其ノ七

 ねずみーらんどから藤堂家に19時前に帰って来た俺達は、既に夕飯を食べてたこともあり、特に何をするでもなく居間でテレビを見ながらゴロゴロしていた。

 ウチの家は、俺が小学生の頃に父さんが退職金を会社から前借りし、残りを10年ローンで建てた木造二階建ての(一応)一軒家だ。

 とは言っても、1階がダイニングキッチンと居間とトイレ&洗面所(風呂はない)、2階が俺とカナの部屋(四畳半)がひとつずつに、物置にしてる3畳程の小部屋という、吹けば飛ぶようなちんまい家だけどな。

 築20年を超えるから、そろそろ色んなトコロにガタもきてるが、俺にとっては長年暮した思い出深い場所だし、家族の内ひとり生き残ったときも「帰る家がある」という事実が幾許かは心の支えになってくれた。

 また、当時まだ学生だった俺にとって、固定資産税はあるにせよ、アパートやマンションを借りて家賃を払うよりはリーズナブルという点で、懐にやさしかったのも非常に助かった。


 「む、もう八時か。兄者、そろそろ風呂に行くべきではないかのぅ?」

 身分を隠した殿様が素浪人を装って大江戸の悪を斬るドラマを、テレビの前にちょこんと正座して食い入るように観賞していた華名が、番組が終わったとたん、思い出したように話しかけてきた。

 「あぁ、そう言えばそうだな……って、一応念のため聞くけど、お前さん、銭湯の作法っつーか慣習とか、きちんと理解してるか?」

 「こらこら、馬鹿にするでない。これでも妾(わらわ)は、ふたつ前の生は江戸の生まれぞ。加奈子の知識に頼るまでもなく、湯屋の何たるかなぞ、よーく知っておるわ」

 なるへそ。江戸っ子と銭湯は切っても切れない仲だよな。


 てなワケで、洗面器に石鹸とタオルとシャンプーを入れた定番のスタイルで、俺と華名は連れ立って、家から歩いて3分ほどの場所にある銭湯へと向かった。

 「うーむ、この季節ゆえ、手拭いをマフラーにする必要がないのが残念じゃのぅ」

 「『神田川』かよ!?」

 て言うか、どうしてお前さんがソレを知ってる? カナどころか俺だって生まれてない頃の曲だぞ。

 「安心しろ。俺は基本的にカラスの行水だから、お前さんを待たせるような真似はしないから」

 「むしろ妾の方が待たせることになるじゃろうて。ま、ふるーつ牛乳でも飲みながら、ゆるりと待ちやれ」

 そう言い残して女湯の暖簾の向こうに消える華名。

 フルーツ牛乳て……いや、確かに好きだけどな、アレ。

 ちなみに、ここの銭湯は、「SPA」とか称する今風のソレとは180度方向性が違う、昔ながらの「お風呂屋さん」って感じの店で、そのレトロさを逆に俺は気に入ってる。


 男の入浴風景なんぞ描写しても楽しくないのでスッ飛ばすが、結局俺が風呂からあがって15分ほど経過したところで、ようやく華名がロビーに戻って来た。

 髪とお肌を磨き上げ、全身をほのかに桜色に上気させてご機嫌な少女の様子は、(中身の精神年齢さえ考えなければ)十二分に愛らしいと言えるのだが……。

 「うむうむ、やはり風呂は命の洗濯よのぅ」

 「……だから、どっからそういうセリフを覚えてくるんだよ」

 「?? お主がこれくしょんしておる「でーぶいでー」とやらは、加奈子も暇な時は普通に観ておるぞ?」

 な、何ィーーーッ!?

 いや、落ち着け、俺。

 確かに居間の棚のひとつには、俺が学生時代に買い漁ったアニメや特撮などのDVDがまとめてしまってあるし、とくにカナに観るのを禁止した覚えもない。まさか、カナが興味を持つとは思わなかったからだ。

 だだだ、大丈夫だよな? 18禁とかR-15とかのヤバげな代物は、自室のカギのかかる机の引き出しに保管してあるし。

 あぁ、でも、居間に置いてある分でも、結構萌え系に振れてるアニメはあったような……。

 ある日カナが、「お兄ちゃん、あたし、コスプレしたい!」なんて嬉し…もといケシカラン趣味をカミングアウトしてきたら?

 いや、それくらいならまだいい(て言うか、そうなったら俺はカナ専属のカメコになる!)が、男性キャラ名をバッテンでつなぐような同人誌に手を出したりしたら……。

 「ま、まさか……俺の義妹がそんな腐女子ディープなはずがない!」

 「こりゃ、落ち着かぬか!」ペシッ

 思わず錯乱しかけた俺の頭を、手にしたタオルでバフンと軽くはたく華名。

 「何を考えておるのか知らぬが安心せい。加奈子のヤツは、単に暇つぶしと興味本位で観ただけよ。兄者が心配するような“おたく”とやらには、なる心配は当面ないわえ」

 「そ、そうか……すまん、取り乱した」

 「構わん。それに加奈子がそうした動機のひとつは、「大好きなお兄ちゃんの趣味や嗜好を知りたかった」からじゃぞ。愛されておるのぅ」

 うりうりと肘で突っつくのはやめてください、華名さん。こそばゆいです。


 ともあれ、湯冷めするのもヤなので、俺達はそれから銭湯を出て家に帰った。

 居間の卓袱台に陣取り、俺が淹れた紅茶を並べてしばしの歓談の後、さて寝るかと立ち上がったところで、華名から待ったがかかった。

 「なにィ! 今夜も一緒に寝たいだと!?」

 ダメだダメだ。ホテルみたいに家の外なら、まだ「非日常なイベント」として納得できるが、自宅でソレは色々とマズ過ぎる──おもに俺の理性的な面で。

 「なにも一緒の布団でとは言わぬよ。この居間に布団を並べて寝る前に枕語りをしたいと思うただけじゃ」

 う、うーーん、それなら、一応は許容範囲内……か?

 「駄目、かのぅ……?」

 ええい、カナと同じ外見で上目づかい&涙目ウルウルはやめなさい。シスコンの俺にとってはガード不能過ぎる!

 「あ~、わかったわかった。ご先祖様孝行だと思ってつきあってやるよ!」

 「ホホホ、毎度済まぬのぅ、兄者」

 白旗をあげて降参する俺の頭を、華名が「いい子、いい子」と言わんばかりに撫でる。

 ……見た目はどうしたって年端もいかない少女(しかも妹)なのに、そんな仕草が妙に堂にいっているのが、なんだか奇妙な感じだった。


 それから、俺達は居間のちゃぶ台を片づけると、自室から持ち出した布団をほんの気持ちだけ間を空けて(俺が主張した)敷き、電灯を常夜灯だけにしてそれぞれの布団に入る。

 ねずみーらんどのこと、ご飯のこと、風呂屋でのこと、カナの日常、華名の過去などなど、とりとめないことをポツポツと語るうちに、お互いなんだかんだ言って疲れていたのか、いつの間にか眠りの世界に落ちてしまっていた。

 「──兄者、もう寝たのかえ?」

 かろうじて意識はあったのだが、もはや返事をすることさえ億劫だった。

 「そうか……おやすみ、兄者、よい夢を」

 だから、俺の耳には華名の最後の呟きは届かなかった。

 「……妾が就寝の挨拶をする機会は、これが最後じゃろうな」

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