


 ――なんかの講義か、講演やらか?録音?録画?

 表札の文字は読めない。ここ大和だよな?……かぶれやがって。

 だがまあ、何をする部屋かは大体わかった。

 書庫、みたいなもんだろう。部屋の中……割りと広いそん中には、棚が幾つも並んでいる。本もあれば、あれ、なんつったか……まあ、映像とか入ってる奴だよ。それが並んでる。


 だが、そういう異文化交流は、瑣末な問題だ。

 もっと訳わかんない状況がその部屋の中にはあった。


『――敵兵力の数、及び進軍速度差における精度の高い予測と――』 


 画面に、偉そうな服を着たおっさんが映ってる。

 それを、間近で眺めてる目が一つ。

 ………、だ。

 単眼。

 焦げたような色。

 翼。

 尾。

 ……画面を眺めてるのは、竜だ。


「……トカゲが、お勉強?つうか……」


 ……どう見ても、その竜は知性体じゃない。ただのザコだ。

 あの白い奴――最初に見た時には人間を解体してた、あの倫理0で好奇心百っぽい気色悪い奴が、そうやってお勉強してたんだったら、あたしはただ何にも言わず後ろからぶっ殺すだけだ。


 だが、どう見ても、そのトカゲはただの、それこそよだれ撒き散らして突っ込んでくる以外に能がないあれと同じ。


 実は、ただの竜と見た目の変わらない知性体が、もう一体いた?いや、そうじゃない……。

 物音がしている。

 その書庫の中。

 見える範囲に3匹。

 本を読んでいる……らしい仕草で、捲るたびに本を裂いている竜。

 将棋みてえな、ボードゲームか?それを爪でいじくりまわしてる竜。

 そして、画面を見て、口をパクパクさせてる竜。


 まるで人間の真似をしているかのような、ただのザコが3匹。


「……なにしてんだ、」


 余りにも……余りにも予想とは違うような景色が目の前にあった。

 だからだろう。あたしは、油断していたらしい。


 つい、身を乗り出した。

 すると、急に、独りでに―――目の前の引き戸が開いた。

 かすかだが音が鳴る。

 音に、その部屋の中にいた単眼が全て、あたしを見た。

 単眼が、


 ……最悪だ。だけなら、どうとでもなった。

 だが、一体そこでナニしてたんだか、扉の影に一匹、隠れてやがった。

 すぐ目の前に単眼がある――。


「……ッ、」


 反射だ。

 すぐ目の前にいた竜の尾を、その上を跳ねてかわす、いやかわそうとして、だが通路が狭すぎる。

 足を掠めた――痛みが脳裏を駆け巡ったがそれに囚われたらそこで死ぬってことは経験上わかりきってる。


 尾を振りきった竜の頭上。そこであたしは太刀を抜く―――そのまま振り抜く。確かに狭い。確かに壁は邪魔だ。けど、それで使えませんってなるくらいなら最初から銃携帯して賢く生きてるさ。


 あたしに一太刀くれた礼に、竜を叩き切る―――その竜が咥えてたんだろう、なんかの札――多分、遊び道具――がひらひらと床に落ちる。


 一瞬だけ。

 嫌な気分が脳裏を過ぎった。

 だが、それに囚われず、着地、と同時に足に激痛。それを無視して、背後で倒れた竜を無視して、獲物に視線を向ける―――。


 2匹、迫ってきてる。一匹、近くでボードゲームしてた一匹が壁を這い、その奥で本を読むように裂いてた竜が棚を崩しながら殺到してくる。


 一匹には、短刀を投げ――目に当てて殺す。

 もう一匹は、ただ両断だ。今更、雑魚にやられるわけもないだろ。……一発喰らったけどな。


 とにかく、残りは一匹―――。

 足の痛みを無視して、その一匹に視線を向ける。


『……この誘い込みと各個撃破によって、対面する戦力を限定させた上で――』


 画面を背にした、ただの竜。

 それが、動かず………ただあたしを見ていた。

 いや、何もしてない訳じゃない。その口がパクパクと――その喉の奥から音が漏れている。


「コイ……ワ…ミ……ジャナ……テネ、」


 声、だ。言葉、だ。……言葉を喋っている?竜が?


「………何なんだい」

「ナ…ナ…ダ、イ」


 鸚鵡返し、だろう、おそらく。

 言葉を喋っているのではなく、覚えようとしている……?

 ただの、雑魚が?いや、こいつ、本当にただのザコなのか?


