2-15 ディアンナ・ウォーディントン
午後の授業は、王室に使える女流詩人、ディアンナ・ウォーディントンさまが講師として教壇に立った。
紅茶とささやかなお菓子が振る舞われた。
恐縮ながら、僕にも漏れ無くである。
「純白の空っぽな心から、突然湧き出した詩は、時として魔力のようなものを帯びてしまうこともあるのです」
ディアンナさまが言うと、アイリーンさまが口を挟んだ。
「隣国の魔術師マルガが牢の壁に残した一片の詩、ソネットは、国の崩壊を予言してしまったそうですわね」
「そのような噂も流行りましたね。しかし、彼女の場合は…… いえ、今日は、降って湧いた詩の力ということにしておきましょう。あら、このマカロンおいしい」
僕もマカロンを一つ食べた。とても甘く、紅茶の味が引き立つ。
日々、家庭教師に勉強を教えてもらいながら、週明けには学校へ来て、いろいろな講師の話を聞く。そんな令嬢方の中に僕も混じっているのが、とても不思議な感じだ。
すべてはご主人さまに不足なくお仕えするため、大ご主人さまの計らいだ。
「先生、ご存知でして? 彼女は、男の子なのですわ」突然、アイリーンさまが言った。「でも、誰にも言ってはいけなくってよ。先生もこの学園を出たなら、しっかり口を噤まなくちゃなりませんわ。たとえ、王妃さまに問いただされたとしても」
僕ははらはらして、マカロンを喉に詰まらせそうになった。
一方で、ディアンナさまは心底驚いたふうに目を大きく開いて、「まあ、なんて素敵」と言った。「秘密にいたしましょう」
授業は続く。
ディアンナさまはたくさんの詩を紹介して、その心を丁寧に解説してくださったのだった。
聴衆は皆一つずつ創作してきた詩を読んで、いいところ、改善すべき点などを指摘しあった。
僕は初めてだったものだから、想像力豊かな令嬢たちの詩に耳を傾けて、情景を想像して楽しんだ。そして何よりも、お菓子がとても美味しかったのだった。
「みなさん、少しずつ上達してきたんじゃないかしら。好きなことを書いているって方もたくさんですよ。相変わらず、言葉を大げさにしたがる傾向にあるようですけれど」
「わたくし、来週は彼女のために詩を書こうと思いますの」アイリーンさまは僕を見た。「もちろん、先生のお許しをいただければ、の話ですことよ」
すると、次々に賛同の声が上がる。
「ちょっと待ってください!」と言って立ち上がったのはご主人さまだ。「それには反対です。先生の指示されたお題について、詩を書くべきだと考えます。なぜなら、この授業はそういう時間だからです!」
「どうしてかしら? あなたが一番書きやすい位置にいるわ。幸運ではなくて?」
「だからよ! そ、それに、こいつの存在は秘密なんでしょう? さっきアイリーンも言っていたじゃない」
「エヴァ、こいつだなんて汚い言葉はよろしくありませんわよ」とアイリーンさまが次に立ち上がったかと思うと、上気した両頬を手で押さえながら、頓狂な声を出して身を震わせた。「秘密を守りながら、相手に捧げる詩。それって、何とそっくりなのか、お分かりでしょう? 恋文ですわ! 二人だけがわかる暗号のように、遠回しで情熱的な言い回しを考えませんと! ああ、わずか七日間で可能なのかしら、このような無理難題!」
教室がどんどん騒がしくなっていく。それをディアンナさまが抑えた。
「静かにして頂戴。それとアイリーン、遠回しで情熱的だからといって、それが必ずしも良いわけではありませんよ。そうですね、ここは、彼、ではなくって、彼女に尋ねてみましょうか」
手招きされた僕は、腰を低く静かに移動して、ディアンナさまの横に控えた。
「どうですか、あなたは自分が詩の題材にされたとしても構わないと考えますか? 嫌ではないですか?」
「私は嫌ではないのですけれど、ご主人さまが反対されていらっしゃるので、どう答えてよいのか分からないのです……」
聴衆の視線が一斉に、ご主人さまの方へと向いた。僕は失敗したな、と思う。素直に断るべきだったのだ。
「エヴァ、どうしますの?」
そう言ったアイリーンさまをはじめ、ご学友をご主人さまはふくれっ面をして眺め回したが、やがてため息を吐いて言ったのだった。
「まったく、意志というものを持ち合わせていないの? あんたが嫌じゃないと思っているなら、構わないわよ。あたしは、あんまり書きたくないけれど」
「今日のためのお題も考えてきましたが、」ディアンナさまが言った。「それは、次回のお題といたしましょう。いいですね?」
僕は返事をし、お辞儀をすると、ご主人さまは呆れ顔で肩をすくめた。
「次回までに、彼女のことを詩に書いてきましょう。特に形式の制限は設けません。たまには自由に書くことも大切よ。あら、このことは秘密にしなくてはならないのだから、誰かに見せたり、意見を訊いて修正したりしてはいけませんね。それではこうしましょう。今日の授業を踏まえること。突然降って湧いたなら、それを詩としましょう。書けそうですか?」
「もちろん」
アイリーンさまが即答すると、ジョセフィンさまが続けた。
「抽象的に、比喩表現ばかり使ったり、きっと楽しそうですわね! 帰ったらわたくし、心を空っぽにする練習を始めます。アイリーン、知っていらして? 口をあけて、あああと言っていると、まるで心が空っぽになるようよ。人前では、できないですけれど」
席に戻る前、ご主人さまの横を通り過ぎた時、僕は彼女の「ごめんね」という言葉を聞いたのだった。
最後に、ディアンナさまは、不思議な詩を紹介してくれた。
地下蔵のワインのような 血の中のきみ
本当は勇敢な人 涙を溢れさせる
私は苦しい きみは籠から飛び出した
たとえ風に吹かれ、雨に濡れても 憤怒の炎から逃れよ
その白い壁は頑固者
きみ、植木鉢を叩きつけなさい
「魔術師の残した詩です。どうでしょうか? 何か思うところがありますでしょうか? それでは、今日の授業はここまでといたしましょう」
ディアンナさまが、こちらをじっと見つめている。
僕はただ、きょとんとして首をかしげることしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます