2-11 クラスメイト(2)
午前は音楽の授業だった。
王室音楽家の方々が来て、合唱の手ほどきをしてくれた。
僕はその歌を知らないものだから、静かに合唱に耳をすませていた。
メロディが分かってくると、歌詞を見せてもらいながらちょっとだけ参加して見たりする。
昼休みになると、教室の机は侍従たちによって総入れ替えが行われ、食事用のテーブルが並べられる。
台車にお昼ご飯を乗せて運んでくる料理人や、大きなバスケットを抱えた侍従たちそれぞれが、仕える令嬢の前に立つと、昼食を差し出して去って行くのだった。
令嬢らは物珍しそうに、僕とご主人さまを囲うみたいにして、テーブルに集まって来た。
天井のシャンデリアがきらきら光って見える。それをご主人さまが不機嫌そうに眺めている。
僕はバスケットをテーブルの上に置いた。
彼女のために作ってきたサンドイッチが入っている。
蓋をゆっくり開ければ、そのとおり、手作りのサンドイッチが現れる。
「ご主人さま」
一切れをとって、振り向いたご主人さまのお口へと運ぶ。
「ちょっと!」彼女は顔を遠ざけて、僕からサンドイッチを取り上げた。「これは自分で食べるから!」
「まあ、エヴァ、恥ずかしがり屋さんなのね」と言ったのは、僕たちを囲っていた令嬢の一人、アイリーンさまだ。
彼女は両手を組んで、頬を上気させたまま夢見がちに続けた。
「食べさせてもらえるなんて、まるで小説のようだわ」
「からかわないで」
ご主人さまの言葉を無視して、アイリーンさまは続ける。
「ねえ、あなた、本当は男の子なのでしょう? 聞いたのよ、先生から」
僕はびっくりして辺りをキョロキョロ見回してしまった。
「まあ!」などといって周囲がざわめく。
口元を抑えて、頬を赤らめる令嬢もいる。
「アイリーン。あなた、この子に気があるのかしら」別の令嬢が言う。
「どういうこと!」ご主人さまが立ち上がる。
「先生がおっしゃったのよ。わたくしたちのほかに、誰にも漏らしてはいけない、この学園だけの秘密なんですってね。秘密って、とても素敵な言葉だわ。乙女ならば秘め事の一つや二つ、持っていなくちゃいけないものでしょう? 恋は密かに育まれるものよ…… 誰の目にも入ることのない、引き出しの中のソネットは、夜な夜なランプの明かりの下で、使い古した日記帳に書き綴られるのですわ。あなたの見ている月をわたくしも見ていて、じれったく、心が苦しいみたいに」
そんな言葉を受け、惚けたまま両手で頬を押さえて言葉を続けたのは、彼女の隣に座っている令嬢だった。
「本当のことなんですの? わたくしは今、とても信じられない思いでいっぱいですのよ。けれども、それは嘘でも創作でもないきっと事実で、それこそ先生がおっしゃったことなのでしょうし、本当に男の子なのかどうか触って確かめて見たいくらいなのですけれど、わたくしは淑女、そのようなはしたない真似はいたしませんことよ。どこまでも謎めいたまま! この気持ちこそ、試練に違いありませんわね」
「ジョセフィンまで何を言うのよ、まったく」とご主人さま。
きらびやかなご令嬢たちが、にこにこしながら僕に視線を送ってくる。
体が熱くなり、俯いて目を逸らしてしまいそうになるのを堪えながら、失礼の無いように微笑み、恐縮ですと頭を下げる。
健康に膨らんだ白い頬と、おしゃまな唇の赤色。
頭にはリボン、あるいはティアラやヘッドドレスを添えて、個性的で豪奢なガウンに身を包んでいる。
「エヴァばかり羨ましい限りですわ」アイリーンさまが口元をすぼめる。「ねえ、あなたのことを聞かせてくださらない?」
「私は、エヴァンジェリンご主人さまに今日からお仕えしています。半年ほど、下積みをしました。ですから、一通りのお世話はできるようになったと思います」
ご主人さまが、少し強めに僕の脇腹を小突いた。