「オ、マエ……シ、テル。クビ、キル、コワ、……コワイ」


 何を言ってるんだ?あたしを知ってる?……知ってるも何もただのトカゲの見分けなんかつきゃしない。トカゲの首なんて、それこそ――。


 そこで、あたしは自覚した。あたしの動きが止まっていると。

 あたしの動きが止まっていたのは……疑問が余りに多すぎたからだ。

 ……これも、油断。さっき怪我した原因。

 ………油断である事を自覚した。


 思い出せ。ここは、戦場。


「コワイ……コワイコワイコワイ――」


 どこかヒステリックに―――喚きだすトカゲが、尾を擡げる。

 攻撃してくる――あたしの動きは、もはや条件反射だ。


「コワイ!」


 叫びと共に突き出される尾――今度は完璧に掻い潜り、一足、トカゲの懐にもぐりこむ。

 反射的に振りぬかれた太刀は、トカゲの首を両断する。

 真っ赤な噴水だ。トカゲの首なんてそれこそ最近は毎日の様に切ってる。どっかであたしを見て逃げた奴だったのか?


 とにかく、結局ザコは、喋ろうがザコに違いはない。が、


「ッ………」


 踏み込んで、地に足をつけた直後――また、激痛が足から跳ね上がってきた。

 顔を顰めながら、まずは周囲を確認―――倒れたトカゲは、そのまま動きを止めている。

 少なくともこの場所は安全。

 それを確認した上で、傷の具合に気を配る。


 右足だ。ふくらはぎの辺りが裂かれている。両断はされていないが、……存外深手らしい。骨は、見えなかった事にしとこうか?

 

「……何やってんだ、あたしは……」


 どうあれ、脚は不味い。今の踏み込みでかなり痛かった。痛いだけならどうでも良いが、足先が若干痺れかけてるのはかなり不味い。

 歩けなくなったら?いや、そもそも歩けないと鋼也に知られた時点で、あたしは、あらゆる意味で完全にお荷物になるだろう。


 応急処置の道具は一応、ある。血止めだけして、後はどうにか、出たとこ勝負で……。


 時間が、なかった。考えを十分に廻らせる時間も、応急処置をする時間も。


 トン――重いモノが軽く落ちる音が背後から響く。

 ―――その瞬間にあたしは飛び退いた。


 背後で風鳴りが轟く――尾よりも重く鋭利な刃、それが、つい一瞬前まであたしがいた場所を裂く音が。


「……ッ、」


 もんどりうって立ち上がろうとして脚の痛みに顔を顰める――。

 だが、痛い痛い言ってられる場合じゃないらしい。


 立ち上がり、今、奴を見る――。


 ……黒い、竜だ。

 ついさっきまで間違いなくいなかった黒い竜。それが、目の前に一匹、その後ろにも一匹、


 瞬間移動。

 知性体があたしを殺すために、黒い竜2匹送ってきたらしい。


 こっちの作戦がばれてた?いや……つい、今しがた、あたしの存在に知性体が気付いたのか。


 アイリスとリチャード。あの二人と同じように、竜は情報を共有できるんだろう。でなけりゃ、知性体がいようが統率なんて取れるはずも無い。

 さっきまでお勉強してた竜も……知性体の制御下にあったのか。

 そいつに見つかったから、あたしの存在が知性体にばれた?


 その証拠―――そう言わんばかりに、目の前で黒い竜が嗤う。喋る。

 その背の杭を、あたしに向けながら――。


「コイ、ツ、ワ、シュミジャ、ナク、テネ……」


 ……いつぞや、そんなん言った気がするよ。覚えてやがったのかあの知性体クソトカゲ

 まあ、どうあれ、黒い竜2匹、か。……片足これで何処までやれるか。いっそ大声でも出してみるか?怖い、だの助けて、だの。馬鹿が駆けつけてくれるらしいぞ?


 ……んな柄じゃないよねぇ。それで助けに来られても反応に困るよ。

 それに、そんな情けない真似したかないし。


 ……とりあえず、だ。


「真似してんじゃないよ。……あたしはもうちょい品があるだろ?」


 大見得切って、格好つけて………話も戦もそれからだ。


 目の前の黒いトカゲが、杭を放つ―――至近で放たれたそれを、……叩き切る。

 両断された杭が、あたしの後ろの壁に、画面に突き刺さり、ずっと喰っちゃべってたおっさんが画面から消えた。


 まあ、なんだ?

 ……あたしは、逆立ちしてもお姫様にはなれそうもねえな。

 んな事思って、嗤いながら………。


「どうした?トカゲ。……コワイコワイ喚かないのかい?」


 どうもあたしは、虚勢張ってばっかりだな。



 *



 例えば、この世界に戦争なんてなければ。


 扇奈は誰も失わなかった。

 平和でのどかなオニの国で、教鞭でもとっていたのかもしれない。剣術指南、とかしていたかもしれない。


 弟も妹も失わず、ただ、晴れやかな日の下で、快活に、能天気に。


 ただ、影なく笑って―――。



→43話 狂気に呼ばれて/凶喜の箱庭

https://kakuyomu.jp/works/1177354054889537417/episodes/1177354054892368055

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