4-25 好奇心に身を任せて
昼前の涼しげな空気をからだで感じ、ずれて落ちそうになるホワイトブリムを時折直しながら、街の市場に向かって足を進めた。
行く先は、マーガレットさんやオルガナに連れられて、何度も通って来た馴染みのお店だ。
エヴァンジェリンご主人さまのお口に合うお菓子を作ることは、毎日の試練であるとともに、楽しみでもある。
どういう味付けにすれば、ちょうどいいほろ苦さと甘さが出せるのかをじっくり考えながら、背筋を伸ばして歩み進めていく。
懇意にしているお菓子屋のダーシーさんは、いつも僕を可愛がってくれて、素敵な材料を選んで安く分け与えてくれる。
オルガナとの付き合いは特に長いそうで、そのことでよく話が弾むのだった。
すれ違う馬車には軽くお辞儀をして、お辞儀をされたらお辞儀を返す。
小さな子供に指をさされたら微笑んで手を振った。
お姉ちゃんと呼ばれたことに少し違和感を覚えてしまう。
けれども、実際のところ、僕の正体を知っている人間は、お屋敷の外には、学校にいらっしゃる方々だけしかいないのだ。
商店の並びが見え始めた。
僕はこの道で繋がったところの、ずっとずっと先で倒れていて、ご主人さまに助け出されたのだ。
この街の道は嫌いではない。
冴え渡る朝を通して見れば、黄金色をした砂利が、びろうどみたいな光沢で敷き詰められているのがわかる。
足元を見ると、少し膨らんだスカートの裾から、靴の先が見え隠れしていた。
歩いているのだから、当たり前のことだが、なんだか気になって目で追ってしまう。
かかとが少し高くて黒いこの靴は、足首でストラップを留めてある。
こんな僕にさえ似合うのは、白い長靴下のおかげだろう。
そういえば今日も、靴を履かせたがる侍女の先輩方を押しのけたものだった。
恭しく「私はもう一人前ですから」と。
歩くとコツコツ音が鳴るように細工がされていて(今はほとんど鳴らないが)それはエヴァンジェリンご主人さまのご要望だった。
『だって、いきなり現れたら困るもの』と仰られ、翌日にはこれが手配されたのだった。
中央広場へと繋がる街路樹を通る。
綺麗に選定された楓並木は、先の方に見えるれんがの色とよく調和して、動きのある絵画のように見える。
そのとき、小さな蝶々が飛んできた。
黒くて小さいやつだ。
ひらひらと目の前を舞い、近くの木に留まる。
僕は左腕にバスケットを提げ直して、右手を伸ばした。
指先が近づき、蝶々は飛び立つ。
僕は小さく声をあげて、その飛び去る方を見た。
二本の楓の木を抜けて、暗い建物の間へと入って行く。
誘われたみたいに、僕は足を踏み出した。
なんとなく、蝶々を追いかけてしまう。
それは路地裏をひらひら進む。
舞い上がったり、降りてきたりする様子を見ながら、薄暗く入り組んだ路地を進む。
二つの靴が、れんがの道をたたき、規則正しく音を出す。
無心になった。スカートを持ち上げて、小走りになる。
蝶々が壁に留まった。
足音を出さないように、忍び足で近づく。
これが最後の機会と手を伸ばした時、小さな黒蝶は手の届かないところへと舞い上がり、やがて屋根を越えて飛んで行ってしまった。
僕はため息を吐く。
なぜ心を惹かれたのか分からなかったが、そういえば、僕の今の格好にそっくりだったのかもしれなかった。
辺りを見回す。ここは薄暗くて、同じような建物に挟まれている。
窓同士を繋いで縄が張ってあり、そこに洗濯物がかけてある。
細長く制限された空を、小さな鳥が横切った。
いやに静かだ。
不安になってきて、踵を返して歩き始める。
もはや、もと来た道を歩いている確信は持てなかった。
妙に入り組んでいて、左右どちらからきたのかも分からない。
「どなたか、道を教えていただけませんか……」震えて掠れた声で、誰もいない路地裏に語りかける。
返事はなかった。
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