3-23 不毛なるコーディ(3)

 ケーキを食べている最中には、さすがに無茶はできないだろうというのが僕の考えだ。

 お二人ともしっかりと教育されていらっしゃるはずなので、食べ物は絶対に粗末にしないだろう。


「紅茶を入れましょう」


「それなら僕に任せてくれ。火起こしは工房の得意分野さ」


 コーディさまが、がれきの山から足つきのゴトクのようなものを持ってきて、その上に水の入ったやかんを乗せた。彼は顎ひげを一本引っこ抜き、ゴトクの下に置く。

 何やら難しげな言葉をつぶやくと、火が起きたのだった。


「工房とは何でしょうか」僕はケーキを食器に移しながら言った。


「ああ、きみは知らないのかい。我々には大きく二つの派閥というかスタンスがあってだね、本の虫で理論から魔法を研究する書庫の魔術師と、僕みたいに飽き性で思いつきと遊び心を大切にする工房の魔術師が存在するんだよ。うちの国は、というか世界的に殆どの魔術師が書庫に属していて、日々、哲学と妄想の日々を送っているんだ。僕みたいに、時間を忘れて新しい発明に取り組み、試作品をとりあえず使ってみようなんて人はあまりいないのが現状なんだよ」


 僕は感心して頷いた。「寂しいですか」


「まさか。工房で謎の現象に遭遇して、書庫で解明されるなんてこともあるし、逆に書庫で予言されたものが、工房で実現したりする。そういった交流が結構あってね、なかなか面白いもんさ」


「コーディは奇人の天才と書いて奇才なんだよね」と兄上さまが言う。


「そりゃ、きみのことだ。僕が変人扱いされるのは、ほとんどがきみのせいだからね。僕の真実はただの風呂嫌いだ」


「お二方、さあ、ケーキをお受け取りくださいな」


 ご主人さまが殿方二人に割って入り、会話を中断させる。

 こういったテクニックを使わないと、何が起こるかわからないとお考えなのだろう。


 ケーキとお茶の魔力というものは相当なもので、それから僕たちはただ平和な時間を過ごすことになった。


「きみたちの学校は女子ばかりでさぞつまらんだろうが、僕らの学校はすごく楽しかったよ」と兄上さま。「紅茶を見て思い出したんだけれども、僕たちは初等クラスだけ一緒でね、その後一度として同じクラスになったことは無いんだが、ある日、コーディが大騒ぎしながら僕のいる教室にやって来て、真実を理解したと言うんだな」


「おい、その話はやめてくれ」


 コーディさまが制すのも聞かず、兄上さまは続ける。


「まあまあ、いいじゃないか。で、真実とは何か? すなわち、水薬学とは焙煎学だと」


「水薬学と何でしょうか」と僕は言った。


「ああ、水薬学っていうのは、魔法を触媒に桶の水に薬効を抽出する学問だよ」兄上さまの真面目そうな顔が突然憎たらしく歪む。「もう一度言うがね、きみ、水薬学とは、焙煎学なのだ。そこらへんの草木で変わらずコーヒーを淹れることができたなら、それは魔法であり、水薬学の真理である。そうコーディ先生は仰るんだな」


「あれは冗談だったと!」


「もちろん僕も彼の言葉を聞いて、同様に真実に到達したのさ。あぁなるほど、水薬学って焙煎学なんだなあってね。そこから数ヶ月、僕もコーディと同じく工房の魔術師だったよ。うちの優秀な料理人たちに豆を煎るための技術に関して尋ねてみたり、草木に限らず、手に入るものは何でもうちの厨房で試してみたね。例えばロニーのブーツを借りてきて、ガセットタンを引っこ抜いてみじん切りにしたり」


「あいつ、まだ根に持ってるぞ」


「未だにあの件をダシにタダ飯食おうとしやがるからな!」兄上さまは笑った。「そりゃあ夢中だったよな? 僕ら」


「あの日が来るまではな」とコーディさま。


 兄上さまは遠い目をしてからクスクス笑い、それから話し始める。


「その日、僕たちはいつものように厨房で研究に没頭していた。料理人たちを追い出して厨房全体に異臭を漂わせながら、たくさんのマグを調理台の上に並べ、底にしるしをつけた一つだけが本物のコーヒー、その他は今までの研究で焙煎法を確立したもの、それぞれを抽出して注いでいった。その頃は痩せていたオルガナを呼びつけて、僕らが分からないようにシャッフルさせてね、それで二人で本物のコーヒーを本気で当てにいって、間違えればその焙煎法が、コーヒーに到達したという真理だろう?」


