其ノ弐

 「わぁ、すごぉい♪ お兄ちゃん、こんな素敵なお部屋、よくとれたね」

 「ハッハッハ、なんのなんの」

 無邪気に喜ぶカナの様子に鼻高々な俺。

 ……もっとも、この手痛い出費のおかげで、向こう1ヵ月は、お兄ちゃん、会社の社食でかけそばしか食えないだろうけどな。

 無論、そんなコトは妹に対して微塵も覗かせないのが兄のたしなみ。

 ベッドの上でバインバインと跳ねてるカナを笑顔でたしなめるのみだ。

 「おいおい、せっかく大人っぽい格好してるのに、それじゃ台無しだぞ」

 「あ! ……てへっ。そうだね。あたしも、もう中学生だもんね」

 うむ、わかればよろしい。妹よ、淑女たれ!

 ──実のところ、膝丈のワンピースの裾が翻ってピンクのショーツが見え隠れしているのはヤバい、という男子的事情もあるのだが、さすがに口には出せない。


 「それで、だ。カナ、お前、何かお兄ちゃんに隠していることがあるだろう?」

 窓際の応接セットに向かい合って腰かけ、備え付けのティーセットで紅茶を淹れた後(料理の腕前は抜かれたが、コーヒー・紅茶類を淹れるのは未だ俺の方が上手い)、俺はズバッと真正面から切り込んだ。

 「……あーあ、どうしてお兄ちゃんには、わかっちゃうかなぁ」

 逃げ場がないと悟ったのか、ちょっとだけスネたような口調で言うカナ。

 「そりゃあ、お前……」

 「「俺はカナのお兄ちゃんだからな!」」

 俺とカナの言葉がピタリと唱和する。顔を見合わせて笑顔になる俺達。

 けれど、ふとカナの顔に翳りが差す。

 「だからこそ、お兄ちゃんにだけは知られたくなかったんだけどなぁ──あのね、あたし、もうすぐ消えちゃうと思うんだ」


 ……は?

 あまりに唐突すぎるカナの言葉に、俺の頭は理解が追いつけない。

 いや、真剣そのもののカナの口調や表情を見れば、冗談で言ってるのではないコトは、十分わかるのだが……。

 「えっと……それは、死んじゃうってコトか?」

 「ううん、ちょっと違うかな。あたしがあたしじゃなくなるって言うか……。

 あのね、半年ぐらい前から、頭の中で時々声がするようになったの。ひと月前から、寝てる時ヘンな夢を見るようになったし……。

 それでね、自分の中に知らない自分が占める割合が、少しずつ増えているのがわかるんだ」


 えーと、コレはもしかして、思春期特有のイタい思い込み、いわゆる「中二病」というヤツか? まぁ、カナも今日から中学生なんだし、罹患する資格は十分あるワケだが。

 ここはアレだろうか。「今お前が感じている感情は精神的疾患の一種だ。直し方は俺が知っている。俺に任せろ」とでも言うべきなのだろうか?

 ……いや、だからって、台詞元みたく鬼畜なコトをする気は毛頭ないぞ。


 俺が悩んでいるのをよそに、カナの告白は続く。

 「それで先週になって、ついにその「別の自分」が話しかけてきたの。あたしがあたしでいられる時間が、もう残り少ないって。

 ホントは、2、3日前にあたしの時間は終わってたはずなんだけど、今まで育ててくれたお兄ちゃんに、どうしても中学生になった姿を見せたくて……気合い入れて頑張ったんだよ?

 オマケに、こんなドレス姿で、大好きなお兄ちゃんにエスコートされて、高級ホテルでディナーだなんて素敵な思い出も作れたし。もう、思い残すことはないよ」

 目に涙を浮かべながら、そう告げるカナの姿は真剣そのものだ。まるで、本当に俺にさよならを言おうとしているような──そんな不吉な予感が脳裏をよぎる。


 「お、おい、加奈子……」

 俺が衝動的に何か口にする前に、いつの間にかソファから立ち上がり、窓から夜景を見つめていたカナが、クルリと振り返った。

 「──お兄ちゃん、だいすき……」

 そう呟くと、カナは、俺の大事な大事な妹は、そのまま意識を失い、糸の切れたマリオネットのようにカーペットの上に崩れ落ちたのだった。

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