(2)「僕の名前を訊くんだ?」

 村を囲む森に入ってしばらく歩くと、小さな川がある。

 川に沿って上流に進む。キットに案内されるまま、イズキも黙々と足を動かしている。

 キットの背中を追うイズキには、既に向かう場所の検討がついていた。

 足下に咲く黄色い花にも、曲がりくねった細い木にも見覚えがある。ここは、の続きだ。


 キットが花を摘みに行くまでに辿る道。


 数度大きな岩を通り過ぎたころに、キットが立ち止まった。振り返って、イズキと眼を合わせる。

 イズキがついてきていることだけを確認したかったようで、すぐに顔を前に戻す。足を踏み出す。

 予感とともにキットの背中を追えば、案の定、何かをくぐる感覚があった。

 広がった視界に、イズキが息をのむ。先ほどまで炎の白が焼きついていた視界に、鮮やかな色が広がった。


 花が、


 花が、咲いている。

 赤に、青に、黄色に、葉の緑。川の流れを追いかけるように、岸に花畑が続いていた。

 長く、長く。上流に向かって、水と花の川が伸びている。

「花? 真冬にどうやって、」

 問う途中で、気づいた。結界を抜ける前までは感じていたはずの、肌を切るような冷たさがなくなっている。

 ふと川を見れば、水面からは白い何かが漂っていた。気になって近寄りかけ、足を止める。

 花を気遣ったイズキに気づいたのか、かけられた声は心なしか常よりも穏やかだった。

「近くに湯が湧いてるんだ。熱を利用してここらの気温を調整してやれば、一年中でも花が育つ」

「なるほど……」

 納得して、イズキはしゃがみ込んだ。すらりと茎の伸びた白い花をつつく。

「綺麗だな」

 こぼれ落ちた賞賛は素直な気持ちで、背中で僅かにキットが身じろいだ気配がした。

 腕を引かれて、立ち上がる。そのまま下がらされて、イズキはキットに問う視線を投げた。

 見上げた横顔は、穏やかだった。

 穏やかで、静かで、――何もない、表情だ。イズキは自分の腕を掴む相手の腕を逆の手で掴んだ。

「なんだよ、イズキ」

「燃やす気か?」

 台詞に半ば被せるような言葉に、キットからの答えはなかった。答えがないのが答えだった。

「この花たちを燃やす気か」

「俺の魔力で咲いてたんだ。……村の連中が、喜んで買ってたからな」

 声の響きがひどく投げやりに聞こえて、キットの腕を掴む手に力をこめる。

「犬にも鳥にも荒らされない。残しておいて良いんじゃねえか」

「どっちにしろ、俺の魔力の供給がなくなれば枯れる」

「それでも!」

 キットの正面に回り込んで、イズキはキットをにらみ上げた。


「枯れるのと燃やすのは、違うだろ」


 何も知らないだろうと、突き放されるかと思った。勝手なことを言うなと、突き放されるかと。

 キットは、――ついと、イズキから視線を逸らした。

 イズキの背後、花畑に眼を向けているのだろう。迷うように彷徨って、それから。

 諦めたように嘆息したキットに、イズキはほうと安堵したのだった。


 キットが花の近くに寄って、手を伸ばす。一輪に手を伸ばす。

 青い花。見覚えがある気がして瞬いて、思い出す。

 最初に見たときに抱えていた花だ、と気づいた。

「……いや、」

 摘み取るかに思えた寸前、キットは手を動かして別の花を摘み取った。青い花と同じ種類の、白い花。

「こっちだな、やっぱり」

「キット?」

 呼びかけには答えず、手を振るう。次の瞬間には、キットの手には長い得物が握られていた。

 見慣れた形状。日本刀だ、とすぐに気づいた。

 白い、白い、鞘と柄。刃まで白いのだろうと、根拠もなく直感する。

 いつの間にか、キットの姿は大人から子どもの姿に戻っていた。日本刀を作ったことで、最後の魔力を使い切ったのだろう。

「あげるよ。あの青い日本刀ほどの性能はないだろうけど、しばらくは凌げるでしょう」

 思わずというように受け取ったイズキを見上げて、にやりと笑う。

「次はもっとしっかりしたのを作ってあげる」

「……次なんてねえだろ」

 反論は、自分でも判るほど不確かなものだった。

 気が済んだのか、キットが花畑から身を翻す。自然、イズキも横に並んだ。

 ちらりと、視線だけで振り返る。

 赤に、青に、黄色に、葉の緑。川の流れを追いかけるように、岸に花畑が続いている。

 キットの加護を失った花は、数日としないうちに枯れるだろう。

 それでも、燃えないままいまこの瞬間、咲いている。そのことに意味はあるはずだった。


 たとえイズキの自己満足でしかなくとも。


 イズキは言葉もなく、身長が逆転したキットを見下ろした。まろい頬に、長い年月を過ごした瞳。

 なぜこの瞳を見て幼い子どもだなどと思ったのだろう、といまとなっては不思議に思うばかりだ。

 ふと、思い出した。横顔に問いかける。

「そういえば俺、お前の名前知らねーんだけど」

「……ふうん?」

 くるりと子どもの顔がイズキを見て、興味深そうに眉を上げる。キットの表情から、イズキは己の失態を悟った。

 そうだ、簡単なことを忘れていた。吸血鬼にとって、名前とは。

?」

「間違えた、忘れろ!」

 遮ろうと手を伸ばすイズキの腕をかわして、キットは笑った。

「僕の名前は、クリストファー」

 キットは、告げる。

 吸血鬼にとって、相手への宣戦布告か親愛を示すときにのみ使う名を。名乗って、キットは満足げに牙を見せた。


「クリストファー・マイカだ。よろしく、イズキ・ローウェル」

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雷の狩人と白の吸血鬼 ~討伐に行った先で吸血鬼に口説かれています~(#いか狩) 伽藍 @garanran @garanran

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