「その馬鹿げたやり方はきみの発案だからな」


「僕たちはうんと考えた。正直言って、ロニーの汗が染み込んだ木目のボタンの汁なんて飲みたくなかったからね、ただの本物のコーヒーをなんとしても当てて飲もうとしてたよ。コーディには悪いと思いながら」


「あの物体はロニーのボタンだったのかい。まあ、僕も本物のコーヒーを飲まないと体に悪そうだな、とは思っていたさ」


「その頃はまだ、祖父が田舎に引っ込む前のことでね、きみは会ったことも無いと思うが話には聞いているだろう。で、そのお爺さんが、僕たちの研究の真っ最中、厨房にふらりと入って来たのさ。ほら、彼は政治から手を引く前から根っからの冒険爺さんだっただろう、なんでも自分でやっちゃうんだよ。喉が渇いたから何かを飲みに来たんだ。彼は部屋に入って来るや、イノシシのフンが焼けたみたいな匂いがすると言った」


 僕はご主人さまが顔をしかめたのを見逃さなかった。


「その時のお爺さんの顔は忘れられないね。左の眉を飛んでいくんじゃないかってくらい持ち上げて、顔を歪めてさ。興奮した馬みたいな唸り声を上げてたよ」


「僕らの鼻が馬鹿になったのは、この時のせいだな」


「で、お爺さんは僕らが並べていた暗黒のドリンクたちを眺め、『コーヒーの練習かね、結構』みたいなことを言った。『しかしこの匂いは何事だ。平気な豆を使っているんだろうね?』」


 僕は兄上さまがお爺様の声を真似して喋るのがおかしくて、口元を隠して笑った。


「それから、茶色の液体のうち一つのマグを手に取ると、彼は匂いを嗅ぎ、鼻をつまんで、ちまちまと啜り始めたんだ。その時はすっかり参っちまったね。抽出液にはちょっとした緑色が出ていて、あれはコニーのカビたシャツから出したやつなんじゃないかって、僕が睨んでたやつだったんだよ。『こりゃひどい! まるで泥水! えげつない渋み!』そうお爺さんは体をくねらせながら言って、涙ながらにマグの中身を捨てると、別のマグに口をつけて、さらに泣きながら『これも泥水!』と叫んだ。で、ついに彼は怒り始めた。当然さ」


「僕は未だに彼の健康被害が心配だよ」


「けど、僕らが一所懸命に作った飲み物を無下にはできなかったんだろうね。彼は味見をやめようとはしなかった。控えていたオルガナはずっとそわそわしていたんだが、ある瞬間、明らかに表情が緩んだ。そう、お爺さんはついに手を伸ばしたのさ。本物のコーヒーにね。僕らは悟り、ほっとしたよ。全部一口で捨てられてちゃ、試みが失敗になるからね」


「ほっとしたのは、そうじゃない」


「で、お爺さんはぬるくなったコーヒーをぐいと飲み干し、乱雑にマグを調理台に置いた。うまい! ごちそうさま! そんなお爺さんの言葉が聞こえてくるようだったよ。けれど、現実は違った。『これこそ泥水!』なんて声高に言って、オルガナにいたずらっぽい顔を向けて笑わせた後に、僕らに真面目くさったふうに優しげな声調でさ、『いいかね、資質を努力で覆すのは大変なことだ。賢く時間を使いなさい』とだけ言葉を残して、厨房から出て行ったんだ」


 僕はぽかんとして、首を傾げた。


「僕たちは一つの教訓を学んだよ。盛年重ねて来らず、泥水なんて作ってる場合じゃないってね」


 コーディさまが肩を竦めて付け加えた。

「焙煎学なんてとんでもない。僕らはコーヒーすらまともに淹れられなかったんだから」




 と、このように兄上さまはずっとご機嫌かつ饒舌で、コーディさまとの思い出を語ってくださったのだった。


そして、終始呆れかえっていたご主人さまの言葉で、この会はお開きとなった。


「日も沈んで来ましたけれど、そういえばこの船、全然進んでいませんわね」


 そう仰られて初めて僕たちは気づいたのだが、この船はまだ、桟橋から船二つ分ほどしか進んでいなかったのだった。

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