第14話 エピローグ
港で船を留蔵と待っていたら、俺の姿に気が付いたおばあさんまで店から出てきてくれた。
二人と話をしているうちに、船が到着していよいよ出発の時間となる。
「留蔵さん、おばあさん。ありがとうございました!」
「おう。つくも。またな!」
「お兄さん、またお茶しようね」
タラップをあがり、船の縁から二人へ手を振る。
――ブオオオオオ。
船が汽笛を鳴らし、動き始めた。
俺は二人の姿が見えなくなるまでずっと手を振り続ける。
船が沖へ進んだところで、ギラギラとした陽射しが差し込んでいる甲板へ行くことにした。
クソ暑いからか、甲板には人の姿は無くジリジリと熱せられたベンチだけが並んでいる。
それにしてもずっと晴れだったなあ。これだけ晴れが続くのも珍しい。
なんて思いながら、ベンチに腰かける。
「熱っ!」
来た時に灯台の壁に触れて同じような反応をしたことを思い出し、それと同時に淡雪のような少女の笑顔も頭に浮かんで……口元が綻ぶ。
とはいえ……。
「熱いもんは変わらねえ! 座ってられないってこれ」
お尻をさすりながら、たまらなくなって立ち上がる。
ふう、我慢はするもんじゃあねえな。
気が付くと離島の姿がとても小さくなっていた。
しばらく見納めだなあ。
少しでも良く見るところにと思って、金属製の転落防止柵へ手をやろうとして慌てて手を引く。
ここで触ったらさっきと同じだからな……。試しに指先でちょんちょんと突いてみたら、とんでもなく熱かった。
ふう……。
改めて離島の方へ目をやる。
遠ざかっていく離島と足元から消えて行ってしまった翠の姿が重なり、一筋の涙が目から俺の頬を伝う。
あ、また感傷的になって、泣いてしまった。
「ごめん。翠。笑顔でいたいんだけど……なかなか難しいや」
「そうだよー。わたしはずっと泣かなかったのに」
「え?」
声のした方へ顔を向ける。
そこには――。
転落防止柵の上へ腰かけ足をぶらぶらと動かしている翠がいた。
翠がいたんだ!
「翠!」
翠の腰へ腕を回し、自分の方へ抱き寄せる。
彼女はやはり人と違って、驚くほど軽い。
でも、確かに彼女の体はここにあると俺の体が感じ取ったのだ。
「きゃあ。襲われるう。こんなに明るいのに」
口調とは裏腹に彼女は俺の胸に顔を埋め、スリスリと顔を擦り付ける。
「全く……」
翠だ。もう会えないと思っていた翠が相変わらずの調子で俺の手の中にいるんだ。
「九十九くん、また泣いちゃってえ」
「翠こそ……」
俺の目からはとめどなく涙が溢れている。
でも、翠だって同じじゃないか。俺のTシャツが濡れているのは汗じゃあないぞ。
「違うよ。九十九くん。これは……悲しくて泣いているんじゃないもん」
顔をあげ、俺を見つめる翠の顔はこぼれんばかりの笑顔だった。
目を真っ赤にして、頬も染めて……。
「何だよ。その屁理屈。俺だって、同じだよ」
「えへへ」
愛おしくなって彼女の頭を撫でる。
ん?
「あれ、翠。かんざしはどうしたんだ?」
「今頃気が付いたのー? 女の子のファッションはちゃんと見とかないとモテないぞお」
「モテなくたっていいさ。君がいれば」
また俺の口が滑ってしまった。
俺の口も相変わらずの調子を取り戻したようだな。翠が消えて以来元気がなかったんだが……。
「また気障なことをお」
「そう言いつつ、耳まで真っ赤だぞ」
「もう……」
ぎゅーっと彼女が俺を強く抱きしめてくる。
俺も同じように腕に力を込め……自然とお互いの顔が重なった。
「おかえり。翠」
「うん。ただいま。九十九くん」
「ちゃんと、『またね』の通りに来てくれたんだな」
「うん!」
あれ、さっき何を聞こうと思ったんだっけ。
あ、ああ。
「翠。かんざしはどうしたんだ? あれだけ大切にしていたのに」
「かんざしは……九十九くんに会うためにお星さまになりました」
まるで意味が分からんぞ。
「翠……。もうちょっと、日本語で詳しく」
「九十九くん、わたし、日本語以外は喋ることができないよ?」
この冗談は通じなかったらしい。
「かんざしが消えたって?」
「んー。待ってね」
翠は俺から手を離し、一歩だけ後ろに進む。
続いて。
「ちょ」
「もう、相変わらずえっちなんだから。後ろ向いていて」
翠が首元から服の中に手を突っ込むものだから、思わず凝視してしまった。
一向に後ろを向かない俺。せっかくのチャンスを無駄にするものか。見える、きっと見えるに違いない。
しかし、抵抗むなしく、翠は俺の肩を掴みクルリと俺の体を後ろへ回転させてしまった。
「いいよ。九十九くん」
「ん」
翠の呼びかけに応じ、振り向く。
彼女は手に革紐……チョーカーを持っている。
その先には――。
「翠。それ、俺の持っている古銭?」
「えへへ」
いつの間に翠の手に渡ったんだ?
