裏演謳歌Ⅲ 狂騒曲―ラプソディー―

 桜花は、気付くと、和装………黒い着物に華やかでやわらかな羽織。その格好を、着慣れていた。


 光陰、矢のごとし。

 神樹重蔵――神樹財閥との交渉、いや、懇願の日から数週間。桜花にとってその後の数週間は、正にあっという間だった。


 事務、実務………引き出した後ろ盾からの献金をどうやって兄の味方であるとわかるように政府へと繋げるか。どの部署どの部門……細に入りすぎるそれらの思惑を正確に理解するには、桜花には余りに知識が足りず、だからそれら全てはお世話係の恭子と神樹重蔵の部下が主導して行われていた。

 桜花はただ、それらが理解できるようになろうと、推移を眺め聞き知識を積み上げているだけ。何もしていないと言えば、何もしていない。


 桜花がやったことといえば、各所への挨拶程度の顔見せくらいだろう。だから、実際忙しかったのは桜花ではなく恭子のほうのはずだ。

 けれど、桜花は、自身の実感として、忙しいと感じていた。


 どこか、自分の名前が自分から乖離していく――あるいは、それこそ何かをしようとする前に戻っていくような気分でもある。


 “桜花”。どこまで行っても、その名前はカードだ。

 ただし、前よりも僅か、権力が増したカード。


 それを示すかの様に、その日々の末に、招待状が送られてきた。

 皇帝からの招待状だ。


 休戦記念式典前夜。列席者が集う、懇親会パーティ

 赴かない、という選択肢が桜花にあるはずも無い。


 だから、その夜。

 着慣れた和装に身を包み、お付きに恭子だけを従えて――桜花はその会場に向かう。

 選民区画の一角、外れ辺りにある、皇帝の宮殿。


 華やかな賑わいが騒ぎ出す、その権力者の集いへ。


 兄が居るのだろうその賑わいへと歩みながら、桜花は、神樹重蔵の言葉を思い出していた――

 


 *



『あの放蕩者がなぜ皇帝になったと思う?』


 神樹重蔵。神樹財閥会長―――桜花が支援と後ろ盾を得に交渉……いや、懇願した2度目の席の最後。

 威圧感を放つ細身の老人、桜花の様に名ばかりではない本物の権力者は、桜花の話に対して頷きも首を横に振りもせず、ただ思慮深い目だけを向けて、そんな問いを投げてきた。


 多分、ただの気まぐれだろう。そんな返答しか思い浮かばなかった為に黙っていた桜花を前に、神樹重蔵は続けた。


『大和の平和、だそうだ。そう言っていた。大和の平和の為に、協力しろ、と。私は最後の皇帝になるつもりだ、と』


 大和の平和。言いそうだな~としか桜花は思わなかった。

 むしろ、桜花が気になったのは、そのを神樹重蔵が口にしたことのほうだった。


『……兄と、会っているんですか?』


 神樹重蔵と兄――大和紫遠はそもそも会談自体していない。桜花はそう、聞いていた。

 難物過ぎるがゆえに、兄は時間を取られる事を避けた、と。


 けれど、そんな桜花を、権力者は深い目で睨む。


『甘すぎる。小娘。なにもかも、だ。ほだせると思う事も、得た情報がどの伝を通ったものか、想像もしないその愚かさも』

『…………』


 桜花は、目を伏せた。

 完全に駄目出しだ。

 桜花が得た情報。恭子から伝わってきた情報。恭子は、その情報を何処から仕入れたのか。その仕入先にも、兄の手が回っている。


 ほだそうというその手もまた、結局は無様な小細工に過ぎなかったのかもしれない。

 語る言葉に嘘は無くとも、思惑が混じった言葉は権力者にはばれるのか。


 ……桜花は、情で他人を動かそうとばかりしている。

 けれど、やはり、対面する相手は情を完全に自分から切り離している者ばかりのようだ。

 そんな事を思ったから、桜花は、次の神樹重蔵の言葉にも――流石に表情には出さなかったが、拗ねたような気分になった。


『だが、ほだされてやっても良い』

『……兄より私の方が、御しやすいから』


 即座に呟いた桜花に、神樹重蔵は隠す気も無く頷いた。


『その通りだ。果たしてアレが最後の皇帝になる、と本気で言っているのか……。絶対的な君主は孤立し独裁を為す。その際に、対立する駒が必要だ。……わしはこれでも、大和を憂いてはいる』


