其ノ四

 スーハーッと深呼吸して、ひとまず自分を落ち着ける。

 「OK、了解、わかった。お前さんが言ってるコトをひとまず信じよう。話の流れからすると、アンタは俺達藤堂家の御先祖様で、かつ藤堂家の血筋の女性の中に転生する、でいいのか?」

 「うむ。やはり、兄者は勘がよいの。その通りじゃ」

 「華名」は、成績の良かった我が子を褒めるような表情で満足げに頷く。

 「て言うか、何で俺のことを「兄者」と呼ぶんだ? 精神的に見れば、アンタの方がずっと年上だろう?」

 「そう言われてものぅ。妾(わらわ)はこれまで、加奈子の意識の裏で微睡みつつ夢を見ていたような状態じゃった。その夢の中で、加奈子である妾は、お主を兄として暮らしてきたのでな」

 成程。カナの記憶が見れると言うより、傍観者として常にカナとともにあった存在だから、カナや俺のことを熟知しているのか。


 「偉大な御先祖様に会えた事自体に感慨がないわけじゃないが、今俺が知りたいのはただひとつ。

 ──どうやれば、アンタを追い出す、あるいは消してカナを元に戻せる?」

 迂遠な聞き方をしても仕方ないので、この際、真正面から直球を投げる。

 「ふむ……少し誤解があるようじゃな。妾(わらわ)は、何もこの者の身体に取り憑いたり、同居しておるワケではないぞえ。表に出ている人格こそ違って見えど、妾もまた「藤堂加奈子」には相違ない」

 対面のベッドの上に横座りした「華名」が苦笑する。

 「? どういうことだ?」

 「そうじゃのぅ。なかなか巧い比喩が見つからぬが……魂というものを氷山に譬えてみようか。俗に「氷山の一角」などという言葉があるが、人間の表に出ている部分も魂のほんの一部分だと言ってよかろう。

 あるいはサイコロで、上を向いて壱の目が出ているとしても、サイコロ自体には他に弐から六までの目もある、と言ってもよいかの」

 いわゆる表層意識と潜在意識、あるいは無意識とかペルソナってヤツかね。

 「……つまり、カナという人格は水面から見えている氷山もしくは壱の目で、アンタはそれ以外の部分だと?」

 「然り。故に現在のこの体は、先の氷山の譬えで言うなら、ひっくり返って今まで水面下にあった部分が水上に出て、代わりに今まで水上に出ていた部分が水面下にある……とでも言うべき状態なのじゃよ」

 細かい事はともかく、おおよそのイメージがわかった。


 「ん? それなら、もう一度氷山ないしサイコロをひっくり返せば、またカナがまた表に出られるんじゃないのか?」

 「──さすがに兄者は鋭い。理屈では確かにその通りじゃ。しかし二つ……いや三つばかり問題があってのぅ」

 「華名」はいつの間にか、横座りの姿勢からキチンとした正座へと姿勢を改めていた。

 「まず、最初の問題は妾の意思。妾自身に変わってやる気がなければ、そも入れ替わりは起こらぬ。ま、コレについては条件次第では飲んでやってもよいぞえ」

 「本当か!?」

 「うむ。ただし、先ほど言ぅた通り、条件次第じゃがな。

 ふたつ目は、霊的な観点に基づけば、現在の状態のほうが自然ということじゃ。

 先の氷山の譬えで言うなら、水中に浮く物としては今の体勢のほうが安定してるとでも言うべきかの。

 ──兄者も加奈子本人から聞いておったろう? ある日突然入れ替わったわけではなく、妾は少しずつ表に出るようになっていったのじゃと」

 確かに、そんな話はしていたな。

 「安定した体勢で浮いているものを無理やりひっくり返して重心のグラついた不安定な体勢に戻す……兄者の言っておるのは要はそういうことじゃ。それには少なからぬ労力がいるし、また一度その姿勢にしたとて再度ひっくり返らぬとも限らん」

 「……」

 不自然な行為だと言いたいのだろう。確かに、稀代の陰陽術師であり何度も転生を繰り返してきた「華名」にしてみれば、当然の観点なのかもしれない。

 しかし。

 「──それでも、俺はカナに会いたいよ」

 残酷なことを言っているという自覚はある。

 目の前の女性も、俺自身は知らなかったとは言え、あるいは俺達とともに暮らしてきた「家族」と呼ぶべき存在なのかもしれない。

 それなのに、俺はカナを、加奈子を選び、「華名」にその体の主導権を譲れと迫っているに等しいのだから。


 「……仕方ないのぅ。他の者ならともかく、兄者にそんな顔をして弱音を吐かれてしまっては、妾も胸が痛む」

 それなのに、この幼い体に宿る御先祖様は、少しも俺を責めようとせずに、逆に慈しむような目で見つめてくれる。あたかも、やんちゃしたり我儘を言ったりしている幼子を見守るように。

