急.尻捕り


「いやーあの時は死ぬかと思いましたね~」


「そうだね~」


 ルパンは二十年ぶりに女の尻に向かって話しかけていた。

 答えるシリも堂に入ったもので、無理な体勢でも溌剌はつらつと発声している。


「でも本当に懐かしいね。だって、あれ以来だもん」


 深夜、小さな雑居ビルの会議室にいるのはこの二人のみ。

 光源は開け放たれたドアから差す蛍光灯だけ。


「ええ、ちょうど今頃でしたっけ。校舎から出た直後にはもう人混みに紛れて、会えずじまいでしたから。 ……こっちでも今夜は冷えますね」


 くたびれた中年になったルパンは、くたびれたコートのボタンを閉めながら言った。二人の地元から遠く離れたこの街でもそろそろ秋が深まってきている。

 シリは安いスーツの上に茶色のダウンジャケットを羽織っている。灰色のスカートから覗くふくらはぎには、ストッキング越しでもあの日負った火傷の跡が見えた。


「君はさ、あれからどうしてたの? 今は何やってるの?」


「え?」


 ルパンは意表を突かれたようで、半笑いで答えた。


「まあ見ての通りですよ。適当に進学して、あー、先輩後輩の関係が厳しい組織に就職して、かなりしごかれて、こんな感じです」


 それからちょっと言いにくそうに顔を伏せた。


「今はせいぜい仕事相手や同僚のペンをパクるぐらいです。あれからやる気なくなっちゃって」


「結婚は? したの?」


「いや、もう仕事ばっかり。激務だからやりたいことに集中するのが難しくて」


「そうなんだ、大変だったね」 


 シリの平板な声調は感情を読み取らせない。

 別に気になりませんでした、ルパンはまた言いづらそうに足元を見ながら続けた。


「俺は貴女に会う為に今日まで生きてきたんですから」


「えー、恥ずかしいな。私なんてこんな様なのに」


 と、シリは足をプラプラさせた。

 ルパンはコートのポッケから携帯端末を取り出し、画面を一瞥いちべつ。新着メッセージを確認し、そろそろ切り出すことにした。


のことも教えてください」


 ちょっと間をおいて、シリは納得したように口を開いた。


「あ、そうか私が本当は一年先輩だって当然もう知ってるわけだ」


「はい。あの時はサンダルの色がローテーションなのを失念していました。先輩は留年して、俺と同学年だったんですね」


「そうそう、留年してからは一日も出てなかったけど」


「で、この国にはいつ帰ってたんですか?」


「三年前。案外気づかれないもんだね、出国した時ほど上手くはいかなかったけど」


「ですね。あの時はどこも完璧に出し抜かれて、国外逃亡したって確証が得られるまで十年かかりましたから」


 ルパンは目をつむり、校舎から生き延びた後に知ったことを思い出す。


「あの日、役所、警察署、消防署、市内の重要拠点は全部爆破され、全国規模の電波障害で通信は遮断。未曽有みぞうの大混乱の中でまんまと逃走。先輩のご両親の犯行は完璧でした……どうやって実行したのか今でも全く解明されていない。追おうにも足跡どころかご両親の顔写真一つ見つからない。しかも動機は娘がいじめられた復讐ってだけ。もう化け物の仕業としか思えません。何者なんですか、貴女のご両親」


