第32話前言撤回
春のような陽気に包まれた世界が広がっていた。大きな浮島の上にでもいるのだろうか。空がとても近く、飛んでいるかのような気分になれた。
シュゼが出口の座標を書き換えてくれていたおかげで、スフレの家の目の前に出るはずなのだが……
「え……? スフレん家でっか!」
とてつもなく大きな木に、吞まれるようにそびえている大きな城。
それがスフレの家だと言う。
「こんなでかい城に住んでいたのか、あいつ」
今更憎たらしく思えてきた。確かにお嬢様とも聞いてはいたが、メルヘンを通り越している。
なんて贅沢な暮らし――っかと、頭を掻き、意味もなく悔しがる。
「そんなことはどうでもいいや」
ここに来た理由を思い出し、さっそく入り口を探す。
断崖絶壁や人では越えられそうにない段差に阻まれる。
「仕方ないこれを使ってみるか」
独り言と相談し、ポケットから取り出したるは、シュゼから貰った魔道具の数々だ。
大きく目立つものは、今羽織っている黒いマント。フードを被れば、顔を覗き見られない限り、人間だとばれないうえ、見た人の記憶から即座に消える。潜入には持ってこいの代物。
次に座標登録のされている、転移魔法。スフレを救った後、これを使えばシュゼのところまで帰れるらしい。
もう一つは見たところに転移できるもので、テレポートのような使い方が出来そうだ。あとはいろいろ、お守りやら小袋やら、実家から下宿に帰る時のように持たされた。
「今使えそうなのはこれだな」
そういい、転移魔法の術式を含んだ宝石を手に取る。
「あそこらへんがいいかな」
目星をつけ、宝石をぐっと握りしめる。
――パリンッと割れたかと思えば、先ほどまで見つめていた場所に居た。
「一回しか使えないのか……」
残念がるが、残りの数をみて慎重に消費していきたい。
「よし、行くか」
小窓を開け、静かに城へと潜入する。
召使や執事と思しき数名が、慌てる様子もなく行き交っているのが見える。
どうやら、気付かれずに潜入は成功したみたいだ。
潜入できたものはいいものの、道行く執事にスフレはどこですか? なんて聞けるわけない。あまり派手に動きすぎると、目立ってシュゼの魔道具の効果が薄れてしまう。
どうにかこうにか、人気のない廊下を通り、スフレの家を探索する。
――パイプオルガンの音が聞こえてきた。
この曲はたしか……ショパンのノクターンだったか。
自信はない。だが、確かに聞き覚えのある曲だった。
その音の根源に向かい走る。きっとそこにスフレがいる。
たった今。魔法にかけられているスフレがきっといるはずだ。
Ж Ж Ж
姉は私の修行の記憶をすべて奪うつもりみたいだ。
今までの三人でいた記憶が、全て消えてしまうのだ。
抗っていいはずだよね。奪われるなんて可笑しい話だよね。
私だけのものなのに。
「いい加減にしてよ! どうして、私の記憶を奪っちゃうの!」
「どうしてって、あなたは何も分かっていないのね」
「何も分かっていないのは、お姉ちゃんじゃない!」
抗うことはおかしなことじゃない! 私がここに居る理由でもあり、あそこに居たい理由。
「お姉ちゃんは修行で何をやってきたの、何を貰ったの!」
ともきから貰ったこの気持ちはきっと、私だけのモノ。
「みんなでいるのが好きなの! 三人でいるのが、特別なの! 奪わないでよ!」
叫び続けた。
「修行って人としても成長するためにあるんじゃないの!」
「そんなの、天界に帰ってからでは必要なくなるわ」
「わからずや! お姉ちゃんは主さんから何も貰えなかったの? 何も教えてくれなかったの?」
「…………」
「わたしはいっぱいもらったよ。沢山もらえたよ。返しきれないくらいの事を教えてもらったよ…………いっぱい……沢山の感謝を貰ったんだよ。……それでも、それでも、お姉ちゃんはこの修行に意味がなかったって言うの? ともきから貰った気持ちに意味がないって言うの?」
聞きやがれ叫びを! 心をきけ!
