5-32 エヴァンジェリン(3)
僕は部屋の中にいるご主人さまを見た。
唇を噛んで、足元を睨みつけている。
台車を押して部屋に入ると、何も言わず、マカロンを配膳して、少し冷めてしまったお湯で紅茶を淹れた。
「さっき、何を話したの」
「送迎の馬車をお出しするかどうかを」
「そう。あたしね、クリスティンは間違っていると思うの」
「どうして、私めなどを欲しがりなさるのでしょうか」
上達しているとはいえ、僕の仕事ぶりはそこまで完璧ではない。
クリスさまにとって、僕を引き取ることに大した利益なんて無いはずだった。
「頷きたいのよ、きっと。いかれてるわ。いかれてるのは、あんたもだけど」ご主人さまが笑う。「あの人、面と向かって告白したことあるのかしら? あたしたちには馬鹿げた気障な言葉を延々と投げつけてくるけどね、あれは練習なんじゃないかしら。絶対に間違ってる。どうして気づかないのかな? 自分が悪いんじゃなくて、本来受け取る相手が、とんでもなく鈍くて変な人なんだっていうことに。だからきっと、ぶん殴って、気づかせてやらなくちゃいけないのよ。友人として」
「ぶん殴るですって!」僕は目を丸くした。
「あら、これでも控えめに言ったつもりよ。思い知らせてやらなきゃ。そして、あたしは絶対にあなたを渡さないから、安心して。だって、あたしにとって、あんたは、その、」ご主人さまは頬を上気させ、一旦言葉を切って、紅茶を飲んだ。「うわ、薄い。……ほら、こんな紅茶を淹れちゃう人を外には出せないでしょ!」
「ご主人さま」
「さ、夕食の支度もあるでしょう。行きなさいよ。あたしは少し勉強しなくちゃ」
ご主人さまは立ち上がって、僕の背中を押した。
部屋の外へと追いやられてしまう。
「だ、台車を!」
「いいから! もう少し紅茶を飲んでいたいし。後で部屋の外に出しておくから」
「わかりました」
お辞儀し、一歩下がると、ご主人さまによってドアが閉められたのだった。
一旦控え室に戻って、化粧台の前に腰掛けた。
一気に疲れが溜まってしまったような気がする。
宝石箱にしまっていた腕輪を眺める。
僕は一体、どうすればいいのだろうか?
同じ境遇にあった腕輪は何も答えてはくれない。
答えの出ないまま、僕は靴を履き直す。
夕食の配膳を手伝わなくては。
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