第11話 蛍

 翌日に退院した後、私は山梨県のにらさきという街に出かけた。


 新宿駅から特急に乗り、甲府駅でぶちざわ行きの中央本線に乗り換える。間もなく、山間に少し開けた街が見えて、そこが韮崎だった。

 住所を頼りに「天野」という表札がかかった家に辿り着いて、呼び鈴を押すと、年配の女性が出てきた。

 私はその方を見たことがある。カッちゃんのお母様だった。

「光井瑠奈です」

 そう名乗ると、すべてを理解してくれたらしく、涙をこぼし、私を抱きしめてくれた。

 それから、お母様と二人で墓地に行った。


「天野家之墓」


 と書かれた墓石の側面には「天野克人」という名前も刻まれている。


 お墓を拭き掃除して、花を取り替え、お線香をあげた。

 目を閉じて、手を合わせる。


「カッちゃん……」


 心の中で呼びかけると、たくさんの思い出が甦った。

 桜の下でお弁当を食べ、笑い合ったこと、二人で浴衣を着て花火を見たこと、山小屋に泊まって星を見たこと、ホワイトクリスマスの街を手をつないで歩いたこと、ベッドで愛し合ったこと……。

 カッちゃんの笑顔、カッちゃんの照れた顔、カッちゃんの寝顔。

 たくましくて、頭が良くて、子どもみたいで、優しかった


 カッちゃん。


 涙がこぼれそうになるのを下唇を噛んでこらえる。


「さよなら」


 私が拝み終えると、お母様は、

「克人を許してやってね」

 と言った。

「許すだなんて……」

 カッちゃんに言いたいのは、お礼の言葉ばかりだった。

 彼のおかげで、十八歳から二十歳までの二年間、どれだけ幸せだったか。その思い出は、きっとこれからも、私を照らしてくれる。


   *


 その夜は、カッちゃんの実家に泊めていただくことになった。

 仏壇に置かれた遺影の中のカッちゃんは、私の見慣れた彼だったけれど、野球帽をかぶった腕白そうな少年や、生徒会長をつとめていたという中学生の写真は、私が見たことのないカッちゃんだった。

 高校時代に勉強していたという机は、当時のまま残されていた。


 夜、お風呂に入れていただいた後、私は外に出て、散歩をした。

 カッちゃんが子どもの頃に見ていた星空を見たかったからだ。


 お盆を少し過ぎた頃で、草は夜露に濡れている。

 闇に満ちる、鈴虫とカエルの声。

 星空を見上げながら、用水路沿いの道を歩いた。この用水路には蛍が生息しているらしい。

 サーッと涼しい風が吹いて、草がなびく。

 それから、前方に視線を戻したとき、私は自分の目を疑った。


「カッちゃん……」


 白いワイシャツ姿の彼が立っていた。


「どうして?」


「瑠奈にどうしても、お別れが言いたくてな」


「私もう、カッちゃんの幻覚は見ないと思ってた」

「俺は幻覚じゃない」


「じゃあ……」


「まあ、その、なんだ……」

 と言って、カッちゃんは照れくさそうに頭をかいた。


「俺はゴーストなんだ。幻覚の方が科学者としてまだ格好がついたんだが。瑠奈に会いたくて、出てきちまった」


「私に会うために?」

「ああ。どうしても、会いたかった」


 私は、カッちゃんの胸に顔を埋める。


「嬉しい」


 ゴーストって、こんなに温かいんだ。


「俺が怖くないのか?」

「怖いわけない」

「瑠奈」

「はい」

「愛してる」

「私も」


 それから、私たちは初めてのときのように、長く、丁寧なキスをした。

 カッちゃんは私の髪をなでて、もう一度強く抱きしめながら、耳元でささやいた。


「君らしく輝き続けろ」


「わかった」

 と私が頷くと、カッちゃんの姿はもう消えていた。


 そのかわり、美しい蛍が一つ、星空に向け飛んでいった。




   (蛍、または私のゴースト彼氏 終)

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蛍、または私のゴースト彼氏 月嶌ひろり @hirori_ai

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