其ノ参

 カナが床に頭を打ち付ける直前で何とかその身体を抱きとめた俺だったが、正直途方に暮れていた。

 腕の中のカナはお芝居とかタヌキ寝入りとかじゃなく、本気で気絶している。

 さすがに先刻のカナの言葉を一から十まで鵜呑みにはできないが、同時に全部が嘘だと決めつけるのも憚られた。

 少なくとも、カナの中では「ソレ」が事実なのだろう。

 とりあえず、薄いボレロだけ脱がして赤いワンピース姿のまま、ベッドの上にカナの身体を横たえる。

 いや、さすがに着替えさせるのはムリ! 服が皺になってるかもしれないが、どうせクリーニングに出すんだから構わないだろう。

 それより、本当に何らかの問題がある──たとえば脳や神経系の疾患だとか、あるいは心理的な病気だとかだった時のコトも、一応考えておくべきかもしれない。


 ひょっとして救急車を呼んだ方がいいのだろうか……と、俺が悩み始めた数分後、カナは呆気なく意識を取り戻した。

 じっと見守る俺の前で、パチリと音がしそうな勢いで双つの眼が開かれる。

 「よ、よかった、カナ、目が覚め……」

 「たんだな」と俺は続けられなかった。

 スーッと糸のついた操り人形のような不自然な動作でベッドの上に身を起こしたカナの様子が、明らかにヘンだったからだ。


 「ふむ、ようやっと表に出られたか。この娘も、なかなか粘りおったものよ。或いはこれが「愛」の成せる業かのぅ」

 俺の方を見ようともせずに、何事かブツブツ呟いているカナに、俺は恐る恐る声をかけた。

 「お、おい、カナ……大丈夫、なのか?」

 「ん?」

 今まで見せたこともないような胡乱げな目つきを向けてきたカナだが、すぐに俺の顔を見て、顔をほころばせた。

 「おぉ、兄者か。うむ、大儀ないぞえ」

 「! お前……誰だ?」

 その言葉遣いのみならず、俺を見る目つきからして、断じて俺の知るカナではない。直感だったが、俺はコレでも自分の“兄”としての「妹センサー」に自信を持っている。

 たとえ、99人のカナのソックリさんの中に本物が混じっていたとしても、瞬時にして見分けられると自負しているからな。

 「ホホ……これは異な事を言われるのぅ。妾(わらわ)が「藤堂加奈子」以外の何者に見えると言われるのかえ?」

 「ソレ以外のナニカだ!」

 多重人格か、あるいは悪霊とか狐とかの類いがとり憑いてるのか知らんが、今、このカナの体を使って動き、しゃべっているのは、断じて俺の知るカナ本人じゃない。


 「ふむ……無駄に勘がよいのも考え物じゃな。或いは妹めと同じく「愛」故か……」

 誤魔化すことを諦めたのか、カナモドキ(仮称)はベッドの上に改めて正座する。

 「そうじゃな。確かに、藤堂の末裔であり、加奈子の家族であるお主には、知る権利と義務があるじゃろう。話してしんぜようぞ」

 「お、おぅ」

 意外と往生際のいい相手の態度に少々拍子抜けしたが、俺も隣りのベッドの上に乗り向かい合って胡坐をかき、ひとまず話を聞く体勢を作った。


 「まずは妾も名乗っておこうか。我が名は「華名」──「華麗なる名前」と書いて「かな」と読む」

 「俺は……」

 「存じておる。藤堂陣八。28歳・会社員。独身、彼女もなし。趣味は録り溜めしたてれびの番組を休みの日に観ること。好物は烏賊の塩辛と海王軒の中華蕎麦、それと……加奈子の作る料理なら何でも、じゃな」

 「……正解だ」

 少なくとも、コイツがカナの記憶を読めるというのは確かなようだ。

 「さて、話を始めるにあたって、念のため確認しておきたいのじゃが……兄者よ、お主、両親その他から藤堂家にまつわる因縁話なぞ聞き及んではおらぬのかえ?」

 「カナの記憶が読めるなら知ってるだろうが、俺の家族は俺が19歳の頃に事故でなくなっている。カナの両親も同様だ。

 もしかしたら、俺が大人になったら話してくれたかもしれんが、少なくとも俺は聞いていないな」

 ついでに言えば、父方の祖父母とは両親存命中の頃からあまり行き来がない。大学に入ったばかりで天涯孤独になった俺の後見をしてくれたのは、従兄夫妻──つまり、亡くなる前のカナの両親だったくらいだからな。

 「ふむ、やはり、か。ならば語ろう。優しき陰陽師と、はぐれ者の龍の物語を」

 いつものカナより数段大人びた──まるで俺よりずっと年上の女性のような深い瞳の色を覗かせて、ソイツが語ったのは、夢のような昔むかしの御伽噺だった。


 今から遡ること600年余り前の話。とある大きな湖のそばにある里の近くに一匹の龍が住み着いた。その龍は、元は高名な龍神の眷属であったのだが、とある失敗から下界に追放されたのだ。

 しばらくは元の主の手前大人しくしていたものの、もともと我侭なタチであったためか、雨量や嵐を制御することと引き換えに、付近の民衆に無理難題を押し付けるようになった。

 エスカレートする龍の要求に困り果てた村人は、隣国に住んでいたと高名な陰陽師の夫婦に龍退治を依頼したのだ。

 龍と陰陽師夫妻の戦いは3日3晩続いたが、ついに3日目の夜、よこしまな龍が打ち倒され、地に伏す時が来た。

 いざとどめ……という時に、妻の方が夫を制止して、龍に話しかけた。

 なんとその龍は、女陰陽師と以前面識があったのだ!

