第31話白と忘却
――と。
遠くに慌てた表情で俺を探しているシュゼが見えた。
酷く焦っていた。胸元のペンダントを握りしめ、
シュゼに駆け寄り、事情を聴く。
「どうした、そんなに慌てて」
「――うぇえっ、ヒック――ス、スフレちゃんが連れていかれちゃった」
胸に飛び込み、泣きながらそう訴えた。
「つ、連れていかれたってどこに?」
びりびりと焦燥感が襲う。スフレが二人の前から消えた。
「て、天界に連れ戻されちゃったんです」
「天界に連れ戻されたって、修行中に帰ることは出来ないんだろ?」
「わがりませぇんん」
どうしたらいい? どういうことだ。 何が起こって、何をどうしたらいい。
焦りしかなかった。嫌だった。このまま何も言わないで離れてしまうのが。
「とりあえず落ち着こう、お互いに」
ベンチに座り、その時の詳しい状況を聴く。
「なるほど、全くわからん」
説明されたことが摩訶不思議どころか、奇々怪々すぎてさっぱり糸口を掴めずにいた。
「シュゼはどう考える?」
「お、おそらくですけど、スフレちゃんのお姉さんが原因だと思います。人間界から天界に連れ戻すなど、並大抵の事じゃありません。大きな設備も必要ですし、何より、連れ戻したことが悟られないようにするには、高度な技術が必要です。それらが可能で且つ、スフレちゃんを連れ戻すことに意味があるとするなら、お姉さんしかいないかと」
「なるほどな……でもなんで?」
「スフレちゃんのお姉さんは、天界と魔界の両協議会に融通が利くほど著名で、更に若くして常任委員会に選ばれた実力派です。なので今回のスフレちゃんの修行の経緯が芳しくないと、自身のキャリアや地位に傷がつくと考えたのではないでしょうか」
「なんて自分勝手な天使だこと」
「もしかしたら……もう、スフレちゃんには会えないかもしれません」
「――え」
今なんて。なんて……言ったんだ。
「そ、それって……」
「おそらくですけど、スフレちゃんは記憶を消されるか、書き換えられるかと思います」
「そ、そうしたらまた初めましてからになる……のか?」
「いえ、きっと別の主の下に送られるでしょう。あの方ならやりかねません」
「そんなこと……」
あまりに衝撃なため、理解が追い付かない。吐く息が出てこない。
「も、もし、そうだとしたら……俺らの記憶はどうなるんだ?」
「はい、天使というものは、人の心の善の部分より作りだされます。なので、スフレちゃんの記憶が消されると同時に、ともきさんの記憶からも徐々にですけど、消えていくでしょう」
「そんな……」
初めましてどころじゃなく、全てなかったことにされるだと……。
「どうにかすることは出来ないのか?」
「ど、どうにかって……言われましても……私にはそんな力……」
「何とかできないのか!」
シュゼの正面に立つ。俯く少女がいる。
「……できなくはないです……ただ、ものすごく危険です。……しぬかもしれません。身体が無くなるかもしれません。人間で、いられなくなるかもしれません。それでも! ……それでもスフレちゃんの為にいくのですか……たすけに……いくのですか?」
口ごもっていく、少女は俯いている。
「ああ! 決めた! 助けに行く」
立ち上がる、スフレのために。
助けてやる。俺が。三人揃って主人公ってことを証明してやる。
「そうですか……」微かに微笑む少女は優しげで、僅かに何かを失った。
「ここで転移することはできませんので、ひとまず家に帰りましょう」
電車に揺られる。扉付近のつり革にて、帰路についていた。二人で。
行の時よりもさらに込み合っている車内では、終わりに向かう休日に淀んでいた。
胸に顔を埋めるシュゼ。離れないように身を寄せていた。
暗い夜道を抜け、帰宅する。朝から何も食べていなかったので先に食事を済まそうと提案した。――コンビニ弁当。スフレが来てからは、一度も口にすることはなかった。
黙々と食べ進める。沈黙がやけに息苦しく、何度ものどに詰まらせそうになり、そのたびにコップの水を煽った。
スフレが来る前は、テーブルに座って食べるなんて習慣なかった。あいつが来てからすべてが変わった。壁に架けられた赤いエプロン、スフレが揃えた食器や調理器具。ガラクタの山。全てがスフレに関連するものだった。
ずっと昔から囚われていたのだ。あの天使に。
「よし! 助けに行くぞ」
立ち上がり、勇気を踏みしめる。
「はい、 行きましょう」