「あはははは……私にもわからなかった」


「で、どうするんです? 今度は五階だし、もう逃げられませんよ」


 ルパンは大きな窓に半身を出して伸びている女に向かって呼びかけた。


「わからないよ。飛び出せばイチかバチか弊社へいしゃに移れるかも」


 窓の外には隣の物件のコンクリート壁がのっぺりと広がっている。

 ルパンは呆れた様子で頭を掻いた。


「スパイダーマンじゃないんだから……。あと、仕掛けた装置も全部俺の同僚が解体したんで。もう終わりですよ」


「あーあ。クソ弊社が燃えるとこ見たかったのに」


「高校のように?」


 ルパンは努めて平静を装っていたが、それはとても難しいことだった。


「うん」


「でも今度は昼間じゃなくて夜なんですね」


「まあ、普通はそっちの方がやり易いよね。犠牲者も少なく済むし」


 彼は眉をひそめる。


「ならどうしてあの時はそうしなかったんですか?」


「あーそれはね」


 シリは静かに起き上がると振り向き、ルパンを見た。


「パパとママがそうしなさいと言ったから」


 化け物の娘は、鋭い眼差しと赤い頬が印象的な、くたびれた中年だった。

 二人は見つめ合い、ドアのわずかな光源で作られる陰影から表情を読み取ろうとした。

 暫時ざんじの後、張り詰めた空気を切り裂いたのはルパンの一声。


「あの火事の犠牲者のことは?」


「アドバイス通り、悪いことした相手の顔は知らないようにしてきたから」


 予想通りの答えだった。


「あの火事で死んだのは生徒が男女一名ずつ。あいつらはクラスも部活も違ったが、あの頃俺をノボルと名前で呼んでくれた、たった二人の……」


 ルパンは一度口をつぐみ、ポッケの中の拳を握りしめてから口を開いた。


「貴女に会う為に今日まで生きてきました」


「はは、恥ずかし」


 シリはわざとらしくはしゃいでいるが、ルパンは警戒を怠らない。彼女は国外で犯罪やテロ活動に従事していた報告がある。大柄なダウンの中に武装している可能性は高い。

 会議室は狭いが机と椅子が端に寄せられ、二人をさえぎるものはない。

 先に動いたのはシリ。一歩足を踏み出し、同時に懐に手を入れた。


「ルパン。私のこと、捕まえるの?」


 彼もポッケに手を突っ込んだまま肩をいからせるが、実は武器は持ってない。監視がバレてシリが犯行を早めた結果、人員も備品も足りなかったのだ。この再会はルパンにとっては天命だったが、あまりにも不利だった。