私にだってあるんだ、心が。天使である以前に、人としての心がちゃんとあるんだ。
ほかの誰でもない、心がここにあるのだ。私の心だ。
「わ、わたしは……わたしは、あそこに居たいの!」
「スフレ……」
「今更帰って来いなんて言わないで! あそこが私にとっての家なの! 帰る場所なの!」
「スフレ……あなたもしかして」
ぼそりと呟く姉の表情は、家族を見る目ではなかった。
「スフレ、今の気持ちは何なのか、自分でもはっきりしているかしら?」
他人に向ける視線であった。
「その気持ちがあなた自身から芽生えたものなら、きっとつらいことになるわ」
勘当されちゃったかな。
「いずれ解るわ、あなたが子供だってことに」
姉の顔を見たくなかった。
「そして、あなたの主もろとも傷つくことになるわ」
きっと後悔したのかな。同じ過ちを踏んで欲しくないのかな。
「それが、わかるときまで、精々自分の使命と天使たる自覚を忘れない事ね」
負けちゃったよ。
やっぱり私、弱いよ。
ごめんね。ともき。帰れそうにないよ。
Ж Ж Ж
「この部屋だ」
中からは確かにノクターン第二十番「遺作」が聞こえてきていた。
「ここにいる」
――扉を力強く開いた。
それと同時に、演奏が止まった。
「あ、あなたは……」
部屋の最奥にあるパイプオルガンに向かっていた女性から、驚きの視線を受けた。
「あ、あなたはなぜここにいるのです! どうやってここに」
「スフレを迎えに来たんだ」
フードを払い、ズカズカと神域を侵攻していく。
冷たい床の上に膝を抱える少女がいた。
頼む。忘れていないでくれ。
ここまで来て、もう記憶の改ざんは終わっていたなんて、笑えない。
「スフレ! 目ぇ覚ませ! お前はこんなちんけなことで逃げ出すような、弱っちい奴だったのか?」今まで散々口喧嘩してきて、募りに積もった文句をすべて吐く気で言う。
「こんな自分の事しか頭にない、頑固で気の利かない姉に従ってて、そのままでいいのか」
「っな――」
「お前はもっとわがままで、自分勝手で好きな事が第一優先だったろ」
頼む、何か言ってくれ。
「お前はただ笑顔をふりまくだけの八方美人だったのかよ」
「いい加減にしなさい、もう――」
「っく――アハハ、にゃはは」
この声には聴きなれていた。ああ、この声だ、この笑い声が好きだ。
「まったくっ、何しに来たのよ」
振り向いた顔には笑顔があった。涙がこぼれていた。
「さ、帰るぞ、家に」
膝をついていたスフレを抱えあげる。
「ちょ、ちょっと待ちなさい、こ、これは列記とした規約違反よ、それにあなたは人間でしょう、此処へ来れた訳を話してちょうだい」
女性――スフレの姉に向かって言う。
「生憎、地獄が満員だったんでな」
「は? じごく?」素っ頓狂なスフレ姉。
「それに、規約違反を働いたのはそちらの方だろ、修行中は天界へ帰ることは出来ないのだろう」
「そ、それは、あくまで原則での話であって、如何なる事象にもそぐわないことは大いにあり得ます」
そう言うだろうとも、そんな言い訳でここまで来て引き下がれるか。
「じゃあ、ここで大声で叫んでもいいのか? 常任委員会のお偉いお方が、自身の地位とキャリアのため、妹の失態を規約違反まで犯して、なかったことにしようとしたって」
「そ、それは……私の為ではなく、その子の為でもあるのです。修行で高評価を得られれば未来は広がり――」
「まだほざくか、てめえの地位が危ういだ? 知るかそんなの、くだらねぇ! いいかよく聞け! スフレは俺の心なんだよ(天使とは人の心の善の部分だから)俺の天使なんだよ(俺の心がスフレを生み出したから)それすらも分かってないあんたは、もう一度修行からやり直せ!」
物怖じし、引き下がる。
スフレを掴み、去る。
