5-30 舌戦
僕たちはダーシーさんの店を出た。
バスケットが少しだけ重い。
レシピに記された材料と、僕が個人的に使ってみたいなと思ったものを買ったのだ。
それでもお小遣いはまだ残っていて、帰ったらマーガレットさんにお返ししようと思う。
「これからどうする? まだ街を案内しようか。それとも我が屋敷に来て、紅茶でも飲んで行くかい?」
クリスさまは飴玉を噛み砕いて、一気に飲み込まれたのだった。
僕はといえば、まだ一所懸命口の中で転がしているところだ。
「いいえ、帰らなくてはなりません」口元を隠しながら言う。「これ以上の寄り道は、きっと叱られてしまいます」
「それは残念。とりあえず送っていこう」
「よろしいのですか?」
「もちろん。ちょうど馭者を待たせてある。それに少しだけ期待しているんだよ。ヒルマートン卿のお屋敷に出向くことを」
「期待、ですか?」
僕の質問に対し、クリスさまは少し微笑まれただけだった。
「仕事は辛いかい?」
僕は首を振る。「慣れないうちは大変でしたけれど、今ではすっかり。先輩方も皆さま仲良くしてくださいますし、そりゃあ湯浴みのときはいつも恥ずかしいけれど『私たちは家族みたい』とおっしゃってくださるんです。こんな幸福を、私が享受してもよいのでしょうか。時々不安になることすらあるのです」
僕には何もなかった。
ご主人さまに助けられる以前の記憶もほとんど無いし、お金も無い。
残っていたのは腕輪と、死に損ないの小さな体一つだ。
「でも、僕には、」クリスさまが声を低くする。「きみが縛られているかのように見える。喉元に据えられた桃色のリボンは、哀れな子犬を縛り付けておくための首輪に似ている」
「私はこの姿を強要されているわけではありません」
「そのように刷り込まれているのではないのかい?」
「とんでもありません。これが、私にとって、ご主人さまのそばにいるために必要な格好なのです。ご主人さまは嫌がるけれど、大ご主人さまはたぶん、僕がこれを脱ぐならば、仕えさせてはいただけないでしょう。庭師を命じられてしまうかもしれませんし、外に放り出されるかもしれません。それならばと、僕は進んでこの姿でいようと思っているのです!」
「それを束縛とはいわないのかい? 僕には随分と不利な条件のように聞こえるがね」
「ご主人さまには大きな恩があります。伝えても伝えきれないほどの、胸いっぱいの感謝も。だから僕は行動で示します。そう勧めてくださったのは大ご主人さまでした。恩返しをさせていただける機会を与えてくださっているのですから、僕、私には感謝の気持ちのほかには何もありません」
クリスさまは一瞬立ち止まり、僕の顔をまじまじと見る。
それから肩を竦めてため息を吐いた。
「やれやれ、きみには敵わないな。鉄の意志だね」と彼女は笑う。「僕もそこまで徹底的になれるのなら、よかったんだがね。僕は対等な立場にならなくてはならないんだ。だから、きみに学ぶことは多いのかもしれない」
「クリスさまは、どうしてそのようなお格好をなさっているのですか?」
「僕は背も高いし、いかり肩だ。エヴァンジェリン嬢のように、ドレスも似合わない」
「そんなことはありません。クリスさまはお美しいです」
「通じない相手もいるんだよ。それが本当に通じてほしい相手だというのにね」彼女は遠くを見つめた。「かといって、今の男装した僕が騎士になれるわけでもない。僕の望みを叶えるためには、対等な立場にならなくてはいけないんだ。その途中の道を進んでいる。とても中途半端な形で進行している。だが、何もせずに一度通用しなかった経験は今に生きていると信じたい。あの人と釣り合うためには、あの人の御眼鏡に叶うためには、僕はもっと……」
クリスさまが悲しそうに見えた。
長い睫毛は下がり、瞳を隠してしまっている。
「私にはよくわかりません。でも、今するべきことがそれしかないのなら、そうするべきだと思います。私だって、もっとご主人さまにお世話をして恩返しをしたいけれど、嫌がられてばかり。でも根気強く続けて行くしかないのです」
「嫌がっているのかい? この前僕も、エヴァには辛辣に批判されたばかりだ。彼女は少し手厳しいところがある」
「ご主人さまにはご主人さまのお考えがあってのことです。ですから、僕はそれを察しなくてはならない。試行錯誤はなかなか上手くいきません」
「揺るがないんだね。本当にきみは素敵だな。気に入ったよ。僕たちは多分似ている。そして、きみのやり方は、僕には正しく見える。きみが欲しくなってきたよ。そのしたたかさがね。似た者同士、近くにいるべきなんだ。エヴァには悪いけれど、僕はきみを手に入れる。どうしてもエヴァに仕えたければ、その気持ちが消えるまで、うちから通えばいい」
「それは困ります」と僕は笑った。
クリスさまがにやりとする。
きっと冗談なのだ。僕とご主人さまが離れ離れになることなんて、あってはならない。
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