 何処まで行っても、“桜花”は“桜花”だ。

 この場で会談しているのは、確かに桜花と神樹重蔵ではある。

 だが、その意思決定の舞台に、桜花は立っていない。

 ここで思惑が絡んでいるのは、兄と神樹重蔵だ。


 兄は、おそらく、神樹重蔵からの出資が欲しかったのだろう。だが、自身が赴く場合に時間コストが掛かりすぎると考えた。神樹重蔵から信用されていない、とも、兄は勘付いたのだろう。

 だから、別のカードを使う事にした。


 神樹重蔵が食いつきそうなカード。


 神樹重蔵にしてみれば………それこそ、桜花は兄よりも幾分扱いやすい、

 兄を見極める合間であれ、あるいは見限るその時が来たとして……その後を考えても有益な、カード。


 舞台に立とうと思い立っても、小娘は小娘。カードはカード。


『敗走し、愚かさを知り、無力さを知り、だが逃げはしない。ならば、顔を立ててやる』


 わかりやすく言い換えると、1回断り、それでも桜花がもう1回折れずに来たなら、この場で何を言っても神樹重蔵は頷いた、と言う事だ。


 最低限、、でなければ神樹重蔵としてはどうでも良かったのだろう。


 もっとも、ある意味、この場の悉くを心の奥底でどうでも良いと思っているのは、桜花も一緒ではあった。


 他の腹黒達と、桜花もまた違わない。

 政治は手段だ。目的は鋼也に会うこと、鋼也に、自分が生きていると伝えること。


 国を憂う、とかそういう大層な理想とはまた違う完全な私欲で、桜花は桜花で、目の前の老人を利用しようとしている。


 同じ穴に棲んではいるけれど、もぐる深さが違いすぎるのか。

 そんな事を考えた桜花に、神樹重蔵はまた、問いを投げた。


『一つ、問おう。この全て、想い人と見えるため、そうだったな』

『………はい』


 桜花は頷いた。開き直った……というか、最初から開き直って全部言っちゃったから今更誤魔化してもしょうがない。


 そんな桜花に、神樹重蔵は問いを重ねる。


『それが、もう居ないとしたらどうする?それで折れるか、小娘』


 その言葉は、どこか桜花を案じるような意味合いに聞こえなくも無いだろう。

 だが、違う。違う事が桜花にはわかった。


 目的が失われていた場合、それでもまだこの舞台に―――カードとして扱われ続ける覚悟があるのか。


 神樹重蔵は、あくまで、桜花のカードとしての価値を計ろうとしているだけに過ぎない。


 そこまで見て取って、桜花は………。



 *



「………あんまり、よくわかりません。勉強中でして」


 懇親会………というか、舞踏会のような絢爛な様相が、その休戦記念式典前夜のパーティにはあった。

 ドレス。タキシード。宮殿の会場の造りから、列席者が来ている服から、あるいは並んでいる料理から……ほぼ全て洋風な、それこそ絵に描いたようなパーティ。


 その片隅に異彩を放つ和装で立っている少女……ましてそれが皇帝の血縁となれば、声を掛けてくる男がいないわけも無い。

 

 どこぞの文官の子息……らしい。完全に知識が追いつかず、そもそも名乗られた時点で何処の誰かわからなかった上に、知識をひけらかすように早口で何かしら語り掛けて来る青年に、桜花は内心の飽きを隠す微笑を浮べて、応えた。