確かに彼女が眠っている間、古銭を握らせたことはあるけど……起きた後すぐに回収したんだ。
ほら、元に俺の首には古銭が……ある。
あれ?
「古銭が二つ?」
「九十九くんのが本体。これはレプリカというか……いまのわたしの象徴と言ったらいいのかな」
なんとなく見えて来たぞ。
なるほど。そう言うことか!
「翠。分かったぞ!」
「ほう。じっちゃんの名にかけて?」
「それは……何のことか分からないけど。俺の推測を聞いてくれるか?」
「うん!」
かんざしが天に召されて消えた。その代わりに古銭が翠の手にある。
幽霊だった彼女は、別の何かに変質したんじゃないだろうか。
その証拠になるのが古銭。
まだある。
もう離島は見えなくなっているというのに、翠がここにいる。
彼女は離島から離れることができないと言っていたんだ。
つまり彼女は……。
くわっ! と目を見開き告げる。
「翠は幽霊から古銭に憑く地縛霊に進化したんだろ?」
「九十九くん……それを言うなら付喪神だよ?」
「そう。それそれ」
「間違ってないけど……地縛霊は酷いよお。わたし、化けて人を呪ったりしないもん!」
「ごめんごめん」
「ぶー」
頬を膨らます翠をギュッと抱きしめると、彼女はトロンとしたように体の力を抜いた。
「誤魔化そうとしてるでしょお?」
「そ、そんなことないって……あ、翠。あの後どんなことがあったの? 覚えているのなら教えて欲しい」
「むー。またそうやってえ」
翠の唇を口を塞ぐ。
「ん……」
「ぷはあ。もう、九十九くん!」
彼女の顔はお怒りに見えない。むしろ潤んだ瞳が俺の心を揺さぶる。
翠は唇をそっと指先で撫でてから口を開く。
「あんまり覚えてないけど、聞いてくれる?」
「うん! ぜひ!」
翠は濡れた指先をチラリと見た後、俺の目をまっすぐに見つめながら語り始める。
光の粒子となって、消えて行く自分。
粒子はそのまま天に昇って行くと思いきや、俺の胸にある古銭へ吸い込まれていったそうだ。
どうしてなんだろう? と思っているうちにかんざしが消失し、そこで彼女の意識は途切れる。
目覚めると、彼女は妙に狭い空間で体育座りしていた。
そこは四角い空間で、背中と膝が壁につくほどで天井も立ち上がるほど高くはない。
一言でいうと、彼女は小さな箱の中へ閉じ込められているような状態だったのだ。
でも、箱の中は妙に心地よくてゆりかごのように左右へ揺れることもあり、彼女はそのまま再び眠ってしまう。
次に目覚めたのは俺の声を聞いた時で、居てもたってもいれれなくなった彼女はなんとかこの箱から出ようと手で天井を押す。
するとあっさり天井が開いて、彼女は外へ出ることができた。
そこからは俺の知る通りだ。
「それで分かったの。わたしがいたところは、その古銭の中だって」
「なるほど。翠は島に住む幽霊じゃなく、古銭に憑く付喪神になったってことだな」
「うん。地縛霊じゃないからね!」
「分かったってば。でも、古銭てことは俺のいる場所へずっと一緒にってことだよな?」
「うん!」
また一緒にいることができる。
古銭がある限り、俺と翠はずっとずっと一緒だ。
そう思うと、不覚にもまた……。
「九十九くんって男の子なのによくえんえんするね」
「う、うるせえ。涙腺が弱いだけだよ!」
「可愛い」
翠が背伸びして俺の頭を撫でる。
頭を撫でられるのってこんな心地よかったんだ……。
少し頭を下げてを細めながら、彼女に撫でれれるままになっていると……目が合った。
「な、なんだよ」
「別にー? 九十九くん、実はナデナデされるの好きでしょ?」
「……否定はしない……」
「わたしも九十九くんに撫でてもらうの大好きだよ」
「あ、うん」
そういう恥ずかしいセリフは俺の役目だろうがあ。
恥ずかしさからではなく、彼女への愛おしさから頬が赤くなる。
「翠。これから家に帰るんだ。一緒に来てくれるか?」
「うん! 嬉しい」
笑いあい手を繋ぎ、一緒にベンチに腰かける。
「熱っ!」
