出逢ってから 8

「ありがと」


 そう言った宏枝の笑顔に、良樹は何だかホッとした。

 まだどぎまぎとしている視界の中で、宏枝は下の瞼に残る雫を拭って立ち上がった。


「も……、だいじょうぶ……」


 まだ少し残る涙声。──でも、その表情には、ふっ切れたように翳がなくなっている。

 それから宏枝は良樹に向き直って、勢いよく頭を下げた。


「ごめんなさい」


 いきなり謝られて面食らう良樹に、下げた頭のまま宏枝は続けた。


「わたし、素直じゃなくて、よくなかったです。──ほんとにごめんなさい」


 そんな宏枝に、良樹は決まりの悪い思いで苦笑する。

 自分の話を一方的にしただけで、あげくに大粒の涙で泣かれてしまい──いま思い返してみると、けっこう赤面もののことをしれっと口にしていた自分に気付く。頬が熱くなってくる。



「そうでも……なかったよ……」


 良樹はほとんど口の中だけで小さく言った。

 宏枝は面を上げ、きょとんとなって良樹を見返した。

 良樹の方の視線が逸れる──。


「そうでもなかった」 けっきょく良樹は観念して声に出して言った。「──ささくれた中里も、ある意味素直っていうか──」


 宏枝が目線が真っ直ぐに覗き込んでくる。

 良樹はほんとに観念して言ってみた。照れてしまって、口の端が震える。


「……かわいかったし」


 途端に宏枝の視線が下りた。その口元に両の手を添えると──紅くなってかしこまる。


「えーと……」


 良樹はそんな彼女の顔を視界の端に留めて、遊び場内の時計の表示を確かめる。

 時刻は午後2時を少し回ったところ。


「6時までまだあるし」


 良樹は視線を戻すと、宏枝の顔を覗き込んで言った。


「〝思い出〟、まだ作れるんじゃないかな?」


 宏枝がおずおずと顔を上げる。

 良樹の方も慣れない会話の進め方に気恥しかったが、ここは何とかがんばった。


「いこう」


 彼女の方も、2、3回、何事か小さく口の中で繰り返して、でも結局、小さくうなずくことで応える。


「うん」


 ふんわりとした、あの笑みが浮かんでいる。

 良樹は、こんどこそ丁重に左手を差し出した。

 彼女はその手を取り、トントンとあのステップを踏んで良樹の腕を引く──。

 良樹は2、3歩引かれるまま引っ張られて、それからこんどは彼女の手を引いて、駆け出した。


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