3-22 不毛なるコーディ(2)
僕は辺りの様子を確認し、体のパーツそれぞれを眺めて、異変が無いかどうかを確かめた。しかし、何も変わっていない。
「記憶が戻ったりはしていない?」とご主人さま。
「いいえ。何も思い出しません。体にも何も変わりはありませんよ」
ご主人さまは少し残念そうな顔をした後、訝しげにコーディさんを見た。
「コーディさん、お戯れになりましたわね! 呪いを解かれて何も変わらないなんて、おかしいじゃありませんか」
コーディさまが無精髭をつまみながら笑った。
「呪いにだっていろいろあるのさ。かけられた人の意志とは関係ないものは何でもかんでも呪いなんだ。ただの印を付けられていただけかもしれないし、もともと解れかかっていた呪いだ。既に殆どの役目を終えてしまっていたのかもしれない」
訝しみ続けているご主人さまをよそに、兄上さまは目をきらきらさせながら言った。
「この話題は一旦いいだろう。それより何か面白いものはないのかい、コーディ」
「それなら、まずはこの船の動力を見せてあげようか。きみも初めてだろう」
コーディさまは僕たちを横切って船尾の近くに立ち、足元のがれきの山(?)をひっくり返して現れた、白い箱みたいな装置の蓋を開け、中から透明な円筒を取り出した。
それを近くまで持って来てくださったので、よく見て見ると、金色の王冠で蓋をされた小瓶で、中には少しくすんだ緑色の石が入っている。
「この緑のものは何でしょう? あの煙の素になっているのですか?」
「え?」とご主人さまが言う。相変わらずの怪訝そうな表情が僕に向けられる。
「おや、珍しい。その通りで、これはね、妖精の亡骸さ。妖精は死ぬと石になるんだ。死んでも魔力は消えないから、こうして結晶になって、生前の彼らとは違い、僕の自由意志で制御できる動力源になる。珍しいもんだよ。ここの国の人たちは妖精を殺さないから殆ど見つからないし、アルステリアなんて、その昔、三流の魔術師どもが自分の出世のために殺しすぎて、自国の妖精を絶滅させたって話だ。ほら、きみたちも見てごらん。蓋を左手でかぶせるように持つこと」
小瓶がご主人さまに手渡された。
左の人差し指と親指で蓋をつまみ、右手を下に添えて、視線の高さまで持ち上げると、ゆっくり回しながら観察する。
「これは……」ご主人さまが溜息を吐く。「でも、宝石扱いはしてはいけませんわね。生きているときの妖精さんに会いたかったものですわ。あたくしなら、お友達になれたかしら。少し悲しくさせられます」
次いでの兄上さまは、ちらちらと中を見て、小瓶の蓋を開けようとしたために、コーディさまによって取り上げられてしまったのだった。
「きみはよくもそういうことができるな!」とコーディさまが声を荒げた。「きみはいつもそうだな、やれともやるなとも言われてないことをして、問題をややこしくしやがる。まあいいや、今度はきみにピッタリの作品があるから、試してもらおうじゃないか。誰でも水の上に立てる靴なんだが」
「本当かい? それは凄いじゃないか。僕のためにあるような代物だ」
コーディさまは悪そうな笑みを浮かべ、船後部のがれきの山の中から、うすっぺらのつっかけを一足取り出した。裏面には何らかの文様が描かれている。
兄上さまが雑な動作で靴を脱ぎ、そのつっかけに履き替えられたので、僕は靴を綺麗に揃えて兄上さまの近くに置いた。
「で、どうすりゃいいんだい。このままボートから出ればいいのか?」
「そうだ」
兄上さまは長い足を振り上げるようにして船縁にまたがった。
下を向いて外側におろした足を観察し、少年のような笑みをこちらに向ける。
彼は川の方を向いて船縁に腰掛けるような姿勢になり、突いた両手でゆっくり体を押し出した。
僕は思わず両手で目を覆ってしまう。
「おお! こりゃあすごい!」
兄上さまの声が聞こえてきて、僕はやっと安心できたのだった。
が、彼は水上に立つことに余裕を感じ始めたのか、膝を曲げて姿勢を低くすると、そのまま一気に飛び上がった。
さすがは神童と呼ばれ、史上最年少で王立騎士団に所属をした経験のあるお方だ。素晴らしい跳躍力を目の当たりさせていただき、僕は感動を覚えた。
そして彼は、満面の笑みのまま小さな水しぶきをあげて、水中へと落ちていったのだった。
「お兄さま!」
ご主人さまの悲鳴で、僕も正気に戻る。
「水の上に立てるって僕は言ったじゃないか! 誰もジャンプできるなんて一言も言ってないんだがね!」
コーディさまが、げらげらと笑い転げているの確認し、僕は慌てて船縁から身を乗り出して手を伸ばす。
ゆっくりと浮かび上がってきて水面から顔を出した兄上さまは、手で顔の水を拭うと、真顔で僕に向かって「大丈夫、僕は自分で上がれるから。濡れてしまうよ。さあ、手を引っ込めて」と言い、やがて大きな声で笑い始めた。「それにしても……全然だめじゃないか、これ! こんなんじゃ、なんの役にも立たないよ! 誰が履くっていうんだ」
殿方二人の笑いが収まらないことに呆れなさったのか、ご主人さまは僕に顔を近づけて、小さな声で毒づいた。
「この人たち、本当、馬鹿なのかしら。あたし知ってるのよ。服が汚れることに吹っ切れちゃうと、どんどんエスカレートしていくの。だから、今のうちにあんたがなんとかしないと、あたしたち、明日には竜の国にいたりして……」
僕は使命感に燃えた。
手荷物に切り札がある。
それを使う時が来たらしい。
船縁をよじ登ってきた兄上さまに、コーディさまがお腹を押さえて笑いながら近づいた。
「ひどい格好だな! きみ、ちょいとおでこが広くなったか?」
「これは元からだ! 知ってるだろ」
コーディさまが指をパチンと鳴らした。
音とともに、火花のようなものが飛び散ったようにも見えた。
すると、びしょ濡れの兄上さまの服が、空気を含んだみたいに膨れ上がり、大量の水蒸気を噴出する。
一瞬で服を乾かす魔法、といったところなのだろうか?
僕はバスケットの蓋を開けながら、単刀直入にお話することにした。
「そろそろケーキをいただきませんか?」
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