途端にお尻をさすりながら、立ち上がる俺であった……。
◆◆◆
もうすぐ家に到着する。
道中、電車が込み合っている区間があって翠にぶつかることがあったんだけど、ぶつかった人は彼女をすり抜けた。
誰にも彼女の姿は見えていないようだし、触れたとしてもすり抜けるってのは幽霊の時と変わらないようだな。
これなら、家族も翠を認識することはあるまい。
いいのか悪いのか分からないけど……。別に俺は翠を他の誰にも見せたくないってわけはなくて、むしろ彼女には多くの人と交流をして欲しいと思っている。
沢山の友達や知人はきっと彼女にとって心の癒しとなるはずだから。
赤い屋根の一戸建てが見えて来た。
「翠。ここが俺の家だよ。俺の部屋は二階の右手の窓のところだ」
「おお。九十九くんのお部屋。楽しみ」
翠は俺の腕に縋りつくようにして、首を上にあげる。
呼び鈴を鳴らし、家の鍵をリュックから取り出していると先に家の扉が開く。
「ただいま。父さん」
「おう、おかえ……」
何故か父さんの顔から血の気が引き、クルリと回れ右をしたかと思うと来た道を引き返していった。
な、なんだ?
奥で何やら父さんと姉さんの言い合う声が聞こえるんだが……一体何事だよ。
まあいいや。
「いつもはこんな騒がしくないんだけど、俺の部屋へ行こう」
「うん!」
靴を脱ぎ、廊下に上がる。
一方の翠は靴を履いたまま床から少し浮き上がるようにして俺の後ろをついてきた。
彼女は物理的な汚れがつかないし、何かを汚すこともないからそのまま歩いてくれてもいいんだけど……そこは土足で床を踏みたくないって習慣から浮いているんだろう。
「つくも!」
「どうしたんだよ。姉さん。血相を変えて」
「何も言わずに制服の子を連れ込んで。先に紹介くらいしなさいよ。父さん、驚いていたわよ。つくもが家に帰ったら女子を連れて来たって」
「ん? 見えるの?」
「何を誤魔化そうとしてるんだか、セーラー服の可愛らしい子でしょ。あなたには勿体ないくらい可愛い子だけど、まさか彼女とか?」
姉さんは口に手をやり、ワナワナと体を震わせた。
た、確かに翠は可愛いけど、でもそこまで酷い反応することねえだろ!
「わ、わたしが見えるの? 九十九くんのお姉さん」
「うん? って。あなた、浮いてるわよ!」
「付喪神だし……わたし」
「つくも、詳しく説明してもらえる? お父さんとお母さんには後からでいいから」
姉さんは俺の腕をグワシと掴むと、そのまま俺を彼女の部屋まで引っ張っていく。
「翠も……ついてきて」
「うん」
◆◆◆
その後は大変な騒ぎになった。
最初の挨拶にと姉さんが翠と握手をしようとしたところ……姉さんの手がすり抜けちゃうし。
すったもんだあった末、俺の家族は翠の姿を見ることもできるし、話をすることもできる。しかし、触ることができないと判明した。
ようやく家族の手から解放された俺は自室に入り、ようやく一息つく。
「翠。うるさい家族だけど、これからもよろしくな」
「うん! 九十九くんの家族とお話できてとても嬉しいよ」
翠は満面の笑みを浮かべ両手を広げる。
広げた手に吸い寄せられるように彼女へ寄ると、そのまま腕を伸ばし彼女を抱きしめた。
「九十九くん」
「翠」
彼女へ口付けをし、お互いにクスリと笑いあう。
「つくもー、翠ちゃんー」
階下から姉さんの声。
「九十九くん、お姉さんが呼んでるよ?」
「じゃあ、行こうか」
手を繋ぎ、一緒に自室の扉を開く。
(幽霊の)彼女とは最初で最後の夏だったけど、(付喪神の)彼女とはこれからもずっと幸せな日々が続いていくことだろう。
そう確信した俺は彼女の横顔をチラリと見るつもりで横を向いたら、ついつい見つめてしまって階段につまずくのだった。
おしまい。
※ここまでお読みいただきありがとうございました!
彼女とすごした最初で最後の夏休み うみ @Umi12345
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