「もう銃は抜いたよ。フルオート、しかもジャケットの中で構えてる」


「こっちもです。応援だってすぐ来ますよ」


 来ない、呼んでないから。ここにいることさえ伝わってない。


「じゃあ早く終わらせないと」


 にや、とシリの唇がたわんだ。


 ルパンは焦りながら思考をまとめる。

 いったん退がろう。窓から逃げることはできないのだから、とりあえずこの部屋に閉じ込められればいい。ここを生き延びれば長期戦になるが、負けは無い。


 彼が全身に脂汗をにじませてシリの動向をうかがっていると、彼女は悠然ゆうぜんと口を開く。


「せっかくだし、しりとりで決着つけよ? しりとり」


 こういうやつだった。

 ルパンはがっくりと肩を落とした。

 吸い込んだ息をゆっくり吐きだし、次に真顔になってシリを見た。


「理解できません。やっぱり親子揃って頭がおかしいんですか?」


「かなり差別発言だし、私はまともなんだけど」


 不愉快そうに鼻を鳴らし、彼女は一歩距離を詰める。


「どこが? またいじめられてたんだろうけど、手癖で会社燃やそうとするなんて正気じゃないでしょ」


 ルパンも前進しながら彼女をあおった。


「しょうがなかった。閉じ込められて出られないのなら環境を変えるしかない」


「いややり方ってものがあるでしょ。辞めるなり転校すればよかったんだ」


「だから仕方なかったの。やるしかない、パパとママに言われたんじゃ」


 二人の距離はじりじりと縮まっていく。

 お互いの表情がよく見えるようになっていく。

 どちらも怒りに染まっていた。


「じゃあ無関係の人間が死んだことは? 自分は悪くないとでも?」


「もっと大切なことがあるからよ。生きていくためには、時に善悪を越えた決断していかなければならないの、本物の人間ならば」


「馬鹿げてる。しかも全部狂ったご両親からの受け売りでしょう? だから貴女も狂っているんですよ」


 ルパンはバッサリと切り捨てた。


「よくそんな偉そうなこと言えるね。自分もイカれた泥棒のくせに!」


 彼女は声を荒らげ、ルパンに刺すような視線を向けるが、彼は取り合わない。


「睨まないでくださいよ。他人の罪を責めても、別に貴女の罪が軽くなったり楽になったりなんてしませんから」


職業柄おかしな理屈で正当化する人間を山ほど見てきたが、自分自身もそうなので取り合わないことが一番早いと知っていた。

 だから、このやり取りに意味が無いことも彼は知っていた。


「楽になりたいなんて思ってない! 私たちが間違っていないという話をしているの!!」


「乗りませんよその話には。貴女がどう思って何をするかは勝手ですが、したことの是非を決めるのは他の人間で、貴女たち一家は指名手配犯なんで」


「でも!」


 シリは興奮して、空いてる方の拳を振るう。


「でも、私たち家族は本当に一つになれたの、学校を燃やしたお陰で!」


「でも、一人でこの国に帰ってきた」


 矢で射られたかのようにシリの動きが固まった。

 二人の間はもう二メートルもない。


「たくさんのことがあったの。君には想像もつかないだろうけど……」


「どうでもいいけど、これから取調べで全部聞くから。早く投降しなさい」


 うろたえるシリに対してルパンは一歩ずつ歩み寄る。


「行くところ行くところ、私の居場所は無かった。怯えるか耐えるか、そのどっちかだけ。結局どこもあの学校と変わらない」


「言うに事欠いて泣き言って……。状況わかってます? お前これから逮捕されるんだよ、逮捕!」


 ルパンは苛立ちを隠さずに声を張り上げた。


「本当はずっと言いたかった。でも怖くて、言葉にはならなくて!」


 シリもまた叫ぶ。

 もう二人とも手が届く距離にいる。それでも騒がずにはいられなかった。


「典型的なマヌケだよお前は! 臆病で意思が無くて、どうしてほしいかさえわからないほど無能。だから誰かに手を差し伸べてもらうのを待つしかない。だから邪悪な者に目をつけられたんだ!」


「誰も他に私を見てくれなかったの! こんなに追い詰められているのにどこにも行かせてくれない!」


「いじめる奴もお前の両親も、お前が招いた当然の結果だ。お前はどこに行ったって一緒だ、遊覧船のようにグルグル同じコースを進むだけ。お前は本当は死にたいだけなんだから。でも無能だからそれもできない。お前の居場所? 教えてやるよ、刑務所か精神病院だ!」


「誰でも、何でもよかったのに!」


「逃げても今までと同じだ! 何年かけてもお前の尻にかじりつくからな!」


「何度も心の中では叫んでいたの『助けてほしい』って。誰でも、貴方でもよかったのよ?」


「よくも俺の友達を殺しやがったな!」


「何度も、助けてって、」


「テメェを地獄に叩き落してやる!」


「ルパン!」


 吐息がかかるような距離で、二人の中年は黙り込んだ。

 しかし、すぐにどちらかともなく吹き出す。


「ふっ」


「あははは!」


 二人とも大ウケで、手を叩いて大笑いする。


「あーくだらな」


 シリの手には何も握られていない。

 目元に沸いた涙を拭い、彼女は言った。


「負けちゃいました」


「十一時五十七分、現行犯逮捕」


 ルパンは腕時計を確認しながら宣言した。

 刑事が顔を上げると、容疑者は神妙な表情をしている。


「私も、今日の為にあの穴を吹き飛ばした気がしてましたよ」


「うん」


 武装と抵抗の意思が無いことを確認して、彼は部下に連絡し車を回してもらう。

 少し時間ができたので、彼は気になっていたことを聞いてみることにした。


「そう言えば、結局なんであの中途半端な穴にめり込んでたんですか?」


「あの穴以外から出てはいけないと言われていたからです。どこにも繋がってないと知ったのは入った時でしたよ」


「なんでそんな命令を?」


「愛してるから」


 シリは大きく息を吐いた。


「『それはお前を愛してるからだよ』って。『高校を燃やしてあの穴を出られれば、お前は善悪の彼岸ひがんを越え、私たちとを生きられるようになるから、だからあれは愛だったんだよ』って」


「キチってますね」


「はい」


 彼女は素直に肯定した。


「行きましょうか」


 もう聞きたいこともないので先に一階に降りようとルパンは思った。

 彼女はルパンの指示に従いかけたが、ドアの敷居を越える寸前で立ち止まり、振り向いてルパンに聞く。


「でも、どうです?」


 その目は彼ではなく窓の方に向けられていた。


「もう私のお尻を追う必要も無いんですし、今度こそ」


 彼が窓を見ると、外は全面結氷した諏訪湖のどこかだった。

 強い風が吹いて肩が冷える。

 晴天は洗い晒したように色あせ、鉛じみた氷の果てでは山々が寂れた街をかき抱いている。何のことはない真冬の昼だ。


 そして、二人。


 手をつなぎ、広大な湖面を歩いて渡ろうとする者たちがいる。

 それは初めルパンとシリで、次にろくでもない自分のや、見たこともないシリの両親になり、最後に亡くした友人らに見えた時、彼は苦笑して前を向いた。


「凍ってても臭えんだな、あのドブ沼」


 それを聞いてシリは満足げに頷き、微笑む。


「ありがとう」


 そして、二人は部屋を出て、ドアを閉めた。




おしり



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壁尻・ザ・ファイヤー しのびかに黒髪の子の泣く音きこゆる @hailingwang

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