其ノ八
「兄者、朝じゃぞ。起きよ」
日曜の朝にしてはエラく早い時間に俺はカナ、いや華名に叩き起こされた。
「シクシクシク……日曜の朝はできるだけ遅起きするのが俺の数少ない楽しみなのに……」
「一応、カナの知識としてはそれは知っておるが、こんな天気のいい日まで惰眠を貪るのは人として間違っておるぞ。ホレ、さっさと起きりゃ!」
この家のどこから見つけてきたのか、絣の着物の上に割烹着という絵に描いたような「お手伝いさん」スタイル(まぁ、外見年齢が13歳ってのがナンだが)の華名が、両手を腰に当てて呆れたように促す。
ふぅ、しゃーねぇか。
「うー、わかった……」
いかにも不承不承といった雰囲気を声音に乗せつつ、俺は布団の上に起き上がった。
「はぁ~、朝餉の支度はできておるでな。さっさと着替えて参られよ」
「あ、ちょっと待った」
溜息をつきながら台所に戻ろうとする、ちっちゃなご先祖様を俺は呼びとめた。
「?」
「おはよう、華名」
昨日の朝は、寝ぼけてたこともあって「カナ」のつもりで挨拶しちまったからな。
少なくとも俺自身が「ふたりが別人である」と認識している以上、こういうケジメはビシッとせねば。
「! う、うむ。お早うございますぢゃ、兄者」
発音のニュアンスで俺がカナではなく華名本人に呼びかけたことがわかったのだろう。
その名の如くパッと花が咲き開くような笑みを見せて、彼女は部屋を出て行った。
数分後、普段着に着替えてダイニングへと足を踏み入れた俺は、我が家では珍しいラインアップの朝食に鼻をひくつかせていた。
「おぉぅ!? 炊きたてご飯&味噌汁に、丸干しと漬物とは……日本の朝食だねぇ」
「この家の朝餉は「とーすと」と「すぅぷ」が多いようじゃが、兄者は和食も嫌いではなかろう?」
「まぁ、な」
実際、両親が存命中はコッチの方が朝の定番だったしな。
独りで暮らすようになってからは、米を炊く手間と洗い物の手間を厭って、パン食に切り替えただけだし。
カナを引き取ってからも、その習慣を変えなかったので、カナ本人は洋食が俺の基本スタイルと思ってるはずなんだが……。
「なんでわかった?」
「女の勘じゃ……と言いたいところじゃが、普段の夕餉における兄者の嗜好を見ておれば、何となく察しはつくわえ」
カナの目を通して、ということだろうから、カナ本人も気づいているのだろう。
そう言えば、確かに最近は和食系の夕飯が徐々に増えていたような気もするな。意外なところで妹の気遣いを知ることが出来たことは感謝すべきだろう。
「もっとも、今朝に限っては、
「俺のためにじゃないのかよ!? 感動台無しだよ!」
とツッコミつつも、どこか懐かしい味(これがお袋の味というヤツか)の味噌汁に、ちょっとだけ目頭が熱くなったのは、ココだけの秘密だ!
