6-35 卵

 授業後、昼休みに入った途端、僕とご主人さまは離れ離れを余儀なくされた。

 僕はジョセフィンさまをはじめとする令嬢たちに囲まれ、押され、引っ張られ、中庭に追いやられた。


「ほらほら、あなたはこっち。囚われの姫君は、高いところから二人の勇姿を見守っていなくてはならないわ。ああ、わたくしも一度でいいからあなたのような境遇に立ってみたいものよ。わたくしを争い奪い合う殿方二人、それはもう、衝突を避けることができないの。何故ならば、わたくしは一人しか愛せないもの」


 白い物見台の上へと登らされる。


 続々と、中庭に人が集まってきた。

 ディアンナさままでいる。

 恋草の下級生たちは、両手を握りしめて頬を上気させていらっしゃる。

 その光景は異様に思えた。


 背の大小はあるけれど、誰もが豪奢なドレスを身にまとい、中庭の美しさを打ち消してしまっている。

 確信したのは、これはただ事ではないのだということ。


 あたりが騒然とし始めた。

 ハンカチを投げ上げる令嬢もいる。


 エヴァンジェリンご主人さまと、クリスさまのお二方が、遅れてやってきたのだ。


 二人は、僕の足元、物見台の下に立った。


「そこで待っていてくれよ。きみは僕が手に入れる。塔の頂きに囚われた姫君よ」

 クリスさまは僕の方を見上げて片手を差し出した。

 決して届きはしないのに。

 彼女の普段と変わらない口調は、自信の現れなのだろう。


 一方のご主人さまは、僕を一瞥しただけだった。


「ルールは、負けを認めさせた方が勝ち。つまりは、剣から手を離した方の負け」


「シンプルで分かりやすいわね」


 僕のいる物見台を横にして、二人は背中合わせに立った。


 数歩の前進の後、お互いに向き合い、そして、剣を抜く。


 悲鳴にも近いような歓声が湧き上がった。


 クリスさまが振り下ろした剣を、ご主人さまが受け止める。


 僕は目を瞑ってしまいたくなった。

 もしあの刃が、ご主人さまの肌を傷つけてしまったとしたら……。


 彼女たちは、僕のことで剣を交えている。


 当事者の僕自身は、なんの手出しも出来ない。

 ご主人さまは一緒に逃げてはくださらなかった。


 一振りごとに、令嬢たちの黄色い悲鳴。

 彼女らも、冷や冷やしながら見守っているのだ。


 僕はどうすればいいのだろう。

 僕はどうしたいのだろう。


 止めたい、と思った。

 この無益とも思える戦いを、どうにかしてやめさせたい。


 あたりを見回してみる。

 物見台はたくさんの草花で飾られていて、彼女らの元へと繋がる階段がある。


 駆け寄ることなら出来るじゃないか。


 ご主人さまは言った。

 ぶん殴って気づかせてやるのだと。


「僕だって……」

 密かに呟く。

 目下では、今でも激しく剣と剣が衝突し合っている。

 僕にも武器が必要だ。


 振り返ると少しだけ見えた。

 クリスさまの剣を、ご主人さまが受け流している。


 いてもたってもいられず、僕は物見台の上に飾られた植木鉢の一つを持つと、ひっくり返して土を落とした。

 お花はどうか、妖精さま、助けてあげてください。


 うす緑色の風が吹く。


 植木鉢を抱えて、階段を駆け下りる。


 どう考えてもおかしいのだ。

 剣を振り回すような危険な真似は、一体なんのため?

 僕のためなら、それを止めたい。

 そうじゃなくても、止めたい。

 その意志は、伝えなくちゃわからない。

 僕はただ、ご主人さまに、恩返しをしたいだけなのだ。

 そうして過ごしていることが何物にも変えがたい幸せなんだ。


 観衆は剣戟に夢中になって、僕が脱獄したことにも気づかない。


 階段を降りきった。

 しっかりと地面に足が着く。

 手元には真っ赤な植木鉢がある。


 僕は表に回り込んだ。

 甲高い金属音。

 一瞬の鍔迫り合いの後、互いに一歩引いて、しばらくの沈黙があった。


 観衆は静まり返り、その中で、二人が睨み合っている。


 誰も僕を見ていない。

 一介の侍女に過ぎない身だけれども、せめて伝えなくてはならない。

 僕はここにいるのだ。

 大きな音で、聞こえる声で。


 両腕で、植木鉢を振り上げる。


 二人は剣を持ち上げて、地面を蹴り、大きく一歩踏み出そうとしている。


 させるもんか!

 僕は両腕を振り下ろす。

 植木鉢を、思い切り、物見台の白壁に叩きつけてやった。


 音を立てて、植木鉢が割れる。

 破片が首元をかすめた。

 切り裂かれたチョーカーが、綻んでいくみたいにして落ちる。


 剣の音がしない。

 金属のものとは違う、異質な音に気づいたのだろう。


「やめてください!」僕は叫んだ。


 二人が立ち止まって、剣先を下に向ける。

 彼女らと、見守っていた観衆の目が僕に集まる。


「お二人とも、おやめください! 僕はあなたがたのこんな姿は見たくない。エヴァンジェリンご主人さまのことも、クリスさまのことも、僕はとても好きです。けれども僕のことで、二人が危険なことをなさっていると思うと、罪悪感で、心が今にも押しつぶされてしまいそうになる。怪我でもされてしまったら、僕はどうすればいいのですか」

 僕はクリスさまを見た。

「クリスティンさま、僕は何があろうと、ご主人さまの元を離れる気はありません。連れ去られたとしても、またいつかのように、髪の毛を売ってお金を作ってでも、たとえ再び記憶をなくしたってかまわない、ご主人さまの元へ帰ります。僕はただ、恩返しがしたいだけなんだ」


 静寂に包まれている。

 風の音すら聞こえてくる。

 僕は言葉を切って、静かに続けた。


「ご主人さま、やめましょう」


 立ち止まっていたご主人さまが、わざとらしくため息を吐く。

 剣を放り投げて、肩を竦めた。

「あなたがそう言うのなら」


 続いて、クリスさまも剣を収める。

「やれやれ、こっ酷く振られてしまったな。本当に、手強いんだね」


 徐々に、あたりが騒がしくなってきた。

 観衆たちは、決闘が打ち切られてしまったことに、不満があるのかもしれない。

 けれども僕は満足だ。

 懲罰を受けても、構わない。


「きみの勝ちだよ。望みを言うといい。僕たちで叶えよう」


「仕方ないわね、約束ですもの」


「僕は約束なんてしていませんよ」


「いいから!」とご主人さまが急かす。


 僕の望みは一つだった。

 この戦いをやめさせること。

 それが叶ってしまった今、僕が新たに望むものは……お二人に、仲良くなって欲しい?

 その願いは、どのようにして叶えればいいのだろう。


「お弁当を、ご一緒していただけませんか」


 口から出たのは、そんな当たり障りのない言葉だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る