6-36 答え合わせ
教室は、次なる講師が来られるまでの間、非常に騒がしかった。
「ああ、わたくし、今日の出来事を詩に書き表したいわ!」とアイリーンさまが興奮気味に言う。
「わたくしもよ。次はディアンナさまの授業でしょう。きっとその話題を扱ってくださるに違いないわ。だって、あんなにもわたくしたち全校生徒を庇ってくださって」
ジョセフィンさまは頬を押さえて、瞳を潤わせている。
「クリスさまも本当に格好良かったわ。わたくしも上級生になったら男装しようかしら。ほら、ちょうどわたくしって背が高いでしょう。首も長めだから、高い襟の服を着ても平気だと思うの」
「止めないけど、あの人の真似はやめてよね」とご主人さまは言った。
「エヴァも本当に剣が上手ですわね。あなたのお兄さまは、史上最年少で騎士団に入ったそうじゃない。血筋なのかしら。才能があるっていうのは、とても羨ましいことですわ。それに、あんなに熱烈な言葉をいただいて……すてき」
アイリーンさまが胸元を押さえてそのまま後ろに倒れそうになったので、ジョセフィンさまが肩を支えた。
「馬鹿、思い出させないでよ。必死に忘れようと、しているんだから……」
「どうして? 宝物じゃないですこと?」
僕は急に恥ずかしくなってきた。
何か、とんでもないことを言ってしまったような気がしてきたからだ。
「そういえばわたくし、以前にディアンナさまが紹介してくださった詩を思い出しましたの。ほら、亡国の王子さまが、植木鉢を叩き割る……」
「ああ!」と誰かが叫ぶ。
そして、教室中はさらに騒がしさを増した。
「王子さまなのかしら!」と誰かが言った。
皆の注目が僕に集まっているのがわかった。
美しい令嬢方に見つめられ、なんだか恥ずかしくて、顔が熱くなってくる。
一体、何がどうなったら、そんなふうに結びつけられるというのだろう。
「ちょっと、そんなわけないでしょ!」とご主人さまは言った。「だって、こいつ、道端で拾ったのよ。だから、あたしの、」
「エヴァ、考えてもみなさいよ。魔術師マルガは予言をするのよ! そして、見事に植木鉢を割ったのは彼。とても謎めいた、わたくしたちだけの秘密の存在……」
アイリーンさまは立ち上がり、僕の肩に手を乗せた。
「ああ、あなたって、なんてロマンチックな存在なのかしら。あらやだ! わたくしったら殿方を断りもなく触ったりなんて! いえ、あなたは淑女なのですから構いません!」
彼女が何を言っているのかよくわからない。
「魔術師マルガの残した最後の詩は、わたくしたちだけに贈るメッセージだったのよ。この胸の高鳴りと、震えの止まらない感情の揺らぎ、全ての謎が解けましたわ! というのに、あなたの謎はさらに深まるばかり。以前の記憶は無いと言うし、もしかしたら、と思わせることばかりなのに、裏付けは一つもないのよ! 本当に偶然なのかもしれない。でも、それはそれで、とってもロマンチック」
広がっていく妄想は確実に、危険な方向へとその場を動かしている、ように思えた。
妄想は拡散し伝染するのだ。
一刻も早くこの場から退散すべきと、心が警笛を鳴らしている。
ご主人さまは平気なのだろうか?
「わたくし、この気持ちをどうしたらいいのかしら!」
ジョセフィンさまに続けてアイリーンさまが言う。
「詩の中に表現すべきですわ。お父さまやお母さまに見せても事実のわからない程度に、そして何よりも強い言葉で的確に。なんて難しげなのでしょう」
この言葉は、ますます場を盛り上げてしまったようだ。
僕はもう、ついていけそうにない。
まだまだ、女性としての修行が足りず、一緒になって熱くなれるだけの乙女心が養われていないのだ。
ご主人さまは、あきれても物も言えないふうに、席に腰掛けて上の空だ。
お疲れなのか、少し頬が赤い。
「ああ、ディアンナさまがいらしたわ」とジョセフィンさまが仰る。
僕はその時こそ安堵したが、残念なことに、授業が始まってもこの話題が尽きることはなかった。
ディアンナさまの第一声が、「あなたはまるで、亡国の王子!」だったからだ。
夕方、囲って逃がそうとしない令嬢たちの間を上手いことくぐり抜けて、僕たちは足早に馬車の広場へと向かっていた。
「でも、どうして、あの時、剣をおしまいになられたのですか? 本当は、クリスさまの男装をやめさせようとしていたのでしょう?」
「ただ、嬉しかったの。それで、降参、参ったわって思っただけよ」
ご主人さまが上気して、照れ臭そうに視線を逸らしたので、僕もなんだか恥ずかしくなってくる。
「クリスティンは、今度、お兄さまと会食させましょ? やっぱりそれが一番いい薬よ」
「はい、その時のデザートは、任せてください」
辺りにはまだ誰も来ていない。
今頃、僕を探して校内をうろつきまわっているのかもしれない。
だとしたら、少し申し訳なく思う。
突然、ご主人さまが立ち止まった。
「王子さま、わたくしめなどの横をお歩きになりますと、あまりにも恐れ多く、わたくしめ、夜も眠れなくなってしまいます」と言って、深々と頭を下げて、一歩離れた。
「ご、ご主人さま?」僕は困惑した。
まさか、あの根拠のないこじつけの噂を鵜呑みにしてしまったのだろうか。
「ああ、王子さま、そのように、この卑しいわたくしめをお呼びになられては!」
何を言っていいかわからず、無言のままご主人さまの前に立ち尽くした。
決して王子なんかではないのだ。
エヴァンジェリンご主人さまに仕える一介の侍女に過ぎない。
桃色のチョーカー、ふわふわのお仕着せ、素敵なホワイトブリム。
どこにも王子たりうる要素なんてありはしない。
しばらくして、ご主人さまは口元を隠して笑い始めた。
お戯れだったのだ。
肩の荷が下りた。
「わかった? 恭しくされるあたしの気持ち」
悪戯っぽいけれど、優しげな微笑みが、夕日に照らされて、一層愛おしく見える。
「ご主人さま?」
「もう、違うでしょ」彼女は腰に手を当てて、頬を膨らませた。「エヴァって呼ぶの」
さわやかな風。
それは僕らの頬をそうっと撫でて、吹き抜けていく。
ご主人さまは待っている。
緊張で心臓が暴れるみたいだ。
目を瞑って精神を落ち着かせ、ゆっくりと息を吸う。
「え、エヴァ……」と僕は言った。
が、すぐに小声で付け足してしまう。
「……ご主人さま」
彼女は吹き出した。
「いいわ、今の所はそれくらいで許してあげる。でも、次は無いんだから」
全身が燃え上がるように熱くなる。
伸びてきた左手を、僕は受け入れる。
指と指を絡ませて、離れないようにして、迎えの馬車を待ったのだった。
〜 了 〜
RITZY 志々見 九愛(ここあ) @qirxf4sjm
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