朝食が終わったあとの俺達は、いつもにもましてまったりとした休日を過ごした。
昼前までは、居間の縁側に盤を持ち出して将棋を指す──予想通りボロ負けしたが。ついでに言うと、リバーシや花札でも負け越した(あ、兄の威厳がぁ!)。
「冷蔵庫の食材があまりないぞえ」と言う華名に引っ張られて、近所の商店街に買い物に出かける。
元々カナは商店街では「けなげなお嬢ちゃん」として人気者なんだが、普段と違う着物ルック&言葉遣いは、「レトロ可愛い!」と妙にウケてた。
昼食は、朝の味噌汁の残りと稲荷寿司。華名の自慢の味付けだという油揚げは確かに絶品で、用意された10個をペロリと平らげちまった。
食休みの後、午後は裏の空き地でふたりでバトミントン。知識はともかく、実際にやるのは初めてだから、戸惑うかと思ったんだが……。
「なんでそんなに上手いんだよ!?」
「甘いぞ、兄者。道具の違いこそあれ、やってることは羽根つきとさして変わらぬ」
むぅ、そう言われればその通りか。いや、それを考慮しても中学一年生女子と、いい歳した成人男子が互角って……。
「まぁ、身体の使い方じゃな。とくに兄者は普段運動不足でもあるし……そろそろ老化が始まる歳じゃから、気をつけたほうがよいぞえ?」
──ロリババァにロートル扱いされたのは、流石に凹んだ。明日からジョギングとかするかなぁ。
で、用具を片づけてからは、ふたりで近所を散歩する。どこか目的があるワケでもなく、ふたり手を繋いで、ほんっとーにのんびりブラブラ歩くだけ。
「一昨日の大風で桜の大半が散ってしまっておるのが残念じゃのぅ」
堤防に植えられた桜の木を見ながら、そんなことを言う華名。
「そう言う割には、さほど残念そうには見えないんだが」
「そうか? フフ……そうかしれぬ。たとえ花がなくとも、妾の隣りには兄者がおるでな」
! また、そういう恥ずかしいコトを臆面もなく……。
このあたりの遠慮の無さが、カナとの一番の違いだろうな。
俺としては、カナの奥ゆかしい性格は好ましいものと受け止めているんだが、華名の率直さも決して嫌いではない。
「──光栄だね、と言っておこうか」
「ククク、兄者、顔が赤いぞ?」
ほっとけ! こういう意地の悪さを見ると、相手が海千山千の女傑であると改めて理解するな。
──少しずつ、少しずつ、砂時計の砂が落ちるように、「残り時間」が減っていく。
それでも俺達は、そのことには触れず、「なんでもない日常」を過ごす。
たぶん、ソレこそが「華名」の願いだから。
日が暮れる頃、家に帰った俺達は、ふたりで協力して夕飯の寄せ鍋の用意をした。
ネギや白菜、えのきといった定番の野菜類はもちろん、魚屋で勧められたサワラの切り身とイワシのつみれ、それに肉屋で安かったおでん用牛筋、そしてふたりで大騒ぎしながら作った手作り餃子も入れる。
どちらが鍋奉行をやるかでひと悶着あったりもしたが、それでも楽しく鍋をつつく。
食後は、昨日と同じく近くの銭湯「蘇麗湯」へ。
「何度見ても、ココのネーミングセンスには脱帽するぜ、色んな意味で」
「ふむ、兄者よ、「それいゆ」とはどういう意味かの?」
「えーと、確かフランス語で「太陽」とか「向日葵」だったような気が……」
「おお、なるほど。それで風呂場の壁にひまわりの絵を描いておるのか」
「あ、女湯はソッチなのか。男湯の方は昇る旭日がデカデカと描いてあるぜ」
「両方の意味と、字で「麗しきが蘇る」を、引っかけておるのじゃろう」
「だな」
俺はいつも通りの入浴時間だったと思うが、華名の方は心なしか昨日より早かった気がする。
「兄者よ、やはり牛乳を飲む際は、こう腰に手を当ててじゃな」
「だから、いつの人間なんだよ、おまいは!?」
──嗚呼、糞。駄目だ。
コイツといる事を、まさかこんなに心地よいと思うようになるなんて、一昨日の晩には夢にも思わなかったのに。
俺の価値観では、加奈子が一番大切で、二番目が俺自身。その事にはいささかも揺らぎはない。
けれど。
たった二日、たかだか50時間足らず、起きてた時間はもっと短いにも関わらず、コイツは凄い勢いで三位にランクインしてきやがった。
それでも……約束は約束だ。
風呂屋から帰って、ふたりで居間の卓袱台の前に座り、俺が入れた紅茶を味わいながら、ぼんやりテレビのロードショーを眺めていると、唐突に華名が切り出した。
「兄者よ、今夜十一時になったら加奈子を
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