第10話 二つの落下

「今日は、あなたに、つらい現実と向き合ってもらわなければなりません。と言っても、これでもう三回目なのですけれど……」

 そう言って、精神科医の先生が私の前に新聞を置いた。一年ちょっと前の新聞で、一つの記事が蛍光マーカーで囲ってある。

「ここを音読してもらえませんか」

「わかりました」

 私は、指定された記事を声に出して読み始めた。


  サンティアゴ発、カラマ空港行きの小型旅客機が、エンジントラブルにより墜落。乗っていた乗客員計150人が死亡。日本人乗客……


 そこまで読んだとき、私の電源がパチンと落ちたように、思考と心理が停止した。

「続けて」

 と先生に言われても、どうしても続きを読むことができない。

 かわりに先生が、一語一語はっきりと、私に聞かせるように読んだ。


  明海大学講師・天野克人さん(三二)の死亡も確認されている。


「天野克人さん。これは、あなたの彼氏ではありませんか?」

 思考を停止させたまま、私はそれでも、

「人違いだと思います」

 と答えた。

「同じ名前、同じ年齢、同じ所属でも?」

「はい」

 頭と心のスイッチを切っているのに、目からは涙が流れる。

 体が泣いているのだった。


「わかりました。今日はこれまでにしましょう。時間をかけて、ゆっくりと向き合っていけばいいんです」


 精神科医の先生は、穏やかな声で言った。


   *


 その夜、私は布団に入ってからも、なかなか寝つくことができなかった。

 隣では、カッちゃんが寝息を立てているのに。


「ねぇ、カッちゃん」

「どうした?」

 彼は眠そうな声をしながら、それでも目を開けて、私の手を握ってくれた。

「惑星って、恒星のまわりをぐるぐる回っているんだよね」

「ああ、そうだ」

「恒星がなくなったら、惑星はどうなるの?」

「そうだなぁ。遠心力で飛ばされて、宇宙空間を彷徨さまようことになるだろうな。それか、恒星の爆発に巻き込まれて、一緒に消滅するか」

「一緒に消滅する方が幸せだね」

「星に幸も不幸もあるか」


「カッちゃんがいなくなったら……」


 私の目から涙があふれた。


「カッちゃんがいなくなったら、私もそうやって、宇宙空間を彷徨うことになるんでしょ? 元いたところには二度と戻れないんでしょ?」


 カッちゃんは何も言わない。

 私はその体にしがみついて、子どものように泣いた。


「私だけ置いていかないで! 一緒に連れていって!」


「瑠奈……」

 カッちゃんは、私の背中をさすりながら、優しい声で言った。


「前にも言っただろ。恒星は俺じゃなくて、君だ」


   *


 数週間後、私は就活で訪れた企業で気を失い、階段から転げ落ちた。

 企業の方がすぐ救急車を呼んでくださり、私は搬送されたらしい。目が覚めると、病院のベッドの上にいた。


「気がついた?」

 ベッドの傍らに座っていたのは紗英だった。同じ企業の面接を受けていて、付き添ってくれたという。

「ここは?」

「東天堂病院。まだ寝てていいよ。先生は、疲れが溜まっていたんでしょうって」

「ありがとう」

「困ったときはお互い様だよ」

 と紗英は笑った。

「ねぇ、紗英」

「ん?」

「お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

「何でも言って」

「本当のことを教えて」

「うん」


「カッちゃんは、もういないんでしょ? 死んだんでしょ?」


 紗英は私から目を逸らし、しばらくの間、窓の外を見ていた。肩の震えで、泣いているのだと分かる。

 彼女はハンカチで涙を拭くと、振り向いて、私を抱きしめた。


「いるよ、ずっと。瑠奈の心の中に。……でも、もう前に進もう。彼のことを引きずり続けている瑠奈を見ているのは、私たちもつらいよ」


 私は紗英にしがみついて泣いた。

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