 「まぁ、よいじゃろう。先ほども言うたとおり、兄者がこれから妾が出す条件を飲んでくれれば、加奈子の人格が表に出られるよう、協力してしんぜよう」

 こういうオカルティックな非常識事態で、その専門家の協力を得られるというのは、大変に有難いのだが、何かが引っ掛かる。

 「一応、念のために聞くが、俺に出来ることだよな? あと、あんまり金も持ってないぞ」

 「ホホホ、無論。兄者が万年金欠なことなぞ、妾は元より加奈子とてお見通しぞ?」

 なにィーーっ!?

 「……マジで?」

 「うむ、マジじゃ。なんなら、今月の通帳の残高を当ててみようかの?」

 それは勘弁してほしい。

 「安心せい。さして大金のかかることではないわぇ」

 「さして」ということは多少はかかるのだろうが、俺としては、カナを取り戻せるなら仮に腎臓を片方売っても惜しくはないのだから、否やはない。


 「その……条件と言うのはじゃな……」

 と、ココで突然「華名」がモジモジし始める。

 つい先ほどまでは、外見はともかく、精神的には確かに俺よりずっと年上の人間らしい余裕と懐の深さを見せていたのに、今の彼女の様子は、まるで外見相応の年若い少女のようだ。

 「? 何だ? そんなに言いにくいことなのか?」

 「う、うむ……その、明日明後日は土曜日曜で兄者も加奈子も休みであろう?

 日曜の深夜には加奈子を戻す儀式をする故、それまでの丸二日間は、妾と「家族」として一緒に過ごして欲しいのじゃ」


 ……へ?

 無理難題をフッかけられるだろうと想像していた俺は、拍子抜けしてしまった。

 「そ、そんなコトで……」

 「いいのか?」と聞きかけ、だが、彼女の瞳に宿る真摯な懇願に気づいて口を閉じる。

 何を意図してそんなことを言ってきたのかは知らないが、少なくとも冗談や気まぐれの類いでは無さそうだ。

 「──わかった。この週末限定で、「華名」のことを俺の妹として扱う。それでいいんだな?」

 そう言った途端、彼女の顔がパッと綻んだ。あるいは、今の表情だけ見れば、カナより幼いかもしれん。

 「そ、そうか。うむ、礼を言うぞ、兄者」

 「ばーか、どうせ礼を言うならコトが終わってからにしてくれ」

 まだ「儀式」とやらの詳細は聞いていないが、どうせ俺が聞いてもよくわかんねーだろうし。

 (少なくとも「華名」が俺を騙したり裏切ったりするとは思えない……って、俺、随分とコイツのこと信用してんのな)

 まぁ、本人の言葉を借りれば、彼女もまた「加奈子の知られざる一面」なんだし、な。


 とりあえず、今夜は色々なことがありすぎた。精神的疲労も限界だし、さっさと寝ちまおう。

 俺は、ベッドの上から降りると、天井の電灯を消し、枕元の電気スタンドのほの暗い光の元で、スーツとYシャツ、そしてズボンを脱ぎ、Tシャツ&トランクスというラフな格好になって、布団に入った。

 「じゃ、今日は、そろそろ寝ちまおーぜ。スタンド、消すぞ?」

 「あ! しばし、待ってたもれ」

 (ん、何だ?)

 疑問を感じた次の瞬間、答えは出ていた。

 そう、彼女──「華名」が、俺のいるベッドに潜り込んで来たのだから。

 「ちょ……おま……なん……?」

 「フフフ、すまぬ。数十年ぶりの人の温もりが恋しゅうてのぅ」

 加奈子の意識越しに人に身近に触れたのすら、数年前故……と言われてしまえば、俺としても沈黙するしかない。

 引き取った当初、夜になると両親のことを思い出してか震えるカナを、「兄」として気遣い、一緒の布団で寝たことも何回かはあったのだが……。

 もっともカナはすぐに聞き分けの良い子へと成長したため、そんなコトをした記憶自体、そう多くはないんだが。


 「だめ、かぇ?」

 クッ、こんな時だけ、おねだりする時のカナとおんなじ目つきをしてやがる。

 「……今晩だけだぞ?」

 ゴロンと寝返りをうってベッドのスペースを半分空ける。

 「うむ、感謝する、兄者」

 「華名」の──カナの身体が掛け布団の中で落ち着く姿勢を探しているのを、極力意識しないよう努めつつ、俺は無言で目を閉じた。

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