「あ、あなたは……スフレの未来をどうするおつもりなの?」
それ以外何も言わなかった。部屋を去る。だが、心の中ではしっかり答えた。
『スフレの未来をどうするつもりか』単純明白、もう切っても切れそうにないところまで来てしまったのだ、こうなれば本当に地獄の底だろうが傍に居てやる。
スフレをぎゅっと抱きかかえ、転移魔法を使った――。
Ж Ж Ж
真っ白い駅のホーム。ここまで来られた。きっと、人間のまま。
シュゼを探しながら、スフレと二人きりで話す。
「ともき……あのね……わだし、けっきょく、ひどりでなんにもでぎながった」
うん……。
「さいごのさいごまで、どもきをしんじであげられながった」
うん……。
「わたし……わだし……」
言葉になりにくくとも伝えようとしてくる。伝わると信じて訴えてくる。
「わだし……やっぱり、あなたの傍に居たい」「隣にいたい」
「おれも」
前言撤回。地獄の底なんてきざなセリフなんかじゃなくて、こいつと一緒にずっと一緒に平和に暮らしたい。ただの日常を送りたい。
スフレのすべてを抱きしめて受け入れた。何もかも全部。
シュゼが来ていた。
「終わったんですね……」
スフレはシュゼに飛びつく。
「しゅぅぅぜぇええ、ごべんねぇええ」
初めてシュゼが家に来た時も、似たようなことがあった気がする。
スフレは頭を撫でられ、あやされている。
「じゃ、帰ろうか」
人間界に通ずる道のりを歩いていく。
シュゼは後ろの方でスフレの懺悔を聴いていた。
「――あぁと」
忘れ物をしてしまった。ここに置いておかなければいけない忘れ物を。
「あ、ありがとなスフレ。いままで、その……飯とか作ってくれて、ぶっちゃけ俺、お前の居ない世界に戻れそうにないわ、だから、その……こ、これからもよろしく」
そうして、手を差し伸べる――が。
「わたしもぉ、ありがとぅ!」
スフレにいきなり飛びつかれ、体制を崩しそうになり、抱きかかえる。
嬉しさ半分、涙半分な顔があった。
ようやくすべてが日常になった――。
Ж Ж Ж
あの事件から一週間ほどが過ぎた。またいつもの日常を送っている。
この狭いワンルームに三人でいる。
スフレは先のことを反省して、少しはましに天使らしくやっているかと思われるが、そんなことはなく。相変わらず、自堕落でわがままで、自分勝手で、気まぐれで。
そんなあいつに対して、不満などを抱いていると、また良からぬことを考え出し、俺たちを混沌に巻き込んでいく。わがままに付き合わされ、きっと修行だの試練だの言い、厄介なことを引き攣れてくる。これがこの先も続いていくのだ。こいつといる限り。
ただ、俺はこっちの世界を選んでしまった。危険を冒してまでも、こっちを選んでしまった。
俺は、この代償の本質にまだ気づいていないだろう。
でも、それはまた乗り越えればいい。三人ならきっと大丈夫だ。
すると、家のインターホンが鳴った。
宅配便らしく、スフレを睨みつける。
「お前、また何か買ったのか?」
わざとらしいくらいそっぽを向き、誤魔化す。
段ボールが三つ、玄関に置かれた。
「何を買ったんだ」
「えぇ……と、お、お洋服とボードゲームを……」
どうしてやろうか、この堕天使。むくむくと怒りがこみあげてくる。
「あれほど、通販では服は買うなって言っただろ。どうせ、今回もサイズが合わなかったり、素材が気に入らないとかで、すぐ着なくなるぞ」
「そ、それくらい私の目利きに掛かれば、問題なくいけますからぁ」
こいつ、全然反省してやがらねぇ。
前言撤回、この貧乏神が――。
(終わり)
幸せにありがとう 小雪杏 @koyuki-anzu
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