 童女の姿に化けたものの、下界に下りたばかりで右も左もわからなかった龍は、幼き日の女陰陽師と出会い、意気投合し、しばらくのあいだ彼女の家で暮らしていた。ある意味、幼馴染のような存在だったのだ。

 あるいは、もし彼女の家が陰陽師などでなければ、少なくとも彼女が存命中は龍も人として共に安らかな日々を過ごせていたのかもしれない。

 彼女の父は(龍の正体を薄々察しながらも)寛大であったが、その弟子や出入りの者たちに見咎められ、人でないことがバレることを恐れた龍は、半年ほどののち少女の家を出て、あてどのない放浪の旅の中、少しずつ世間にスレ、捻じれていった。

 龍は、旧友であった彼女に殺される、あるいは封じられるなら本望だと目を閉じたが、女陰陽師は首を横に振り、不思議な術を使い始めた。

 それは封印術の一種ではあったが、特定の「物」や「場所」に封じるのではない。

 封印先は、術者自身の体──正確に言うなら、女術師の胎内。子を身ごもったばかりの彼女は、まだ形も定かではない我が子を龍の封印先、いや転生先として選んだのだ。


 「しばしの間だけ、さようなら。そして、今度は敵味方ではなく、母娘として会いましょう」

 女術師の思惑通り、龍は彼女の娘として転生した。

 「華名」と名づけられたその子は、優しい両親に見守られて、スクスク育つ。そして、13歳になる頃、前世の記憶を取り戻したものの、もはやそんなことくらいでは揺るがぬ絆が親子の間には形成されていた。

 やがて成人する頃には、龍としての魂を持つが故か、「華名」は両親をも凌ぐほどの通力を備え、「女晴明」と呼ばれるほどの術師へと成長していた。

 かつての友で今は生みの親となった母同様、想いを交わした男を婿に迎え、子宝にも恵まれ、72歳という当時としては破格とも言える長生きをして、稀代の陰陽師・「藤堂華名」は子や孫に見守られつつ、満足して世を去った。


 ──そこまではいい。むしろ滅多にない幸せな結末だと言える。

 だが、問題は、それが「結末」などではなく、それこそが彼女の苦難の始まりだった事だ。


 「万物は流転し、生ある者は皆死して輪廻す。それはこの世の理じゃ。妾もまた然り。

 じゃが、妾は生まれ変わっても、前世の記憶をすべて保持しておる。おそらくは、核となる魂が人ではなく龍のそれじゃからかもしれぬのぅ。

 生まれた時は、鍵がかかったように封がされておるのじゃが、成長するにつれて徐々にその鍵が緩み、裳着(女子の成人)を迎える13、4歳の頃になると、完全にかつての記憶と人格を取り戻すのじゃ」

 そこまでの長い語りを終えた「華名」は、俺が入れた紅茶をズズッと音を立てて飲みながらひと息ついた。


 「──言いたいことはおおよそ理解した。だが、ソレがアンタの妄想や嘘でない証拠は?」

 真実を知る者だけが持つ説得力のある語り口に、俺は半ば以上信じ始めてはいたものの、それでも何とか反論しようと無駄なあがきを試みる。

 「ふむ、「証拠」かえ。そうじゃな。では……」

 と自らの服装を見下ろす「華名」。

 「この洋装も悪ぅはないが、これから寝るにはいささか窮屈じゃの……ホレ!」

 口の中で何かを唱えたのち、彼女が右手の人指し指で宙に星型の図形を描いた瞬間、カナの着ていた服装が唐突に変化する。

 さっきまでのワンピースとは似てもにつかない浴衣──それもお祭りなどに着て行く華やかなものではなく、寝間着としての無地のソレだ。

 「な!?」

 「ふむ、久々じゃったが、問題なく使えるようじゃのぅ」

 間違いなく、この「華名」がやった事だろう。

 「手品、とかじゃないよな?」

 「たわけ! 手妻の類いで、あれほど一瞬で下穿きまで変えられるか!」

 と、白い浴衣の胸元をめくって見せる。その下からは、何も着けていない膨らみかけた白い乳房がのぞき、慌てて俺は目を逸らした。

 「わ、バカ、やめれ!」

 「フフ……三十路前じゃとは思えぬほど、ウブな男よ。それとも、愛しの妹の柔肌を目にして興奮しておるのかえ?」

 「な、なにを……」

 俺の反論に「ああ、わかっておる、何も言うな」とでも言いたげな表情で、ウンウンと頷く「華名」。

 ちくそー! さっきの話がもし本当だとしたら、相手は結婚出産どころか、子育て孫育てまで経験してる推定人生経験合計百年超の婆さんだ。口で勝てるワケがねぇ。

 「まぁ、よかろう。それでは、そちらの電気らんぷを、妾の方にかざしてみやれ」

 「こ、こう、か?」

 枕元のアンティーク調の電気スタンドを手に取り、カナの身体を照らす。

 「何が起きるってん……だ…」

 背後の壁に大写しになったカナの影を見て俺は言葉を失った。

 電灯に照らされたとは言え、妙にくっきりとした影。その頭部には、紛うことなく麒麟のような二本の角が存在していたのだから。

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