「わたくしのお世話はしてくださりませんこと? エヴァよりも、ずっと仕えがいがあるはずですのよ。わたくし、エヴァと違って、侍女がいないと何もできませんもの。お給金だって、お父さまに頼んでたくさん出してもらいますわ」
僕は小さく微笑んで、首を傾ける。
「お気持ちはとても嬉しいのですが、今までもこれからも、とはいっても今日からですが、私のご主人さまはエヴァンジェリンご主人さまだけなのです。そこは神に誓っておりますので」
ざわめく。
足元に激痛を感じて俯くと、ご主人さまのかかとが僕の靴を踏みつけていた。
顔をちらりとみるに、怒り心頭のご様子で、顔を真っ赤にして俯き、小刻みに呼吸をしている。
あまり、他言しない方が良い事実だったのかもしれない。
「チョーカーがとても素敵よ」とジョセフィンさまが言った。「わたくしも付けてみようかしら。先日もね、お姉さまが金糸を編み込んだ控えめなネックレスをしていたのだけれど、あれはやっぱりお姉さまだから似合うんだろうなあ、って自信をなくしてしまったわ。わたくしは残念なことに少し首が長めなのよ。鏡を見たらいつも落胆してしまいますの。時々頭を叩いて首が短くならないか試してみるのだけれど、やっぱりそういうのっておかしいでしょう? これ以上お勉強が苦手になってしまったら、お父さまも困惑してしまいますし、体を動かす方は得意なのですけれど」彼女は大きくため息を吐いた。「エヴァのようにシンプルでも可愛らしいのが理想ですわね」
「ジョセフィン、あなたは少し自分に自信を持った方がいいわよ。あたしだって、自分に自信は無いけれど、あまり卑屈にならないように気をつけているし。それに、あなたの首が長いなんて、感じたこともなかったわ。ちょっと線が細いからそんな風に見えるだけなんじゃない? 髪をたくさん伸ばして、それがよく似合ってるジョセフィンには嫉妬してしまいそうよ。あたしにはそばかすがあるし、髪の毛はあまりにも癖が強すぎるから」
ご主人さまが言うと、アイリーンさまが続けた。
「そうよ、ジョセフィン。あなたにはえくぼがあるし、とてもスレンダーだわ。歌も上手ですしね。わたくしなんて、取り柄が一つも無いんですもの」
「そんなことないわ。あたしはアイリーンのこと、好きよ」
「わたくしもです」
ご主人さまとジョセフィンさまがお互いに頷きあった。
アイリーンさまは桃色の頬で小さな咳払いをする。
「エヴァがこの前のパーティで、胸元の開いたドレスを着ていたでしょう? あれは本当に素敵でしたわね。わたくしだって、あなたのように胸が膨らんできたら、胸元の開いた真っ赤なドレスを着て、素敵な方々と舞い踊ることができるのに。それで、ちょっとしたことで気絶して見せたりして。ほら、今日のわたくしの服、あのときのあなたを意識しているんですのよ。お父さまに仕立ててもらうように頼んだのですけれど、想像以上に出来が良くて、気に入ってしまいましたわ」
「恥ずかしいこと言わないでよ。あたしはあの時うんざりしちゃってたわ。お父さまがあんな派手派手しいもの用意してくるなんて! 宝石なんか、もっと大きくなってから身につければいいでしょう? わきまえるべきよ。それに、あたしは自分で掘り当てた宝石を身に付けたいの。その辺のことの何もわかっていないんだわ。あたしは、お父さまの企みは全部お見通しですけれどね。こいつを、どうしようとしてるかってことはね!」
ご主人さまは僕を見て、不機嫌そうに顔を背けた。
「ねえ、あなたはどう? 胸元の開いたドレスはお好き?」
アイリーンさまが覗き込むみたいにして訊ねてくる。
僕はどのように答えれば良いのかわからなかった。
それは、着ることに対してなのか、着ている人に対してなのか。
結局は、「私は侍女ですので、そのような……」と口ごもってしまった。
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