俺の手を握り、部屋の真ん中付近で呪文を唱える。
「まず、人間界と向こうの世界の狭間に行きます。そこで身支度を済ましてから、天界にお送りしますね」
そう言い、目を閉じた。
つられて目を閉じる。
Ж Ж Ж
真っ白な空間に居た。床には陣が張られており、貼り付けられるように、縛られていた。
「スフレ。もういい加減諦めなさい」
そう言う声は、姉だった。実の姉にそう言われた。
「お姉ちゃんに何が分かるの……」
沈黙を貫きたかったが、思ったことをすぐに口に出してしまう。私の悪い癖だ。
膝を抱えるしかなかった。きっと、諦めるしかないのは事実だ。
望み薄なのは分かっていた。きっと、助けられるなんて思っても、来ないだろう。
来れるはずないだろう。
「ひどい事しちゃったのかな……」
後悔だけが先立つ。
不安が取り巻く。
「もう、信じてなんて貰えないよね……」
子供のように泣きじゃくりたかった。
泣いて泣いて、あの人を困らせても泣きじゃくってやりたかった。
毎日喧嘩して、毎日怒られて、それでも、毎日が楽しかった。
シュゼが来てからはもっと楽しかった。
三人でいるのが本当の家族みたいで、好きだった。
ある試練のおかげで、三人でいる素晴らしさを実感した。
「でも、帰れないよ……なんて顔して合えばいいの……」
ひどい事をした。親友にもひどいことを言ってしまった。
天使のくせに弱い心でごめんね。
もっと傍に居たい。
握りしめていた手には、小銭入れがあった。
「貰ってばっかで、返すこともできてない……何もかも貰ってばっかりだ」
「いいスフレ。あなたがここに連れてこられた意味は、分かっているわよね」
堅い口調だ。怒っている。
姉の才能は小さいころから歴然としていた。魔術においても魔法においても、勉学、教養、お稽古、何をとっても姉妹の間でも、学園内においても右に出る者はいなかった。
そんな姉が変わったのは、修行を終え、常任委員会に選ばれた時だった。
優しかった姉の姿はなかった。
委員会に選出されたことによる緊張から、私や妹への態度が厳しくなった。
あまつさえ、姉が修行を行っていた人間界を、私は憎んでしまった。
姉のことを嫌いになったのはその時からだ。
「あなたには失望したわ。どうしてこんな事になっちゃったの?」
それを聞かれても私には分からない。
「さっさと修行なんか終わらせて、家の為に尽くしなさいな」
修行を終える。当り前だ。始めて、終わりがあるのは。
そんな事実、初めから分かっていた。
それでも、もがきたかった。
分かってはいたけど、認めたくはなかった。
自分の中で、ないと決めつけていた。
これは、何かの報いなのかな。罰なのかな。
どうして、傍に居たいって気持ちがいけないのかな。
「あいまいに終わらせて、同情だけしていたのは……わたしじゃん。なにも分からないのも……わたしじゃん」
『心からの言葉をちゃんと言ってよ!』
過去に言った言葉が、今更になって自分に矛先を向けてくる。心を抉ってくる。
ただのヤキモチだって知ってる。
私だって言いたいんだ――ありがとうって。
「始めるわね」
陣が光り始めた。徐々に記憶が無くなっていくだろう。笑顔も思い出も、匂いも全部消えていくのだ。徐々に。じりじりと溶けて。ぽたぽたと垂れていくのだ。
Ж Ж Ж
白い空間に居た。駅のホームにも似たその場所は、人間界と向こうの世界を繋ぐ、架け橋のような役割を果たしている。
「あちらが、天界へ向かう通路です」
「シュゼはついてきてくれないのか?」
「私は……悪魔ですから、分断された現状では行けません」
少し寂しそうに言う。悲しそうに返してくる。
「そうか……ここからは一人か……」
深く息を吸い、お別れを言う。
「シュゼ。今までありがとな。俺たちを見守ってくれて。もし、帰ってこられたら、今度はシュゼの行きたいところに行こう……な!」
これがお別れの挨拶だと気づいたシュゼは、
「ぜ、ぜったい。ともきさんを人間のまま生きて返します! ぜったい。約束ですよ……」
震えていた。こぶしを握り何かを我慢していた。
「じゃ、行ってくる」
天界へ通じる道へ入る。これ以上は引き返せない。引き返すと、時空の狭間に取り残されてしまうらしい。振り返らずに進んでいく。
やってやる。スフレを助けに。我が家の忌々しい堕天使を。家族を迎えに。
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