「満足な話し相手になれず、申し訳ありません。いずれまた、席を」


 そうしてから、桜花はそのパーティの外縁へと歩んでいく。

 壁の花になろうと思ったのだ。

 恭子から聞いていた、この場で挨拶をしておくべき相手には、軒並み声を掛け終わった。

 その後に桜花に声を掛けに来た、この場では比較的年若い者達……そちらも、今ので打ち止めだろう。


 壁の花になり、華やかな腹黒軍団を遠めに眺める気分で、『権力者にも階層があるんだな~』などと桜花は考えた。


 桜花はその権力構造の丁度中間ぐらいなのだろう。神樹重蔵の後ろ盾込みの、皇女と言うカード。

 見下ろす者もいれば、見上げる者もいる。


 それから、その階層のトップに立つ人間がこの場に居ない、と思った。

 紫遠だ。主賓でありながら一度もこのパーティに顔を見せていない。


 気分が乗らないのだろうか。そんな理由でパーティに顔を見せないぐらい十分ありそうな人だ。

 後になって面白がってやたら派手に登場する……それもまたやりそうな人だし、なんなら平然とボーイの振りをしてその辺に紛れていてもおかしくない。


 といっても、それらの印象は、皇帝になる前の兄の印象に過ぎない。今は変わったのだろうか。皇帝になってから一度会いはしたが、その時は桜花も自分の事で手一杯で――あるいも今もまだ自分の事で手一杯なままか――とにかく、兄の様子まで観察しきっていない。


 大和の平和の為に、皇帝になった。

 本当だろうか?疑わしい言葉だ。

 だが、あの兄が今更皇帝の地位を権威欲で欲しがるとも思えない。……もしかしたら本気で言ったのかもしれない。


 結局は、良くわからないになる。

 兄の思惑もそうだし……あるいは桜自身の思惑も。


 あの神樹重蔵の問いにも、だから、桜花は正直に応えたのだ。


 鋼也が死んでいたとしたらどうするか、と。

 ………その場で出た、正直な言葉は、『よくわからない』。


 鋼也が生きている。そう、信じる事にした。

 もしも……それが、儚い望みになったとしたら、その時は泣く事にした。

 けれど、その先は、なって見なければ桜花自身にもわからない。


 あるいは、代わりに背負って立つような、そんな理想を抱くべきなのかもしれないけれど、それもまた、いまいち、見つからない。


 10代の、割りに諦観した少女には、世の中は夢を見るには遠すぎる。これもまた、目の前の出来事を消化し続けているだけなのかもしれない。


 けれど、そんな桜花でも、行動の結果責任感の欠片くらいは芽生えたのか。

 ………はっきりしたい、とそう思っただけなのかもしれない。

 一つ、まるで他の権力者腹黒がするように、身内に頼んで調べさせてもいる。


 鋼也の生存に関して、おそらく知っているだろう男についての、調査。


「桜花様」


 壁の花に声をかけてきたのは、付き人として同席していた、恭子だ。

 ぼんやりと視線を上げた桜花に、恭子は耳打ちする。


「久世さんと御影さんから連絡が」


 あの二人……桜花が調べるよう頼んだ二人からの、連絡。

 なにか、掴んだのだろうか。………について。

 鋼也が、本当に………あの血に沈む光景は?


 他に、桜花にはそこに足早に辿り着く方策がなかったのだ。だから、あの狂人を調べさせた。


 けれど、桜花は知らなかった。

 その結果、自身が、まるで違う洞穴の奥の真相に触れる事になると。




 *




 仮初の平和を祝おうという、その空虚な式典を前に、絢爛な舞踏会パーティの足音が、階下の床から響いてくる。


 そんな音に耳を傾けながら、紫遠は一人、月明かりに蝋燭の、薄暗い私室―――趣味の上に雑務が覆いかぶさっているその部屋の中心で足を組み、頬杖を付き………待っていた。


 、来客を。


 端正なその顔、目に浮かんでいるのは、深い思慮と………退屈とでも言わんばかりな、どこか無邪気な少年のような感情だ。


 大和紫遠は飽きていた。皇帝である事に。

 自身で、それなり以上の覚悟を持って腰掛けた椅子ではある。肉親のほぼ全てを切って捨てた上で手に入れた地位だ。覚悟が無ければ成り立たない。経緯もあれば陰も毒もある。


 語る平和は嘘ではない。放蕩者は世界を見た。あらゆる場所で、個人の暖かさと集団の醜さを見た。

 その上で振り返った祖国―――拭い難い貧富、形ばかりの休戦にピリオドを打つべきと、そう判断し、理想を持ったことは間違いない。そこをゆるがせる気は微塵も無い。

 帝国、ではない。を平和に。


 自身は、最後の皇帝になる。……その為に肉親を全て切ったのだ。


 だが、それら全て踏まえた上で、大和紫遠にとっては今この瞬間飽きている、という感情の方が重要だった。


 だから、本来なら主賓として富に肥え太った臣民を持て成さなければならない立場でありながら、その一切を嫌って、私室で一人佇んでいる。


 ………そもそも、本来なら式典などやっていられる状況では無いのだ。


 帝国軍第3基地。紫遠が生んだ帝国のの結果、奪還されずに竜の住処となったその周辺が、酷く騒がしい。竜の急造。<ゲート>が現れた可能性。

 本来なら式典などせずに、そちらに火急的に対処するべきであり、紫遠としても、そちらの方が


 だが、式典は式典で、紫遠の役目。竜への対処は武官に任せ、紫遠は宮殿に幽閉、だ。


 ………あるいは、そう。余りに退屈しすぎていたからか。

 結局、何もかもゲーム気分で、敵なり窮地なり無ければ……スリルが無くてやっていられない、そんな気分だったからか。


 大和紫遠は、自身の椅子を脅かす可能性のある情報の存在を、あえて看過していた。


 相模響慈、だ。

 桜花を連れ帰ってきてしまった、どうも紫遠と似たような匂いのする……それこそ、まるで信用するに値しない男。


 あれは、紫遠が皇位についた経緯……その裏側を嗅ぎまわっていた。アレに限って前皇帝への敬意、が動機なわけも無い。大方紫遠を揺すろうとでも考えたのか、あるいは、ただ暇で、退屈で、あれも敵を欲しがっただけか。


 相模響慈自体はもう処理してある。帝国軍第3基地、及びその周囲の偵察任務に出した。

 紫遠の、を1部隊、くれてやって。あらかじめ


 相模が帝国に帰ってくることは無いだろう。仮に、それでも無事、帰り着いたとしたら……それはそれで面白い。敵対しても良い。飼ってやっても良い。


 どちらであれ紫遠にとっては大して変わらないのだ。

 敵だろうと味方だろうと、全てが盤上の駒である事に変わりはなく、どちらであれ動かすのは紫遠だ。


 そう、敵でも、味方でも構わない。

 そう考えたから、紫遠は、相模響慈が手に入れた情報、そのデータの処分を急がなかった。


 そのデータが誰の目に触れる事になるか。

 そのデータを、を知った誰かが、何をするか。

 相模響慈を調べれば、そのデータの方に辿り着くだろう。


 桜花が、珍しく執着を見せている対象。名前は忘れた、一人の兵士。その安否を調べようとして、手がかりとなる狂人を探ったその末に、目にするのは肉親の仇。


 清濁相食む。あるいは、そう。それが、大和紫遠の言う、だ。



 来るはずの来客を待つ、紫遠。

 その手には、原稿がある―――明日の式典で、紫遠ではないが読む予定の原稿。


 選ぶのは、来客の方だ。

 吞み込むか、吞み込めないか。


 どちらでも良い。と、想像しては楽しげに……僅かに、兄として妹の成長を待つような気分もあるのか、口元に笑みを浮かべ、紫遠は待っていた。


 やがて、私室の戸が開く―――。


 ノックもない。足取りも僅かに荒い、何を思ってか喪服の上から華やかな羽織を被り続ける、最愛の妹。


 桜花は、背後で閉まった戸へと振り返ろうというそぶりすら見せず、ただ、紫遠を睨んでいた。


 知ったのだろう。

 家族丸々血祭りに上げたのが、目の前にいる実の兄だと。


 これで良い。祭りパーティなんかよりも、こっちの方が幾分も面白い。


 そんな内面を隠す気もなく笑みに浮べながら、紫遠は言った。


「端的に行こう、桜花。私は、お前を信用しても良い。よく、神樹の爺を誑かした。今度はお前が、私に対して信用を問う番だ。ここに、明日の式典の原稿がある。………お前の演説の原稿だ」


 そう言って、紫遠は、原稿の束を桜花の足元へと投げる。


「桜花。私は選択した。あくまで利用する。全てを。………次は、お前が選べ。私は仇敵か?それとも、頭を下げるか」


 桜花は、足元の原稿に目もくれず、ただ紫遠を見続けていた。

 ……瞳の奥底に、迷いを宿したまま。



 → 11章 狂乱の夜宴

 38話 原点再起/忘れモノに遭って

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